01 銀の術師と、機械の小鳥
漆黒の支配する空間に、瞬くのは星々。
大規模移民船の窓からは、その光景がよく見えた。
「師伯、し~はーくーー」
その宇宙港のロビーを、飴色の髪をした少年が駆けていく。肩にはカバン。
その追いかける先には、一人の青年ーーいや、女性? 中性的な顔立ちの人物が、黙々と早足で歩いている。
「待ってくださいよ~、ねえ、ねーったらーー」
件の人物に、立ち止まる気配はない。それどころか、足を速めた。
「あぁっ?! 僕を置いて逃げる気ですか!? 師伯ーーっ」
少年は必死で追いかける。--が、いっこうに追いつけそうにはないのだった。それでも、追いかけるのだけれども。
*
「師伯ー、しーはーくーったら。いい加減に返事してくださいよ~。でないと僕が、一人二役でしゃべりますからね」
「・・・勝手にしろ」
ぼそりと、鈴の鳴るような声が応じた。透けるような銀の髪と、オニキスみたいな黒い瞳。異国の肌の色をして、青い外套をまとっている。背はあまり高くなく、人ごみに紛れればすぐに分からなくなる程度だ。
対し少年は、同じくらいの背丈ではあるのだが、誰もが振り返るような不思議な魅力を持っていた。
宇宙港の一画、自動販売機の並ぶ待合いスペース。
懐から取り出した小型の端末を、青年は操作する。
いくつかのウィンドウが立ち上がり、そして消えた。
「師伯~?」
「お前うるさい。その辺に捨てて帰るぞ」
「ほんとですか?! わぁ、そうなったらどうしよう。映画みたいに、美女に拾われたりして~」
少年は陽気に笑う。対し青年は、はぁ、とため息をついた。
「依頼者の頼みは”永遠の命”--ま、尽きせぬ人類の夢ってやつだな」
「へー、永遠の命ですか」
永遠の都ハーフエメラルド。成り行きとはいえ、その住人となったこの少年にはもはや、それは備わっているといえる。--もっとも、平常の暮らしをする上では、という意味であって、無限の再生能力を備えているわけではないのだが。
「何で引き受けたんですか? そんなもの。師伯ならあっさり断るのかと思ってましたけど」
少年が首をひねる。
表情を微塵も変えないまま、黒い瞳の青年が応じた。
「エドウィンの頼みだ」
「あのケバイ人ですか」
「いくらケバくても錬金術師としての実力は俺より遥かに上だ。逆らうと後がつまらない」
「へー・・・」
通り過ぎた美女の美しい脚線美に、少年の目が釘付けになっている。
ぐい、と青年がその襟首をつかんで引き寄せた。
「何が見えるんだ? あァ?」
「な、何でしょうねー。師伯も男だったら見とれてみたら?」
「遠慮こうむる」
ふいっとそっぽを向き、襟首を離し、すたすたと再び歩き始める。
少年はあわてて追いかけた。
「あぁっ? 待ってくださいよーー!」
*
錬金術。卑金属を貴金属に変える方法を研究した学問のことだ。
銅や鉄から、金や銀がとれないかーーと。
西でも東でも、その学問は、一時期隆盛を極めた。
しかし、次第に廃れていくーー。なぜなら、それは単なる人間の期待の作り出した幻影だったのだと、気づいてしまったから。
しかしーー
これは伝説だ。
雪深い高山の峰々が連なる場所の、遥か向こうに、永遠の都があるのだという。
エメラルドで出来た街路、波打つ水路と見えたものは、サファイヤの彫刻。水晶の樹木に実るのは、真っ赤な紅玉。道行く人々は皆若く、病めるものはいない。清涼な風が吹き抜ける広場の向こうには、黄金で出来た光り輝く宮殿がそびえ立ち、その宮殿には、すべての錬金術を修めた王が住むのだというーー。
「そりゃあ師伯は殺しても死にませんけどー」
宇宙港を出て、ギガンティック・ノアの通路ーー公園のようになっているーーを歩きながら、少年のほうが言う。
「悪かったな、不死身で」
「悪くないですけどー」
機械の小鳥が、二人の視界を、さえずりながら横切っていった。
青年が一瞬目を細めて表情を変えたのを、少年ーーローマンは見逃さなかった。
「かわいいですね」
「・・・べつに」
そっけなく答え、青年は黙々と歩いていく。
「だから待ってくださいったら!」
少年は追いかける。
*
「・・・来てくれたんだ」
ベッドから起き上がった少女が、ぱちくりと目を瞬いている。
相も変わらず愛想のない顔で、青年は応じる。
「エドウィンの頼みだ」
「えいえんのイノチが欲しいのはね、飼っているクロなの」
「・・・クロ?」
青年が首をひねった。
「犬だよ。とっても賢いし、人懐こいの!」
「・・・っふ」
「師伯?」
急に息を吸い込んだ連れに、少年は怪訝そうな顔をする。
「・・・っはは。それで? そのクロは病気か何かかい?」
「ううん」
少女は首を左右に振った。
「クロはね、あたしのたった一人の親友なの。・・・ねぇ、もし、あたしが明日いなくなっても、クロは覚えててくれるでしょう? そうしたら、あたしはいなくならない。--そうだよね?」
「--さあ? どうかな」
あいまいに、青年は応じる。
「君がそう信じるなら、それは君にとっては真実なんだろう」
「--うん!」
元気よく少女は頷き、両手で、黒い毛の塊を青年に向けて差し出す。
「さあ、クロを不老不死にして?」
犬が、青年の伸ばした手に向けてうなり声を上げる。
「どうしたのかな? クロ、いつもは大人しいのに」
「さあね。分かるんだろう、俺が、--人の気配がしないって」
「人の気配がしない? お兄ちゃんは、人間じゃないの?」
のどの奥で、青年は小さく笑った。
「昔は、人だったさ。賢者の石を得たものは、もはやもうヒトとは呼ばれない」
「じゃああなたは、何?」
「--錬金術師」
青年は答え、黒い小型犬に向けて手を伸ばす。
犬のうなり声は、ますます大きくなる。
急に不安を覚え、少女は犬を胸元に引き寄せた。
「--やっぱり、ダメっっ!」
「--へえ? どうして」
青年が尋ねる。
「クロが怯えてるもの」
「・・・ふぅん?」
青年はそれだけを口にし、さっさときびすを返した。カバンを肩に下げた少年が、慌てて追いかける。
「あぁっ?! 師伯、待ってくださいったら!」
*
「どうしちゃったんですか? 何か不機嫌じゃないですか?」
「不機嫌も不機嫌さ。毎日が日曜日だったら? 一年が1000日あったら? 一生に限りがなかったら? --人間はね、叶いもしない夢を語り、そしてその夢がかなわないことに安心して暮らしているんだ」
「それがいけないんですか?」
「--べつに? いけなくはない。ただ、こんな宇宙の最果てまで出向いて、何の仕事も無しとはーーつまらないなと思っただけだ」
「・・・ふぅん?」
少年は首をかしげた。その視界の端をまた、機械の小鳥が飛んでいく。
「機械って分かってても、本物みたいですね」
「・・・そういうものかね」
錬金術師には、その物質の組成すらをも視ることができる。彼の目には、生きた小鳥と鉄の小鳥は、明らかに違うものだ。
--そう、この目の前の血の通った人間と、自分がまるで別物であるのと同じくらいには。
「・・・人はさ、そこに幸せがあるのに手を伸ばせないおかしな生き物だ」
「変えるのが怖いからですよ。何度も繰り返された『日常』こそがその人であって、それ以上でもそれ以下でもないんです。夢を見るのは、夢を見たいからであって、叶えるためじゃないんです」
「そういうものかね」
宇宙港に帰りの便が入っていくのが見えた。
--さて、帰らなくては。
END
あとがき
読んでくださった方、ありがとうございます。
〔2940文字〕
アストロラーベ… 天体の動きを演算する器具。