010 (幕間)星の夜に、たわいなく
星と星との距離を、ひとに喩えたひとがいる。
地上から見れば、ふたつの星は、とても近くに見える。
でも実際は、とてもとても離れていて、いくら手を伸ばしたって届かない。
光しか、言葉しか届かない。
ふたつの心は、とてもとても離れている。
ーーだけど、光は届く。光だけは、届けられる。
だからこそ。とても離れているからこそ。星と星とは繋がって、星座をーー意味を描く。
そんな、理想論。
真っ暗な中で、ずっと向こうで、誰かが、光ってる。
「…、っていう」
どうしてそんな話題になったのだったか。どこかで聞きかじった話を、少年は披露した。
「お伽話ね」
やや吊り目がちの美しい女性ーートリスティーナと呼ばれているーーが、青と金の縁取りのティーカップを、優雅に傾ける。
「第一、『心』なんて幻想だわ。そうは思わなくて? シルフィド」
向けられたトリスティーナの視線に、シルフィド、と呼ばれた銀髪の青年は、小さく笑みを浮かべる。
「諸説ありますね。自分を見ている自分は、何者なのか。意識は、単なる影なのか、それとも、意思を決める主なのか。ーーそもそも、自由な思考は存在するのか」
それを耳の後ろで聞きながら、弟子ーーローマンは、いじけたように、自分の紅茶に小匙で36杯も砂糖を入れた。ーー当然、甘くなりすぎた。
「げ。」
蛙のように呻いて、シルフィドが席を立つ。
「…シルフィド?」
プラチナブロンドの美女は怪訝そうに、それを見た。
「…エドウィン…」
「導師! また何か、やっかいごとですか?」
うんざりと呟くシルフィドの一方で、ローマンが、元気よく尋ねる。
やあ、と片手を挙げて、きんきらきんの派手男はにこりと笑った。
「星が綺麗だからね。一緒に見に来たのさ」
彼の後ろに、小柄な女性の姿を見つけて、ローマンが駆け寄る。
「アリサさん!」
どさくさまぎれに、ローマンが彼女の手を取ろうとしたのを、エドウィンの手刀が即座に叩き落とす。
「…君は、私に喧嘩を売っているのかね?」
ねめつける凄味のある視線を、ローマンは、へらっと笑って受け止める。
「美しい女性がいたら、手を取りたくなるものじゃないですか? 導師」
「それはもっともだ。もっともだがーー」
「ローマン」
シルフィドがたしなめる。
「女性のハダカを見ても興奮しない師伯には分からない問題ですから、放っておて下さい」
「…、てっ、めぇ、逆にオレが変態みたいじゃねぇか!? テメェを基準にすんな!?」
「わーい、師伯が怒ったー♪」
「…くっ、だらねえ」
「あらあら。紅茶が無いわね。お湯を沸かしてきましょう」
「…、あら。あなたにそんなことをさせるなんて…」
「いいんですよ、トリスさん。わたし、このくらいしか取り柄がありませんから…」
「何を言うんだ、アリサ。君は美しく、可憐で、その声は天使の囁きであり、その姿は絵にするのも憚られる。ーーだから、落ち込むな。数学の宿題ができなくても問題ない。私が、その惑星ごと片付けてやるから」
「エドウィン…」
寄り添い、恋する乙女の表情で、うっとりと呟くアリサ。
「…よくわからないけど、課題なのよね? それをアリサができないから、あなたは惑星を塵に変える…と」
トリスティーナは言って、紅茶を傾けた。
「無論だ。彼女を傷つけるものなど、この世にあってはならない。彼女を傷つけた魚の小骨も、包丁も、ベンゼンバーナーも、すでにこの世から消し去った…!」
「…、やりすぎよエドウィン」
頭痛を抑えた表情でうめくアリサ。
「…、あら? シルフィドは?」
気づいて尋ねると、少年が返す。
「帰りましたよ。明日までに仕上げたいものがあるんだそーです」
「ーーそう。それじゃ、私も帰ろうかしら。」
「そうですね。あのふたりに付き合うと、砂とか砂糖とか吐きそうに…、トリス?」
「…った」
「え?」
「今日はね、千年の恋をする、離ればなれの恋人たちが再会する夜なの。そっとしておいてあげなさいな」
「…、うーん…」
首をかしげるローマンを置いてトリスティーナはすたすたと歩いてゆく。
星が、ひとつ、流れた。
今のうちに願いをーーどうぞ。ただし、ひとつだけ。
Thanks for Reading.