お婆さんのことは、僕が幸せにしてみせますからっ!?
彼女はいつも、にこにこと笑っていた。
とある街の教会の前。
なぜだかいつも、そこにいた。
晴れの陽も、雨の日も、椅子を置いて、籠を置いて、籠の中には、山のような毛糸。
いつも真白い糸で、何かを編んでいた。セーター。マフラー。手袋。帽子。靴下。それから…。
「おやおや、ぼうや。飴をあげようねぇ」
石畳の上で転んだ。起き上がるのとほとんど同時。しわくちゃの手に何かを差し出されて、少年はそちらを見た。
「お婆さん。それは、石…ですよね?」
「どうしたんだい、ぼうや。飴、いらないのかい?」
少々不機嫌そうに、老婆は言う。
少年はしぶしぶ、ごつごつとした石ころを受け取った。
舐めるわけにもいかないので、ポケットにしまいこむ。
教会の鐘が鳴った。ーーもうすぐ、陽が暮れる。
斜陽は、教会の鐘楼を朱に染め、老婆の笑顔はどこか、この世のものにも見えない気がした。
「…あの、飴、ありがとうございます。もうすぐ陽が暮れますから、お婆さんも早く帰ったほうがいいですよ」
「そうだねぇ。帰る場所があればねぇ」
「…え」
彼女は、にこにこと笑っていた。
***
「…ただいまー…」
こそこそ、とローマンはあばら家に入る。
外見は質素な木製の小屋であるし、実際もそうであるのだが、主は割と普通じゃない。
スープがまだあったはずーー
こそこそと、台所へ。
物音を立てぬように、スープを木の深い器にそそぐ。
「あ。そうだ、それと、パンも…」
スープをぺちゃぺちゃと舐め、パンをむさぼり食う老婆。
スープは床に飛び散り、なぜか途中で飽きたのか、老婆は、パンの残りをぽいと投げ捨てた。
「あ~、もう。」
ローマンは床を拭き、掃く。
その間、老婆は我関せずと、編み物を続ける。
陽はとうに暮れ、辺りには宵闇が満ちている。
月もなく、真っ暗な森。
街からは少々、距離があるので、炊事の明かりも見えない。
真っ暗、である。ローマンは蝋燭を灯した。獣油の臭いが立ち上る。
老婆は編み物を続けている。
火の明かりが、ゆらゆらと揺れる。それにつれて、二人分の影も踊る。
「お婆さん、家は…」
「侍従長、飯はまだかいね? お腹と背中がくっついてしまうよ…。まったく」
「さっき食べた…、しかも捨ててましたよね?」
「…まったく。これだから最近のメイドはなってない。これなら、犬にでも給仕させたほうがマシだよ!」
「そ、そうなんですか…」
相槌を打ちながら、家の主の帰りを待つ。
待つーーが。
「あぁ…、数日くらい帰ってこないのかも…」
飲まず食わず眠らずでも、何ともない人物である。どこで何をしているのやら。
いつの間にか、うとうととしていたらしい。
呻く声で、目が覚めた。
「お、お婆さん?」
彼女は、獣のように、魔獣のように、呻く。
「ど、どうしたんですか? どこか苦しいんですか?」
「あぁぁああ、あぁああああ」
「うるせぇな」
耳慣れた、声。
「あぁぁああ、師伯!」
呻き続ける老婆、片耳を塞ぐ白外套の錬金術師、そしてそれに駆け寄る弟子。
「…犬とか猫なら分かるけどさぁ」
「だ、だってだってだって! 放っておけないじゃないですかぁ!? 捨ておばあさんですよ!」
ふ、と術師は吐息する。
「以前の人格を修復しろとでも? 無理だね。新しく作るならともかく」
「おばあさーん、おばあさーん、お名前はー?」
「よし子さーん! 飯だよ! 飯はまだかい!?」
「…うっせえなぁ」
「人でなしー!」
呻き続ける老婆。非難する弟子。ついでに言えば、抱えている厄介な仕事。
「なんでババアを拾ってくんだよ! オレに関係ないよな!?」
「ないですけど。ないですけど…っ!」
「ほ、放っておけなくて…」
「お人よしにも程があるわっ!?」
瞬間、老婆は、糸の切れた人形のようにふつりと、喚くのをやめ、猫のように丸まって眠り始めた。
優しく毛布をかけるーーわけではなく、シルフィドはそこにあった老婆の持ち物ーー真白い大量の毛糸を彼女の上へ。
「あぁあああ、お婆さんが毛糸に埋もれて眠れる美女…。」
コイツは、錬金術師を何だと思っているんだ、とシルフィドは思う。
「彼女の元の住まいは、王宮の離れだ」
「…えっ?」
「ーーけど」
シルフィドは視線をそらす。
「戻れないだろうな。彼らが捨てたんだ」
「捨てた…って、お婆さんを?」
「ああ。体裁が悪いだろ。さっきみたいなうめき声が、王宮から夜な夜な聞こえてきたら?」
「そ、そりゃあ…。」
ローマンは頷いた。でも、釈然としない。
「だ、だって…でも」
何かを嘲るように、術師はわらう。
「そういうものだろ」
「…う」
ローブの端を掴まれた。
ーーああ。やめろ、ソレ。
「何とかしてあげて下さい」
「無理」
「だ、だって。お婆さんが可哀想です…!」
「……。」
"可哀想? 彼女は何も感じていないさ"ーーどれだけ、そんな言葉が喉を衝いて出そうになったことだろう。でもーー違う。彼女には、ちゃんと感情はある。
「…あのさ」
弟子に目線を合わせる。
「はい」
「オレは、すべての答えを知っているわけじゃない。ーー お前も、考えてくれないか?」
「…師伯」
卑金属を金に変える。不老不死の秘薬を作る。
「ーーそれなのに、笑えるよな。ひと一人、幸福にできない」
錬金術師は、静かにそう吐き捨てて、白い毛糸に埋もれて眠る老婆を顧みた。




