12話 魔獣7
「アル……そんな風に思ってくれてたのね……
うれしいよ――――とても」
花音の黒曜石の瞳に 雫が浮かび上がった。
「でも……
殺されそうになった時、私 親の顔も浮かばなかった。
私は きっとすごく薄情な人間だよ。 アルの事しか浮かばないなんて……」
花音は涙が落ちる前に顔を伏せようとしたが、アルフレッドの手が下顎を捕らえると 彼に顔を向けたまま、涙を一筋零した。
そんな彼女の涙に アルフレッドはくちづけると、彼の顔はこれ以上はないほど満面の笑みを浮かべていた。
「カノン。 悪いけど、それ 無茶苦茶うれしいよ。
カノンの心が 僕で一杯になっているなんて……物凄く うれしい」
そう言って、頬にまた唇を落とした。
「ゴメンね、カノンは何も悪くない、薄情なんかじゃない。 全部僕が悪いんだよ。
僕がカノンをこの国に無理やり連れてきて、家族から引き離したんだ。
だから、みんな 僕の所為だ」
そう言いながらも、アルフレッドは嬉しそうに笑っている。
「私がアルを好きになってしまって、家に帰りたくなくなったのも?」
すこし拗ねたように花音が問う。
「僕の所為」
今度は頭頂に くちづけた。
「私の心が、アルで一杯になってしまったのも?」
「僕の所為」
額に一つ。
「カノンが家に帰れないのも、僕の所為。
巫女という役目を無理やり押し付けられたのも、僕の所為」
自分の所為だと言う度に、アルフレッドは花音のそこかしこにくちづけを落とす。 そして、艶やかな笑みを浮かべて
「だから――――僕の全部をカノンにあげる
心も、体も 命も 未来も……全部、カノンにあげる」
最後は額と額を合わせると、アルフレッドは まるで祈るように 花音に言葉を捧げた。
「アル……」
「――――だから、僕の傍にいて――――君を放したくないんだ」
熱い吐息で呼びかけるアルフレッドに、花音はチロリと上目遣いで睨みをきかせると
「嘘つき」
はっきりと、しかし 照れを多分に含んだ声で花音が言った。
「全部は貰えない。アルは自分の役割を投げ出さないから……
今日だって――――」
「あああ、ゴメン。 そうだね。
困ったな。
そういう所以外の全部……ではダメかな?」
降参という風にアルフレッドが笑い出した。
「…………仕方ないなぁ」
花音がクスリと笑みを漏らす。
「込み……でいいよ。
逃げずに頑張るところ 尊敬しているから。
私には出来なかった事 だから……
そのかわり、必ず戻ってきてくれるって 約束して。
私の隣に帰ってきて。
絶対 独りにしないで」
花音が真顔になった。
「約束するよ。
何があっても 必ずカノンの傍にいる。
僕の帰る場所は、カノンだけだよ」
アルフレッドも真剣に答えた。
「じゃあ、私の居場所も アルの傍だよ。
アル。
私
帰らない。
もう、何処にも行かない。 アルの傍にいる」
彼を真っ直ぐに見る濁りの無い花音の瞳は、神秘的な輝きを帯びて アルフレッドの心に幼い頃から空いていた闇を温かいもので埋めた。
「うれしいよ。 カノン」
アルフレッドは 溢れ出す喜びに 生まれて初めて満たされた。
思わず 花音を強く抱きしめてしまい、
「役に立たなくても、他の美人に目移りしても、返品は不可だからね。
帰れって言っても、帰ってあげないからね」
と、アルフレッドの腕の中で 花音が注文をつけても
「うん。 浮気はしないよ。 カノンだけを愛するよ」
甘い言葉だけがこぼれる。
「私は欲張りだから、アルの全部を欲しがってしまうよ?」
「欲しいだけ あげる」
「我儘も言うよ?」
「好きなだけ 言って」
「死ぬまで、私だけを愛してくれる?」
「僕の命が尽きる瞬間まで カノンだけを愛する事を誓うよ」
二人だけの部屋に 静かで神聖な空気が流れた。
「じゃあ。
私を あげる。
アルフレッドに、私をあげる。
私はアルフレッドのもので、アルフレッドは私のものだよ」
互いに見詰め合う二人の間を隔てるものは もうなにも無かった。
「ああ――――僕はカノンのもので、カノンは僕のもの――――なんて甘美な言葉だろう」
アルフレッドは 喜びを噛み締めるようにカノンに唇を寄せた。
花音も柔らかな笑みを浮かべながら 自然にそれに答えた。
初めは啄ばむように、そして 徐々に熱情を帯びて……
お互いが お互いを見出した彼らに それ以上言葉は要らなかった。
次回からはシードと雪羽の話に戻ります。