014 お代をいただいていませんよ【夏】
照りつける日射し。
「なんですか。あげませんよ」
石畳の広場は、通りは閑散としていた。
そんなに物欲しそうにしていたのだろうか。弟子に言われて、はっと我に返る。
「別にいらない」
「…、ほんとですかぁ?」
胡散臭そうにこちらを見る眼差しは、ヒマワリの種を抱えたリスみたいである。
思わず吹き出すと、さらに疑わしそうな眼差しに変わった。
「なんでもねぇよ」
「ほんとですかー? あとでほしいって言っても、あげませんからねっ?」
こんなに意地汚い弟子も、どうなのか。
真夏のシェナクラスの街は閑散としていて、猫一匹見かけない。
乾燥した灼熱の土地。真昼の最も暑くなる時間には、人々は日陰で昼寝をする習慣がある。代わりに夜は、遅くまで明かりがともり、賑やかだ。
珍しく真昼に露店を出していたジェラート屋があったのだ。
店主は居眠りをしながら、来るとも知れない客を待っていた。
冷たく、甘く。何の果物の果汁だろう。淡緑色の爽やかな味わいと、シャリシャリとした食べ心地。
「こんなに美味しいのに、お客さんがいないなんて勿体ないですね」
真昼の影は短く、足元に黒々と落ちている。
ある宗教関連の過激派が大規模なテロ。
政府は外出を控えるよう呼び掛けており、当然ながら旅人もほとんどいない。
何かの職業人らしい人影が、怯えるように時たま、物陰を走ってゆく。
明るい、明るい日射しは、今日はどこまでも陰鬱だ。
***
「あの~」
「うわっ!?」
気づけば、先ほどのジェラート屋ーー、人の良さそうな、痩せた年配の女性が、申し訳なさそうな笑みを浮かべて立っていた。
「先ほどのお代、まだいただいていないんですがね…」
「…あっ」
すがるように、蜂蜜色の髪の弟子が、見上げている。
師は、肩をすくめた。
「婆さん。願い事はないか? ひとつだけ、叶えてやれるーーかもしれない」
「はぁ……」
ジェラート屋の店主ーーマリーは眉をひそめた。
正気じゃないね、この変な連中。
第一、2日前に、市場に火薬を大量に積んだ馬車が飛び込んで、たくさんの人が死んだばかりだ。
その中には、彼女の友人もいた。
「そうさね」
店主マリーは、考え込む。
「おととい死んだ皆に、あたしのジェラートを届けてやりたいね」
少年が、青年の顔を伺う。
青年のほうはしばし目を瞑りーー。
「それは無理だーーけど。生きてる連中になら、食べてもらえる」
マリーは微笑んだ。
「なんだ、そんなこと。それくらいならあたしゃ、自分でやりますよ。さぁさぁ、だからね、お代をお払いなさい」
腰の左右に両手を当てて、マリーは迫った。
「…、ここの通貨、なんだっけ?」
青年は首をひねる。
「マリクル銅貨ですよ。そんなことも知らないで、まったく。どこのお坊っちゃんだい」
手品のように、青年がポケットから手を出すと、銅貨が握られていた。
ただし、表には見慣れない建物(平等院鳳凰堂)。裏には「10」と刻印されている。
マリーは再び、ため息をついた。
「それは違いますよ。ーーまったく」
「危ないっ!」
腕を引かれ、老婆は目を白黒させた。
「え?」
角のある獣に引かれた二輪の獣車が、轍先を考えない速度で走り抜けていった。
「あれは…」
マリーが震える。
「ああ…、なんてことだろうね」
向こうにあるのは王宮か。
かつては無政府主義者という呼称もあった。つまりは誰が統治者であれ、不満を持つ者がいなくなることは、ないのだろう。
数百メートル。向こうへ走っていった角獣は、見違えたようにおとなしくなってUターンしてきた。
「?、??」
マリーは首をひねる。
こんなに従順そうな角獣は初めて見た。
「やっぱり、火薬か」
荷を改め、白い外套の旅人がつぶやく。
(味を見ているが、果たして舌で火薬の味が分かるものだろうか?)
黒色の粉が、荷車にいっぱい。
ああ、忌々しい。
「婆さん」
「何だい。気安く呼ぶんじゃないよ。あたしゃね、それが大ッきらいなんだ。早く余所へやっとくれ!」
「ーーふふ。これなら、もっと上手い使い途がある。」
「?」
数日後ーー、深夜。
大きな炸裂音とともに、夜空には真っ赤な花が咲いた。
太陽の黄金色と、ピンク色と、アーモンドの花みたいな真っ白なのと、それからーー、あぁ、ブドウ畑の緑。
火によるアート。彼女は彼女の国の言葉で、それを、そう名付けた。
降る金色。
爆発音が響く度に、耳を塞ぎたくなるけれど。
「ーーあぁ、そうさね。そうだ、お代をまだもらっていませんよ」
再びジェラートをーーこんどは、オレンジをたっぷり使った酸味のある一品だーー食べる少年を横目にして、老婆は白外套の青年のほうに尋ねる。
亜麻色の髪の少年は、そちらを伺いーー。
気づけば、そこに誰もいなくなっていた。
「ちょっと、師伯ッ!?」
「ふふふ」
マリーは含み笑う。
空に咲く金色と赤の火。
街はまだ静かだけれど。
とりあえずもう少ししたら、ジェラートの材料を、もっと仕入れなくてはならないかもしれない。
夏のキーワードしりーず。「花火」「アイス」
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