08 月と踊るは、金の娘 ~前編
生まれるのは、貴きモノ(カミ)の意思か。ならばまた、無くなるのもカミの意思か。
少年は、薄暗闇の中に立っていた。
目の前にあるものは、美しい人影。
金の髪は、太陽にきらめいて流れる大河のようであり、また、白いその肌は、東の神秘の国で造られる、白磁のようであった。
その瞳を、見てみたいと望んだのは、そんなに咎めるようなことであろうか?
だが、伸ばしたその手を、透明な板が阻む。
少年は、がっかりして、きびすを返す。ーーでも、その美しい姿は、忘れられずに。
「しはくー」
何度目だろう、呼び掛ける。
何度も、なんども呼び掛ける。ーーだって、呼ばなければ。
ーー振り向いては、くれない。
「なんですか、倉庫のアレ。糠漬けの上に置いてある美女」
「……。」
目をそらす。背中を向ける。無言のまま。
「しはくー?」
その顔を、覗き込む。
「…失敗作だよ」
ぼそりと言葉を落とすその顔は辛そうで。
だから、心配になった。
「失敗したんですか?」
「…ああ。」
「捨てないんですか?」
「……」
目を、そらしたまま。
答えては、もらえない。
ーー捨てられない。
「あの子、生きているんですか?」
「…。見ての通り、存在してはいるよ」
「生きていないんですか?」
『師伯』は考え込んだ、ように見えた。
「どうなんだろうな。オレにも、よくわからない」
答えは、いつものように素っ気なく。
「要る?」
「い、いるって、美女を!?」
『師伯』が半眼で見詰める。
「人造生命。聞いたことがあるだろう? ガラス瓶の外では生きられない、全知の小人のおとぎ話を」
「何でも知ってるんですか?」
「ーーいや。ただのおとぎ話だよ。アレはーー違う」
「……」
やっぱりその顔が辛そうなので、気になって見てしまう。
どうして、こんな表情をするんだろう。何が、そうさせるんだろう。
翌日。少年はやっぱり、ガラスケースの中の美女を見詰めているのだった。
ふと、彼女の髪が揺れる。まつげが震えてーー
瞳が現れる。
(えっ? ーーえぇっ!?)
ローマンは、慌てた。
生きている? 彼女は、生きている?
脈拍が速くなる。
彼女は、少年を見、口を動かした。
音は聞こえない。だが、その唇は、確かに動いた。
『だ・し・て』
もう一度。
もう一度。
その瞳は、願いを映して、訴える。
ここから出して。
少年は、首を左右に振った。
「だ、ダメですよ! 出たら死んじゃうんでしょう!? そんなの、ダメです!」
こちらの言葉を理解しているのか、それとも、いないのか、ホムンクルスは首をかしげる。
『い・い・の』
「良くないですよっ!?」
あの辛そうな表情を、理解した気がした。
わかった気になった。
彼女は、生まれられない。
ガラスケースが、揺れる。
彼女が全体重をかけると、それは傾いた。
「なんで糠漬け(ヌカヅケ)の壺の上に置いとくんですか、師伯ぅっ!?」
がしゃん、そして、ぱりん。
ガラスが割れる時に特有の音が、何の面白味も愛想もなく、辺りに響いた。
****
暗い。夜は、暗い。そんなことすら、知らなかった。
草の匂い。土の湿った香り。虫の声は、軽やかで。
「ーーああ! 世界ってなんてすてきなの!」
演劇じみた言葉を、彼女は真顔で口にした。
(うううう~。師伯、絶対怒ります! 怒髪天を衝く。絶対、成層圏に届く! あぁあああ、オゾン層が大変なコトに…!!)
本で得た知識で、なぜか上空の組成を想いつつ、ローマンは苦悩していた。
「みんな美女がわるい」
少年の呟きに、彼女は、からりと笑う。
「美女って、あたしのこと? 他の女の人って、見たことがないから、分からないけど!」
「うううう~」
彼女は、少年の手を掴む。
「ね、踊ろう? 夢の中で、男の人と女の人たちが着飾って、明るい場所で、曲に合わせて踊るのを見たの! ね、あれって、とっても楽しそう!」
照らすは、月明り。
裸足の彼女は、まるで月の女神。
だから、ーーまあ、いいかと、少年は納得した。
彼女は、ここにいる。
だから、それを肯定したらいいじゃないか。
彼女は微笑んで、軽くステップを踏み、白い手を伸ばす。
「とっても、素敵!」
なんて言われると、悪い気はしないわけで。
…まぁ、彼女のその視線が、宵闇を払う十六夜の月を見上げての言葉だとしても。
ーー悪い気は、しないわけで。
☆★☆
彼女の歌声は甘く、響いた。
「ホムンクルスさんは、ずっとあそこにいたんですか?」
彼女は、どこで聞いたのか、地上で数年前に流行ったラブソングを歌い続けている。
ローマンは諦めて、歌う彼女をただ、眺めることにした。
「…きれいだなぁ」
何気ない呟きに振り返り、金の髪の娘は、満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう! 大好き!」
抱きつかれた。ーー美女に。
心臓が止まらない。ーーいや、止まってしまっては大変なわけだが、もう少し落ち着いてほしい。
何年、心臓やってんだこの馬鹿!
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