第4話 村の視線
森を抜けた瞬間、世界が一気に広がった。
目の前には黄金色の草原がどこまでも続き、風が吹くたびに波のように揺れていた。
遠くに見えるのは、煙突から白い煙を上げる小さな村。
リリアが誇らしげに言った。
「ようこそ、アルド村へ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が少しだけ熱くなった。
――“人のいる場所”。
転生してから初めて感じる、安心というものだった。
「わぁ……すごいな。ちゃんと人が住んでるって感じだ」
つい本音が漏れると、リリアが苦笑した。
「当たり前よ。でも、あまり目立たないようにしてね」
「なんで?」
「この村は閉鎖的なの。外から来る人間は珍しいのよ」
そう言って、彼女はフードを深くかぶった。
俺もそれにならって、顔を少し伏せる。
草を踏む音と、遠くで風車が回る音だけが聞こえた。
歩くたびに、胸の奥が少しずつ高鳴っていく。
けれど同時に、どこか落ち着かない。
まるで――“異物が混ざること”を、世界そのものが拒んでいるような。
村の門は木製で、古びていたがしっかりとした造りだった。
見張りの男が二人、槍を持って立っている。
リリアが先に進み出ると、彼らはすぐに頭を下げた。
「おお、リリア様! お帰りなさい」
「ただいま。森の様子を見に行っていたの」
「それはご苦労様です。……そちらの方は?」
見張りの視線が、俺に向けられる。
無言のまま、じっと観察するように。
その視線には、警戒と――少しの恐れが混じっていた。
「旅の途中で迷っていた人よ。怪我をしていたから、保護したの」
「……そうですか。ですが……」
男の言葉が途切れる。
俺と目が合った瞬間、なぜか一歩後ずさった。
なに? 俺そんなに怖い顔してる?
「大丈夫。この人は危険じゃないわ」
リリアがそう言っても、男たちは戸惑いを隠せない様子だった。
だが、リリアがこの村で信頼されているのだろう。
しばらくの沈黙の後、門が開かれた。
村の中は穏やかだった。
土の道の両側に木造の家が並び、井戸のそばでは子どもたちが遊んでいる。
パンを焼く香ばしい匂いが風に乗って流れてくる。
――これが、この世界の日常か。
けれど、俺たちが通り過ぎるたびに、周囲の声が次第に小さくなった。
笑っていた人が黙り、子どもたちが母親の後ろに隠れる。
誰も何も言わないけれど、視線だけが刺さるように痛い。
「……なんか、見られてる気がするんだけど」
「気のせいじゃないわ」
リリアが小声で答える。
「この村の人たちは、魔力に敏感なの。あなたの持つ力が、知らないうちに伝わってるのよ」
「魔力って、そんな簡単にバレるの?」
「普通はね。でもあなたのは“異常”なの。抑えきれていないのよ」
自覚はない。
けれど、彼女の言葉を聞いて妙に納得してしまった。
さっきのゴブリン戦でも、力が勝手に出た。
俺の中にある何かは、たぶん俺よりも俺をよく知ってる。
「……怖がらせてるのか、俺」
「今のところは、ね。でも心配しないで。私が保証する」
リリアはそう言って、少しだけ笑った。
その笑顔が、不思議と胸の奥に温かく染みた。
村の中央にある広場を抜け、少し離れたところに小さな木の家があった。
蔦が絡まり、花が窓辺を飾っている。
彼女は扉を開けながら言った。
「ここが私の家よ」
「おじゃまします……」
中は質素だけれど、整っていた。
棚には薬草の瓶が並び、テーブルの上には地図や魔法書のようなものが広げられている。
リリアが村を守る役割を持つというのも、納得できる空気だった。
「とりあえず、ここで休むといいわ。村長に報告してくるから」
「わかった。……なぁ、リリア」
「なに?」
「ありがとな。助けてもらって、村まで案内してもらって」
リリアは少し目を丸くしてから、小さく笑った。
「礼なんていいのよ。あなたを放っておけなかっただけ」
そう言い残し、扉を開けて出て行った。
彼女が去ったあと、部屋の静けさが少しだけ重く感じた。
机の上の地図に目をやる。
見たことのない文字。けれど、なぜか一部は読める気がした。
“エルフェリア領 南部境界”。
リリア・エルフェリア。
――彼女の名前だ。
つまりここは、彼女の一族が守ってきた土地ということか。
そのとき、外で人の声がした。
耳を澄ますと、扉の向こうで小さなささやきが聞こえる。
「ねぇ、あれが森から来たっていう……?」
「うん。リリア様が連れてきた男だって。魔物を一撃で倒したらしい」
「怖い……。村に置いて大丈夫なの?」
胸の奥がずきりと痛んだ。
噂は、もう広まっている。
俺が何をしたわけでもないのに、怖れられている。
――そうだよな。
自分でも、何をしたのか分かってないんだ。
怖いのは俺自身も同じだ。
拳を握りしめたそのとき、扉が開いた。
リリアが戻ってきた。
少しだけ眉をひそめている。
「やっぱり……噂になってるみたいね」
「聞こえてた」
「ごめんなさい。止めようとしたけど、みんな警戒心が強くて」
俯いた俺の前に、リリアが椅子を引いて座った。
その瞳はまっすぐで、強い光を宿していた。
「ユウト。あなたが何者であっても、私は信じるわ」
「……なんで、そこまで?」
「だって――あの時、私を守ったでしょう?」
ああ。あのゴブリンのとき。
無意識だったけど、たしかに彼女の前に出た。
「それに、あなたの力は危険だけど……人を救える力でもある。使い方次第よ」
「使い方……」
「ええ。あなたが望むなら、私が教えるわ。魔力の扱い方を」
その言葉に、胸の奥が少し震えた。
俺のこの“異常”を、否定せずに受け止めてくれる人がいる。
それだけで、息が楽になる。
「……リリア。ありがとう」
「お礼はまだいいわ。あなたが本当に制御できるようになるまでは、ね」
ふっと笑う彼女の横顔が、窓から差す光に照らされた。
その光はまるで、闇の中の灯のように優しく見えた。
夕暮れが近づく。
村の鐘が鳴り、人々が家に帰っていく。
窓の外から、子どもの笑い声が小さく聞こえた。
――きっと、いつか。
俺もこの世界で、誰かと笑える日が来るのだろうか。
けれどそのとき、リリアの声が小さく響いた。
「ユウト……」
「ん?」
「あなた、本当に“ただの人間”じゃないのかもしれない」
彼女の目には、静かな覚悟と少しの恐れが混じっていた。
その言葉の意味を、俺はまだ知らなかった。




