09 月と踊るは、金の娘 ~後編
翌朝、彼女は動かなくなっていた。
その髪は絹糸のよう。その肌は白磁のよう。ただ、彼女の瞳は、本当は何色だったのか、それだけが、判らない。
***
「師伯ぅううう~!!」
飛び込んできたローマンを、うるさそうに見遣り、『師伯』は、ため息を吐く。
「お前、うっさい」
「なんとかしてください!」
シルフィドが室内でも脱がない長い外套を掴み、少年は必死で訴える。
「あら。痴話喧嘩?」
折しも、ーー何かの調度品の依頼なのだろうか。ウェディングケーキじみた図案の描かれた羊皮紙を丸テーブルの上に、トリスティーナが面白そうににんまりと笑う。
ローマンは彼女を勝手に『キツネ目女』などと呼んでいたが。
「なんとかしてくださいってば!」
「……」
シルフィドはしばし瞑目し、トリスティーナに視線を向けた。
「トリス、では、この意匠で。細部はこちらでーーということで宜しいですね?」
「ええ、もちろん。ーー期待していてよ?」
「はい。お任せ下さい」
にこりと、ーーといっても、ほとんど判らないくらいの愛想笑いを、シルフィドは浮かべた。
その背中を、ローマンが、ばしばしと叩く。
「美女が死んじゃう~!」
「わかった、わかった。ーーすみませんがトリス、僕はこれで」
トリスティーナは、椅子の上、脚を組んだまま、愉しげに、ひらひらと手を振った。
若草色のドレスの切れ間から、形のよい太腿がちらりと見えたりもしたのだがーー残念なことに、ここに、それに注目する者はいなかった。
「師伯~!!」
「お前うっさい、っての」
変わらぬ歩幅で歩くシルフィドの後ろから、急かすようにローマンがついていく。
出ていく師弟を、面白そうにトリスティーナは見送った。
優雅に、冷めた紅茶のカップを傾ける。
ーーもちろん、事の顛末を聞くまで、帰る気は毛頭ない。
「……」
美女は、静かに横たわっている。
半泣きになっているローマンを、眺めつつ、シルフィドは、途方に暮れる。ーーいや、決心がつかずにいる。
「ーー無理だよ」
「ソウド?」
「ーー無理、だ。お前がどんなに望んだって。オレは」
「師伯?」
少年はきょとんと、師を見上げる。
「何かを産み出すことなんてできない」
あの表情だ。
どうしても、解らない。
ローマンは、師のローブの端を掴んだ。
「……」
「責任を。悔恨を。ーー引き受ける、ことなんて」
「師伯?」
(ーーああ、ほら)
なぜ、お前は呼ぶんだ。
静かな凪の海みたいな心に、さざ波が立つ。揺れる。
異界にて、「彼」の本体たる、"賢者の石"がーーざわめく。
理由なんかない。
生きるのにも死ぬのにも、理由なんかない。
ーーでも。
『お前はーー呼んでくれる。』(ーー16番元素を6番に変換。陽子数確定。余剰を中性子に。)
空間の軋むような甲高い音が、周囲を満たす。横たわる「彼女」を起点に、白光が溢れた。
『誰とも関わるつもりのなかったオレを。』(電子雲形成。スピンを形成)ーー(DNA鎖展開。翻訳。蛋白質生成)
「し、師伯」
「黙れ、混ぜ込むぞ」
「何をッ!?」
(総ての軌道を確定ーーRUN(実行))
"あなたなんて、いなければよかった"
"生まれてこなければ"
「ーー」
言葉は、呪い。呪い続ける。あのひとの残像はずっと、記憶のなかで呪い続けている。呉れた言葉は、ただの毒。
「」
負荷は膨大で、莫大で、ゆえに。
意識をどこかへ、追いやった。
***
「しは、く?」
「よかった!」
起きた瞬間、シルフィドは質量のある美女に抱きつかれた。
「ーーちっ。」
「なんで舌打ち!?」
言うソレに、「彼」は手を伸ばす。ーーああ、届く。
抱き寄せられて戸惑うそれに呟く。
「お前の頼みでなきゃ、こんなこと、しない」
こちらを見つめ返す瞳だけが答え。ああ、届いてない、な。
『師伯』は、金の髪の娘を、ようやく振り返る。
「ーーごめんな」
「何で謝るんですか!?」
問うローマンをよそに、見詰め合う、美女とシルフィド。
「ーーううん。あたしを、造ってくれた」
「……ごめん」
あの表情。
「あたしは、依頼品だったんでしょ」
「……」
美女の問いに、シルフィドは答えない。だから彼女が、言い当てた。
「作った。壊せなくなった」
「渡すことも、できなかった」
苦そうに、シルフィドが吐く。
美女は、ほほえむ。
「大丈夫よ? あたし」
「……」
シルフィドは再び、目をそらす。ーー正直、興味がない。自分にも、彼女にも。
「あのー」
「何?」
恐るおそるに声をかけた少年に、シルフィドが応じる。
「美女さんと師伯は、どういう関係なんですか?」
きょとん、とふたり、見詰め合う。
「「さあ?」」
「娘さんを僕に下さへぶぁっ!?」
なにやら、部屋の中が騒がしくなったのに気づいた別の依頼人ーートリスティーナが顔を出す。
「騒がしいわね、シルフィド。おちおち昼寝もできやしない」
「ーートリス。」
なぜか、弟子と美女に抱きつかれている、『師』を見、トリスティーナは絶句した。
「……末長くお幸せに」
ぺこりと頭を下げ、ドアを閉めるトリス。
「……なんでそうなるんですか」
呆れたように、錬金術師は呟いた。
ドアの外では、小鳥たちが啼いている。
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