ドラゴンと、絵と② 2/3
錬金術師たるシルフィドが苦手とするものは、この世にいくつか、ある。
「それで、おいくらなんですか!?」
この手合いの人間だ。
「"おいくら"ねぇ。あんたなら、いくらの値を付ける?」
眠そうに言うシルフィドに対し、鼻息も荒く、とある街の市長は、机の上に身を乗り出した。
「10万…、いや、5万だ!」
(この野郎。値切りやがった。)
内心の文句は顔には出さず、シルフィドは営業スマイルらしきものを浮かべてみた。
「5万ね。」
「い、いや、8万…? 8万で!」
(ハッキリしろよ)
市長ーー彼のとりまきなのだろう議員が、後ろで、青くなったり朱くなったりしながら、胡散臭い錬金術師と、我らが市長の商談?を見守っている。
「8万か」
「い、いや、やっぱり10万出す!」
シルフィドの顔に浮かぶのは、営業スマイル"らしき"もの。ーー実際は、単に呆れているのだが。
後ろにいたカイゼル髭と片眼鏡の議員が、呆れたように口を出した。
「…あのねぇ、術師殿。こちらは売っていただかなくても、一向に構わないのですよ」
「そうですね。僕も売らなくても構いません」
議員の間に、動揺が走る。
ひそやかな囁きが交わされる。
『我々の分は確保しなくては』
『そうだ! 最低限、それだけは…!』
『市長! 15万と言え!』
『しかし足元を見られては。我々にも予算が…』
「商談不成立、ですね。僕はこれで。」
踵を返し、出ていこうとするシルフィドに、議員たちが追いすがる。
「待ってくれ! いくらでも払う! だから、せめて我々の分だけは置いていってくれ!」
なぜかそのタイミングだった。
ふと、シルフィドは壁に飾られた一枚の絵に目を止めた。
新緑の深い森と清流を描いた、何の面白味もない風景画。そこには描き手の主張も存在もなく、ただ風景だけが写し取られていた。
木の葉のざわめきが。水の流れる音が聞こえるような、その絵は。
「ファゴット…」
「え?」
群がっていた議員たちが、動きを止め、術師の視線の先を追った。
何の事はない風景画。
「術師殿。その絵が何か…?」
「作者は?」
「…さあ。旅の商人が置いていったもので…。サインも何もないし、誰が描いたのか…」
「酸化クロム(緑)…、錫酸コバルト(青)…、二酸化チタン(白)…、同位元素組成に覚えがある。ファゴットのところに置いてあったものだ…、たぶん」
「? その絵が何か? 何でしたら、その絵を引き換えにしても」
「……。」
シルフィドはしばし、考え込む。議員たちは、固唾をのんで見守った。ややあってーー
「わかった、それでいいよ。10人分だな?」
議員たちは、手を取り合って喜んだ。
こんな、作者不明の絵一枚と引き換えにできるなんて、なんてツイているんだ!
踊りださんばかりの議員たちにしかし、シルフィドは冷ややかな視線を投げた。
「その薬の効果は保証しますがーー、あのひとは何をするか分からない。警戒は怠らないでください」
そう告げた錬金術師の言葉に、皆の表情が凍り付く。錆びついた蝶番の音でもしそうな様子で、市長が、ようやく口をひらいた。
「あ、あの、我々は、何か神の怒りに触れるようなことをしてしまったのでしょうか…?」
泣き出さんばかり。祈るように議員が尋ねた。
「…いや、別にしてないと思います」
曖昧に、術師は首を横に振った。
湖にほど近いその街では、数週間前から、ひとがゾンビになる奇病が流行っていたのである。
原因はーー不明。
表向きは、"不明"にしておくほか、ないのである。
石造りの市議会堂を出たシルフィドは、ひとつ小さく息を吐く。
畳一枚ほどもある大きな絵を譲られたので、ーー重い。
「エドウィン…、ったく。今度は何をやらかしたんだ…?」
"あのひと"の思い付きは唐突で、独断的で、迷惑極まりない。
尻拭い…を、別にする義務はないのだが、やはり、困っている人間がいれば、まるっきり無関心でいられるほどには、世を捨てきれない。
そして、絵である。
(なぜ、ファゴットの絵がここにある? ーー商人? ーーまさか。)
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「ファゴット!」
前触れもなく、一羽の白いカラスが飛び込んで来た。
ドラゴンは驚いた風もなく、それを迎える。
「やあ、ヒトの子。見てよ、これ!」
人間の街の最先端の宝石職人の技術でカットされたダイヤであった。
「来週にはこれを、そこの王冠に嵌めてもらうんだ。きっと素敵だよね」
「…どうしたんだ、それ?」
ヒトの姿に変わり、尋ねる白外套の錬金術師に、ドラゴンは得意げに鼻を鳴らした。
「買ったんだよ」
「買った?」
「そう。僕の絵を売ってね」
「売った? 誰に?」
「誰って…、ナマエなんか知らないよ。だって、人間ってみんな、おんなじに見えるし。とにかくね、黒い毛皮を着た人間がいつもやってきて、僕の絵を持っていくんだ。それでね、入れ替わりに、街から宝石を持ってきてくれる! 楽しいよね。絵が宝石に変わるなんて、人間の街は素晴らしいね。どういう風になっているのかな?」
「……。」
農夫。農夫と、農婦。農夫と、農婦と、子供。農夫と、農婦と、子供たちと犬。
馬。ろば。
旅人。商人。
ヒト。人。ひと。
そこには、彼がーーファゴットが出会った人間たちが、順番に描かれていた。
描かれる人物たちの初めの怯えるような表情は、次第に、はにかむような笑顔に変わっていた。
人間。人間。人間。
「……っ」
「ヒトの子?」
「ーー」
わからない。わからない。わからない。
「気分が悪いの? 水でも飲むかい?」
「ーーもう、その呼び方をするな。オレは、ただのーー」
「ねぇ、ヒトを描くのって楽しいよね。みんな違う表情をするんだ。楽しそうだったり、悲しそうだったり。見ていて飽きないよ。とっても楽しいね! ーー錬金術師。なんで、そんなに悲しそうなの?」
「ーーまた、そのうち遊びに来るよ、ファゴット」
「ああ。きっとだよ! この王冠に宝石を入れたら、君に見てもらわなきゃ」
「…うん」
吐き気がする。ーー頭痛がする。
ただのーー
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「…、師伯?」
いつもの声に呼ばれて、目を覚ます。
依頼の品を作りながら、机で眠ってしまっていたらしい。
「風邪を引かないのは知ってますけど、ーー」
もごもごと言いづらそうに、『弟子』が心配してくれる。
「心配ごとですか?」
「ーー違う」
「?」
確固たる答えに、『弟子』は首をかしげる。
「何でもないよ」
笑えているだろうか。ーー笑うフリには、未だに慣れない。
一方で、弟子ーーローマンはにこりとーー自然に笑う。
「朝ごはんを作ったんですよ! 食べなくても死なないのは知ってますけど、食べてください! 冷めちゃいますから!」
「…はいはい」
あのコマドリの雛たちは、もう巣立っただろう。
あのトカゲの子は、もう成体になっただろう。
あのドラゴンはーーどうしているだろう。
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