魔女とリンゴパイ
■ 魔女とリンゴパイ
山々の蒼が、影絵のように向こうに連なるふもと。
深い針葉樹の森のなかに、古びたお菓子の家がある。そこには魔女が住んでいて、子どもをおびき寄せては、さらったり、鍋で煮たりしていた。
魔女は孤独だった。愛されたことがなかったから。
生まれてから今まで、誰にも愛されたことがなかったから。
愛を感じられないだけなのか、それとも本当に、この広い森のどこにも愛はなかったのか。
それは分からない。ただ、とくに寒い季節になると、長い夜、楽しげな明かりを灯す家々を、うらやむこともあった。
「あい、というやつは、どこにあるんだろうねぇ。心臓かい? 脳味噌かい? それとも肚の中にでもあるのかねぇ…ヒッヒッヒ」
そうつぶやいては、鍋をかきまわす。
「…さぁな」
頼まれた材料を持ってきた白い長衣の錬金術師が、てきとーに応える。
とさり、とテーブルに置かれた紙袋の中身は、調味料が主だ。珍しい南国の香辛料や、はたまた入手の難しい希少魚のタマゴ、などなど。
だって、くやしいじゃないか。あの楽しげな人間たちだけが美味しそうなものを食べているだなんて。
「だからたくさんお菓子を作るのさ。甘いのも酸っぱいのも辛いのも、ね。
それで…、ああ、そうさ。食べてもらいたいねぇ。町の子どもにも、大人にも。それで、それでさ…」
魔女の目にナミダが浮かぶ。…ああ、生まれた時から、こんな老いた姿。
誰にそんなふうに、楽しく料理をふるまえただろう。
「…ああ、これ、弟子から」
そう言い、白の錬金術師は一枚の紙を差し出した。
「なんだい、そんなもの寄越して」
魔女はひょいと紙をのぞき込む。そこにはこう書かれてあった。
「あなたの料理、届けます。ハーピー・イーツ」
なんだい、こんなもの。魔女はそう言って、一度はその紙を暖炉にくべてしまったのだが…。
その夜。
どうしても気になってもういちど魔法で紙を元にもどした。
ほんとうに。ほんとうに。誰かに菓子をふるまえるのかねぇ?
だって。あのとき、迷子になっていた子どもたちはまだ若いあたしの姿を見て、言ったじゃないか。
しわくちゃのおばあさん、って。
だから頭にきて、暖炉にくべてやったんだよ。
たっぷり十人前のミートパイにしてやったのさ。
だって、そんな失礼な子どもに振る舞う菓子はないからね。
「…ほ、ほんとうに届けてもらえるんだろうねえ…?」
焼き上げたばかりのほかのかのリンゴパイをカゴに詰め、魔女はそわそわと照れたように尋ねる。
「もちろんですよ! 魔女さんのお料理、ちゃんと注文してくれた人にばびゅーんっと届けちゃいますからね☆」
南の海を生息地にする陽気な鳥女は、ぐっと親指を立てるサムズ・アップ。
鳥の魔物は、両脚でがっしりとカゴをつかむと羽ばたいた。ふわりと舞い上がり、町へ向かって飛んでいく。
魔女はそれを複雑な表情で見守った。
あたしを今まで迫害してきた人間どもには、不幸になってほしい。
でも、親切で優しい人間たちがもしーーもし、どこかあたしの行けない遠い場所に住んでいるっていうならーーそしたら、ちょっとくらいあたしの菓子をふるまってやったって、今さら何にも減りやしないんだ。
魔女はそう言って、少し寂しげにほほえんだ。
優しくされたい。優しくしたい。
そう思うきもちにウソはなくて。
きっともしかしたら、そういうのは本能、というやつなのかもしれなかった。
***
その夜のことだった。複雑な機構の通信網ーーの端末である、魔女の家の鏡には、メッセージが届いた。「うますぎるリンゴパイ。感激でほっぺたが昇天。ちょっと今からほっぺた取り戻しに行ってきます」
「…なんだい。まったく。人間どもってのは、調子がいいねぇ。まったく、まったくさ」
そう言う魔女の頬もリンゴのように真っ赤だった。
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後記
はい。元ネタはお料理を届けてくれる例のサービスです…笑。
インターネットが、ニッチな需要をつないでくれる。
顔の見えない相手だからこそ優しくできる。
そういうことって、あるかもしれないですよね。
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