薬は主人を選ばない
「師伯。」
「…え?」
ぼうっとしていたらしかった。呼ぶ声に、我に返る。
「どうしちゃったんですかー。暑さでバテました?」
「パスタってエロいよな」
「意味わかんないです」
ずるずる。パスタをここまで啜る奴は、始めて見た。どういう食事作法なのだろう。
口の回りが、オリーブオイルでべたべたである。
と、ローマンの食事を眺めていると、ふいに、問われる。
「食べないんですか?」
「知ってるだろ。オレは食べなくても死なない」
むむぅ、と少年は考え込む。
そして、言う。
「でも、食べたほうが楽しくないですか? はいっ」
いやいや。巻いたパスタを差し出されても。オレにそれをどうしろと。
いつまでも笑顔で、退いてくれる様子がないので、とうとう威嚇した。
「……火山湖に沈めていい?」
「パスタを!? もったいない! 食べ物は粗末にしちゃダメですよ!」
「……いや、お前を。」
「千年後、化石になった僕が湖の底から発見される……! そして美女の熱い抱擁でよみがえります」
「いいよ、蘇んなくて」
「ヒドイ!?」
会話の合間に、パスタの上にあったズッキーニの輪切りをひとつ、つまんでみた。ーーまあ、不味くはない。
特にこの細胞壁の絶妙な崩れ具合とか。
「…あ」
「?」
口いっぱいにくわえたパスタの端っこ口から垂らしたまま、こっち見んな。3歳児を眺めてる気分になる。
視界の端に映ったもの、は。
言うべきか言わざるべきか3秒ほど悩んだがーー、まぁ、コイツが凹んだところでオレには関係がない、と結論。
「あそこにいるのーー、お前の昔のお友達じゃね?」
「ヒィッ!?」
いやいや、いや。なんでテーブルの下に隠れんの。ハムスターか何かか、テメエは。
「挨拶してくれば?」
「言葉の通じるひとたちじゃないですよ!」
それでもパスタの皿とフォークを離さない辺り、どういう食い意地なのか。
「言葉の、ね」
「ずるずる。」
「よく食うなお前」
「はい。もったいないですから」
ずるずる。
*
少々人相の悪い『昔のお友達』数人は、ある建物から何かを運び出し、荷車に積むと、驢馬を叩いて走り出す。
(阿片ーー)※麻薬
周囲にある物質のことなら、大抵は判る。
(ーーまあ、オレには関係ないけどーー)
「食い終わった?」
「はい。ごちそうさまでした!」
「それじゃ」
立ち上がろうとしてーー
人の影。
「ちーっす!」
「……」
錬金術師は沈黙している。
「怪我薬の依頼人でーす」
「お前らかよ!?」
返すシルフィドと、再びテーブルの下に潜るローマン。
よく利く怪我薬の依頼人は。
アブナイ薬を売買するジェントルメンどもであった。
むすっとしているのは、錬金術師。
青くなっているのは、その『弟子』。
にこにことキツネのような笑顔なのは、依頼人。
阿片臭。
(…はー…)
内心でシルフィドはため息を吐く。
「ふっふっふ。俺らが怪しいクスリを売買してるからって、依頼を断ったりしないスよね?」
淡い金髪の、軽そうな外見。隙の無い目付きと身のこなし。
「そうだな」
そもそも、錬金術の品の依頼を引き受けているのは『退屈だから』だ。何もしないでいることほど、つまらないものはない。
「気は進まないけど」
正直に。
「あっはっは。まあ、そう言わず!」
ルークと名乗った依頼人の目付きが鋭くなる。
「俺らだってさ、なんつーのホラ、金になりゃ、なんだっていーんスよ!! ね。怪我薬が金になるなら、そりゃ乗り換えますって!」
「……。」
シルフィドが呆れたような目をする。
「量産できるようなモノは作ってないつもりだけど」
「します」
「…はぁ」
なんとなく、頷く。
「ねっ? だから俺ら、金になりゃ、なんでもいーんス。電子機器でも、西瓜でも人身売買でも」
ある意味、見上げた根性ではある。
「…ふぅん」
帰り途。
「し、師伯…」
シルフィドのローブの端を、ローマンが引っ張る。
「あ、あの」
引き受けたりしないですよね? ーーそう、尋ねようとした。
けれど。
やめた。
「ねっ、夜ご飯は何が食べたいですか? 海老チャーハンとビーフシチューだったら、どっちがいいですかっ?」
「だぁら、食わねーっての」
「でも、作ります! 味見くらい、してくれますよね? ねっ?」
「……はいはい」
ひゅう、と口笛。
切り傷、打ち身、なんにでも利く。さすがに、骨折は無理だったが。
「すげぇな」
「……」
単に薬、というより、魔法の薬。塗り薬だがーー、まるで、素子が生命をもっているような。
「これを、無料で?」
シルフィドは頷いた。さすがに、廃人を作って得たようなカネを受けとる気はない。ーー第一、使い途もない。
「ローマン」
依頼の薬を受け取った男は、訊ねた。
「戻って来るつもりはないか? 昔みたいに、面白おかしく暮らそうぜ?
」
「い、いいえっ、僕は」
「…ちっ。そうかよ」
魔法の薬は、彼の手の中。
それを彼がどうするのかはーーすべて彼の、意思次第。
物品は善悪を判断しないし、主人も選ばない。
錬金術師は品物は作るがーー厳密には『魔法使い』ではない。
「あのさ」
シルフィドは一言だけ、言い添えた。
「少なくとも、それがアンタの人生を、良い意味で狂わせてくれるよう祈ってる」
一瞬、驚いた顔をした男はーー。
「さぁな」
ニヒルにわらって、後ろ向きのまま、片手を振った。
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