弟子が床に事件
朝起きたら、工房の真ん中で弟子が死んでいた。
脈はーー、取る間でもない。
瞼をひっくり返して診る間でもない。
O2(さんそ)が全身を巡っていないし、そもそも、H2oが巡っていない。
つまり血液の輸送機たる、電気仕掛けの心臓は動いていない。
脳細胞は壊れ始めていた。
ーーもっとも、体細胞が分解に至るほどではなかったけれど。
つまり死んだーー心臓が止まったのは、24時間以内であると結論づけられた。
錬金術師は頭を抱えた。
「・・・何。お前。死ぬとか。馬鹿なの?」
死体は答えない。なぜならそれが死体であるということであり、死とはそういうことだからだ。
錬金術師はひとつ手を振りーー
「わーっ、待った待った待ってください師伯!」
その手にすがる手は、床に横たわるのとそっくりな、少年のもの。
そのことに驚くでもなく、師伯と呼ばれた錬金術師ーーシルフィドは小さく口の端を上げた。
「何? 何すると思った?」
「跡形もなく僕の死体を焼却すると思いましたっ!」
「合格。・・・まぁ、正確には『分解』だけどな」
人体は炭素骨格を持つ多数の分子に支えられている。それを分解して大気に還せばーー、水と、二酸化炭素である。
残るのは、カルシウムからなる骨のみ。
なぜこれが斯くも、建造物を築き、文章を読み書きし、海を渡り、そして宇宙を渡るのかは、生物史上有数の神秘劇であろう。
「うう・・・。僕は師伯にとって生ゴミと同じなんですね・・・」
しょんぼりと呟く弟子ーーローマンに構わず、シルフィドはその場にいたもう一人の男に鋭く眼を向けた。
「暇なのか? エドウィン」
「暇とも言えるし、そうでないとも言える。私は忙しいのだよ」
「アリサに振られて暇なんだろ」
シルフィドのいつもの冷たい視線の先、その街で最高導師、と称される人物は、ギギギ・・・と首を動かし、横を向いた。
「な、なぜそれを」
「明日は田中くんと出掛けるから、ってLINEで言ってましたよ」
「なぜそのグループから私だけ外されているのだね!?」
ローマンの一言に、宇宙でいちばんえらいひとは、膝を抱えて床に「の」の字を描き始めた。
「あれですよ~、やっぱ、導師は、ちょっと重いっていうか、ウザいんじゃないですか?」
「ぐさっ!」
銀河でいちばんつよくてすてきなひとは、床に膝をつき手をつき、「orz」のポーズ。あるいは、最近、ヨガでも始めたのかもしれない。
「重い・・・? どこが!!? 君のためなら宇宙をも滅ぼしてみせると言っただけなのに!?」
「重いだろ」
「重いですよね」
「重くないっ!? 君ならときめかないのかね、シルフィド! 女性に、一緒に墓に入ってあげる(はぁと)と言われたらッ!!?」
「どこにときめく要素があんだよ」
「今時、それはないですよね」
「ぐ、ぅぁぁあああああ!!!」
「落ち着けエドウィン。女なら、3分もあれば作れるだろ」
物理的に。
「それかっ!? 君が女性にときめかない理由は、それなのかっ!? 自分で作れるからなのかね!?」
なんだか妙な眼差しで寄ってくるエドウィンーーと弟子。
シルフィドは片手でそれを追い払った。
「作れたって作らないよ、面倒くさい」
雄2匹は、床を猛烈に叩いた。これが、後の世に言う、床ドンの始まりである。
「め、面倒くさいだとぉぉおおお!? シルフィド!? 謝れ! 全銀河の女体に謝罪するんだ! 今すぐ!」
「意味わかんねぇよ。一っ言もけなしてないだろ」
「そ、そうかッ!? 君は理想が高すぎるんだな!!? 女体に高度なプロポーションを求めるあまりーー!!」
「そうだったんですね師伯! 黄金比を完全に再現した素敵な女性を求めてーー」
「ンなわけあるか!!」
***
「・・・こんにち・・・、今日も賑やかね、シルフィド。どうしたの、その死体」
「導師が置いていきました。正直、処遇に困っています」
いつもの依頼人ーートリスティーナは眉をひそめた。
「分解すれば?」
「うわぁああああ、トリスまでそんなこと! 僕なのに! 僕なのにーー!!」
「でも、二人もいらなくね?」
「いらないわよねぇ」
「片方、死んでるじゃないですかあああ!!」
「電子軌道を修正すればほら」
美味しそうなケーキに。
正直、泣いた。
そして吐きそうになった。
自分の死体がケーキになる瞬間を目撃してしまった少年は、三日三晩、その再現悪夢にうなされたと云う。
「師伯の、ばかぁああああ!!!」
「悪かったから泣くな。正直、取り扱いに困る」




