012 後半【Higher than the Sky. 】
「ボルファ!」
愛しい魚の名を呼び、そよそよと泳ぎ寄ってきたのは、彼の3倍ほどもある体長の、麗しい雌鮟鱇である。
「ああ、アイリーン。今日も君は美し……」
「ノロケはいいから早くしろ」
恋人たちの睦まじい語らいを、錬金術師は阻害した。
「らんぐいの牙なんて最高!」
ボルファは、自分の3倍もある雌アンコウに、寄り添う。アイリーンは、その造形美を誇る口を開いて応じた。
「ああ、ありがとうボルファ! あなたも今日もとっても可愛いわ! 食べちゃいたい!」
「ははは、よせよハニー」
尾びれをひらひらさせて泳ぎ回る深海魚に、術師は冷静に告げた。
「……いちゃつくんじゃねえ、硬骨魚類」
「おいおい、硬骨を差別しちゃいかんな」
真顔(?)と、つぶらな瞳で抗議するアンコウに、竜宮の使いの姿の錬金術師ーーシルフィドは、内心で息をついた。
「だいたい、分かった。ーーアレか」
「うむ、あれだ」
ボルファは、この深海においても煌々と光る虹色の煙ーーのように見える、液体の奔流を、頭部のチョウチンで示す。
「私も術師の端くれだ。あれが危険なものとは判る」
「不法投棄、だな」
「ヒトには、法などあるのかね?」
丸い深海魚ーーボルファの言葉に、細長い深海魚が、心の中で苦笑する。
「あるよ。明文化してヒトを縛るーーひどく為政者の利己的な法が、ね」
「それで」
脳裏に響くボルファの思考が、真剣なものになる。
「我々は、あれにひどく困っているのだ」
リュウグウノツカイは、ボルファの言葉に、肯定を返した。
***
その惑星には、機械の国がある。翼のある「ヒト」たちはその能力によって高度な文明を築き、繁栄を謳歌していた。
ひときわ大きな施設は、給翠塔だ。別の惑星で発掘されたミスリル銀を素材にし、その金属を普通の銀に変換する際に出る莫大なエネルギーを、取り出す。
その際に、イリシアと名付けられた虹色の物質が副産物として出来るのだがーー。彼らはこれに使い途を見いだせずに、自然界へと、捨てていた。
【higher than the sky】
爆発音。急速な酸化反応に巻き込まれたミスリル鋼の機体は失速し、制御を失う。
それの行方も見届けないまま、その翼部から、白い人影が跳びすさる。
「撃て! 撃てェエエエ!!」
司令官は命じる。
彼はもはや、半狂乱であった。
ありえない。
気まぐれにヒトに奇跡を与える銀の聖者。
それが、なぜ。
また一機、墜ちる。
機械の国の技術の粋を集めた翼が。
「なぜだっ! なぜーー」
落ち行くミスリル機の背中から、また。
それは『跳ぶ』。
飛翔ではなく、滑空でもなく。
ただの跳躍である。
「ば、バケモノめ…!」
『『彼ら』を追い詰めたのは、あんた達だぜ。ーーま、下っ端には、わからんよな』
通信に強制介入。ーー何の機器も持っていないように見えるのにーー。
「ーー貴様、本当にヒトかっ!?」
『は?』
「彼」は、ひどく機嫌が悪そうに、わらった。
『ヒト? 何処に』
黒い瞳は何も映さず、銀の髪は、高空の風にはためいている。
そして彼が指し示すのとともに上空から降り注ぐのは、無数の微小な隕石か。
どこから現れた?
『(陽子数変換ーー)』
感情はない。悼みも、悲しみもない。ただ、信じるものは、物質の存在のみ。
変換された酸素に、足りなくなった電子を奪われ、周囲の窒素分子が帯電する。
悲惨な、雷が落ちた。
余談ではあるが、錬金術師は、滞空できない。ゆえに、支えが無くなれば落下する。
地面にぶつかる直前、光が満ちーーそして、彼の姿は、掻き消えた。
***
「あぁ…、ボルファ、あなたって今日もステキ…!」
「そうだろう、そうだろう、ハニー」
「いちゃつくなっての。硬骨魚類」
数日後、ーーいや、数週間後? 暗黒の深海にては、日の周期など、さしたる意味もない。
ともかくも、「いつもの方法」とボルファが呼ぶひどく不便な方法で連絡を取ると、錬金術師は、再び、彼らの棲み処を訪れていた。
リュウグウノツカイは、何か小さなものを、尾びれで掴んでいる。
「ーーそれと。ジョブズはやってくれた。深海用のiPhoneだ」
「ーー分かった。口の中にしまっておくとしよう。ちなみにLINEはやっているかね?」
「LINEとTwitterはきらいだ」
身も蓋もない返事に、ボルファは苦笑した。
「ああ、それでだね錬金術師殿。今日、君を呼んだのは、他でもない。卵から生まれてくる我々の幼生に何か贈り物をしたくてねーー何がいいかな」
くすり、と、白く細長い姿のリュウグウノツカイは"わらった"。
「海よりもなお深く、空よりもなお高いものを」
きょとん、と顔を見合わせーー深海魚の雄雌は、"ほほえみ"合った。
ああ、それなら大丈夫。たしかに、最高の贈り物になるだろう。
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