しなない くすり
不老不死の秘薬
掛けられた声は、突然だった。
「お嬢さん。不老不死の薬は、いらないか?」
さっきまでそこには誰もいない気がしていたし、今でもやっぱり誰もいないような気がする。
それでも、膝を抱えて座り込んでいた子供は答えた。
「いらない」
フードを目深にかぶった怪しげな人物は、大仰に肩をすくめた。
「どうして?」
「どうして…って。だって。この苦しみが、永遠に続くってことでしょう? だったら、そんな薬、いらないわ」
折しも、冬。少女の手は、かさかさで、あかぎれができていた。
瞳は疲れ果てて虚ろに空を見つめ、脚は骨ばって、とても細い。靴すらはいていないし、服も擦り切れている。
風呂にも何日も入っていないのだろう。すえたようなにおいが、冷たい空気の中にはかすかに混じっていた。
「へぇ? そんな薬はさ、誰もが欲しがるものだ。金持ちにでも売ったら、一生を遊んで暮らせるよ」
「一生、を…」
想像がつかない、という表情で、少女は、白いマントとフードの人物を見上げた。
寒い。
手足が冷たくて、凍えている。
なんで生きているんだろう。なんで、まだ死んでいないんだろう。
こんなにつらいのに。こんなに冷たいのに。どうしてまだ、あたしは生きているんだろう。
彼女は、今まで何千回も自らに尋ねた問いを、いつものように脳裡で繰り返した。
「……」
彼が差し出す薬瓶に、手を伸ばす。
硝子のひやりとした温度。滑らかな手触り。
翡翠色の、透き通った硝子の向こうでは、何色なのだろう。液体が、ゆらゆらと揺れている。
「ふろうふしの、くすり…」
「そうさ。売るのも、使うのも、捨てるのも、君の自由」
「…どうして?」
少女の虚ろな瞳が見上げる。
フードの人物は、かすかに頬笑んだ。
「気まぐれだよ」
そして現れたときと同じように。
気づけば彼の姿はそこには無く。
冷たい風と、冷たい石畳の路があるばかりだった。
***
「なんだ? これは」
彼女の雇い主は冷たく尋ねた。
それはいつものことだから、別段、今更気になることもない。
彼の手の中には、小さな、翠色のびん。
中で液体がゆらゆら。
「…あの。くれたんです。死ななくなる薬なんです、って言ってました」
雇い主は蓋を開けると、匂いを嗅いでみた。
何かの花のような、いい匂いがする。
それに誘われるように、瓶の中の液体を、喉に流し込む。
ーー直後。
彼は倒れた。
苦しそうに胸をかきむしり、空を掴み、見開いた目で天井を見つめて、ばたりと仰向けに倒れたかと思うと、動かなくなった。
「ーーえ」
少女は青くなる。
毒薬、だったの?
まさか。そんなーー
人が集まってくる。
彼女ーーリズは慌てて駆け出した。
ここにいては、いけない。
***
心臓の音が、いやに大きく響く。
「嘘つき…、うそつき、うそつきっ!!」
どんなに憎い相手だって、こんなことになるなんて。
あの日と同じように、フードの人物は気配もなくそこにいた。
「うそつきっ!」
責める少女の声に、青年は不思議そうに微笑む。
「どうして? 君が言ったんじゃないか。永遠に生きるのは嫌だ、って。そしてオレは、君が飲まないならあの薬に興味は無かった。だから、”安物”に変えておいたのさ」
「安物? --毒の薬が? ひとごろし!」
少女の責める声にも、彼は眉ひとつ動かさない。
「命なんて、そんなに重いものかな。そう思っているのは、人間だけだよ」
「戻してよ」
「ん?」
「あのひとを、生き返らせて」
「……。」
フードの人物は、少し、考えているようだった。
「ーーそうだね。君の願いなら、ひとつだけ聞こう。--けど。たったひとつの願いが、それでもいいのかな?」
少女は考えた。考えて、考えた。
翌日。
遠い国の、深い森の、奥の奥の奥には、立派な城がそびえていた。
白亜の城壁。紺碧の屋根。階段はゆるやかにカーブを描き、部屋のしつらえには、ふんだんに金銀が使われている。暖炉には火が暖かく燃え、天井のシャンデリアには、いくつもの蝋燭が、赤々と灯っている。
「…いいの?」
少女は、ためらいがちにたずねた。
フードの人物は、こくりと頷く。
「君の願いだ」
まとうものは、空色のドレス。なめらかで光沢のある布は、幾重にも重なり、裾には宝石が縫い付けられている。
靴は、ぴかぴかのエナメル。ヒールは歩くたびに床に当たってカツカツと鳴り、なんだか楽しい気持ちになる。
少女は広間を駆け抜けた。
「素敵! ね。ここで舞踏会をやったらどうかしら! たくさんの人を招いて、豪華なお料理を出してーーええとそれから、楽器も演奏させましょう。みんなでダンスを踊ってーーええと、それで、それでね」
楽しそうに語る少女に向けて、青年は微笑む。
「…それで。死んじゃったゼネスさんのことはいいのかい?」
「…あ」
少女はとたんにしゅんとなり、肩をすぼめて、床を睨んだ。
「…だ、だって。あの人、ほんとにひどいのよ。あの人のために、なんであたしがーー」
願いは、ひとつだけ。
ひとつだけ。
青年はしゃがむと、彼女に目線を合わせた。
「夢を見る君が好きだ。そして、夢を叶えた君も。」
少女ははにかんだ。
「ありがとう」
選ばなきゃならないとして。
(あたしが、選ぶのはーー)
その城は今でも、どこかの森の奥深くにある。
無人の廃屋なのか、淑やかな女主人が迎えてくれるのかーー。それは、あなたのご想像にお任せしようと思う。
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