011 前半【Deeper than the Sea, 】
【Deeper than the Sea, 】
海に降る雪。 プランクトンの排泄物や死骸が海底へ沈んでいく様子を雪にたとえたものーー。意外にも、それを名付けたのは、極東の研究者たちである。
ただ、それは、上空からの光、あるいは何らかの光源に照らされてのもの。
水深、8000メートル。所謂、深海である。1平方センチ辺りにかかる圧力は、約800kg。地上の大気圧のもとで暮らす人間の細胞では、それを支える蛋白質が、圧に耐えきれずに変形するところ。
地上の人間には、奇異に思える形態の深海魚たちでさえ、この深さでは、まばらである。
そこに、ひとがひとり、浮かんでいる。
眠るでもなく、かといって覚醒しているふうでもない。生きているのか、生きていないのか、ただ、ゆらゆらと。
翻る白い外套は、海の何かの生き物にも見えた。
「炭素、炭素、炭素…。生命の定義は数あれど、炭素、の一言に集約してもよいかもしれぬな」
頭の中に声が響く。ーー「彼」は、静かに目を開けた。
「いい加減、ケータイくらい持て。連絡が不便なのにも程がある」
あまり表情を変えない青年の言葉に、ふよふよと泳いできた、アンコウに似た深海魚ーーボルファは応じる。
「800の水圧に耐えうる電子機器か。ーージョブズは、やってくれるかね?」
「奴はもう墓の中だ。ーーあるいは、天の国か」
「ほう? 物質主義の錬金術師が、神の国は信じるのかね?」
ボルファが愉快そうに笑う感覚が、頭の中に届く。
「悪いか? 上を見られないなら人間は、どこまででも堕ちるーー反吐が出るほどに、な」
「悪いが、それには興味がないよ、術師。ーーさて、依頼だ」
「勘違いするな。ーーオレは、誰の頼みも聞かない」
ぷい、とそっぽを向く年若い『錬金術師』を前に、深海魚ーーボルファは苦笑する。
「ああ、そうだな、そうだ。私の話を聞いてくれれば、それでいい。聞いてどうするかは、君の自由だ」
「ご理解いただけて何より」
青年の髪が、ゆらゆらと揺れる。
「ーーときに、錬金術師殿。その姿が、余程気に入っているのかね? 私としては、ヒトほどグロテスクな外見の生き物は、いないと思うのだ。」
「ーーはは。これは失礼。八百万作れば、神も飽きて戯れる」
竜宮の使い。白光が一瞬、辺りを満たしたかと思うと、次に、白く細長い姿の深海魚が、忽然と現れた。
「行こうか? 急ぎの用なんだろ?」
「まあね。」
ボルファは、尾びれを返し、身をひねる。白く細長い深海魚も、それに続いた。
***
後編へ続きます。
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