杖なきものに翼
自らが命に限りないからから、こそだろうか。
彼らは命の限りあるニンゲンの願いに敏感だ。
天幕が並ぶ。
土に汚れた頑丈な布たちは、時折、風にうるさくはためいた。
砂の、土の匂い。それをかき消すような、肉の腐る匂い。
兵士たちはそれを死臭と呼ぶ。
「敗血症?」
装飾の多い衣装を着た 白い毛並みの獣人の少女が首をかしげる。
それに白衣と銀髪の青年が応じた。
「空気に触れた血液がバクテリアに食われ、毒素を生む。それが全身に巡るんだ」
「ほーぅ」
獣人ーーミアは教材でも眺めるような、好奇心に満ちたきらきらしたまなざしで、傷病者の、膝から下のなくなった足の傷口をのぞき込む。
「へぇへぇ。なるほどにゃ」
痛みに呻く壮年の兵士は苦笑した。
「なんだい、嬢ちゃん。脚のねぇ人間を見るのが珍しいのか? 外の塹壕に行けばごろごろしてるぜ」
優しげな苦笑のまま、戦場には似つかわしくない純白と豪勢に布を使ったドレープの衣装の獣人の娘をまぶしそうに眺めた。
少女は傷口から顔を上げると、今度は無精ひげの伸びたその男の顔を見遣る。
彼女の自慢の猫のヒゲがぴくりと揺れた。
「お髭を剃るにゃー!」
「うおっ?!」
湯を運んだり、薬品を運んだりとテントの中を右に左に動き回っていた亜麻色の髪の少年の茶色の瞳が、うかがうようにいっとき、ちらりとそちらに視線を投げる。
ふと上げたオニキス色の瞳とそれが、つながる。
少年は慌てて目をそらした。
ーー知っている。
彼は彼らを救わない。
彼はひどく気まぐれで。
けれどその気まぐれときたら、ひどく冷徹な彼なりの理論に基づいているのだ。
だから、それには干渉できない。
千年も溶けない氷のように、彼の心は変わらない。
それを、知ってる。
だからこうして自分が走り回っているのだ。
目をそらされたのに気づき、シルフィドは被り布の下で一瞬だけ小さく笑んだ。
分かってるなら、いい。
***
地上では争いが絶えず、いつもどこかで誰かが亡くなり、そして何処かで誰かが生まれている。
誰かは成長し、あるいは老い、あるいは増え、あるいは減る。
それは絶え間なく繰り返されてきたし、これからもまだ当分はーー昼の空に輝く恒星が眠りに就く遙か遠い未来まで、おそらくは続くのに違いない。
だって、なにもないのは寂しいから。
ヒトだって、スペースがあったら、ガラクタを飾りたい。
真っ白い紙には下らない絵を描きたい。
籠があったら何か詰め込みたい。
それと同じく、宇宙に何かは生まれ、そしてまた消えてゆくのだ。ーーきっと。
***
「願いはあるか?」
白衣の青年は兵士に尋ねた。
「あぁ…、あるね。街へ帰って、もう一度角のパン屋の焼き立てを食いたいなぁ…」
「そうか」
「ああ、もちろん、地獄みたいにアツアツで苦いあのコーヒーといっしょにな」
「…そうか」
「ホット・アズ・ヘル。ビター・アズ・ヘブン。地獄のようにアツアツで、天国みたいな苦さでよ、ああ、あのコーヒー、また飲みたいな…」
青年は無言で真鍮のカップを差し出す。
中に入っているのは何のことはない、ただの湯だ。
だが、男はそれをさも美味そうにすすった。
「あつっ?!」
それを隣で見て、珍しく白衣の青年が苦笑する。
頭上には真白い星の群れが瞬いていて、それはどこまでも続いていた。
「杖なきものに翼。盾なきものに剣」
「何だそりゃ」
「過分なもののたとえさ。与えすぎたって、連中は自分の足で歩かない」
「連中? 誰だ?」
「…ふふ、誰だろうな?」
願えばいい。祈ればいい。
遠い空に、果てない未来に。
誰かが望む、明日を。
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