6話 魔獣1 ~side花音
花音がぐるぐる悩んでいます。
アルが第2師団の訓練で 宮を3日空けた最後の夜は、灰色の厚い雲が 月だけでなく音まで覆い隠してしまったような 静かで重い夜だった。
私は蒼玉宮の居室でソファに座り いつもと変わらず侍女のエマのように 湯上りの髪を乾かしてもらっていた。
念入りに髪の手入れしながら、エマがふと口を開いた
「お淋しゅうございますね」
え? 何の事?
私が怪訝な顔で振り向くと
「明日の夕刻には、お戻りになられると 侍従長が言っておりました」
にっこりと微笑まれる。
ああ。 アルのことか。
「別に…… 待ってないし……」
反論してみるが、効果の無い事は実証済みである。
アルが常に、『カノンは照れ屋さんだね』とか『素直じゃないな~』とかいうものだから、侍従も侍女も皆して私の事を 誤解してしまった。
私がアルに関して どんなに文句を言っても、愛情の裏返し的に捉えられてしまって 今のエマの様な暖かい眼差しで 見守られてしまうのだ……
私は小さく溜息を一つ吐くと、明日にアルが帰るなら 今夜くらいは 皆、ゆっくりするようにと エマに言伝て、下がらせた。
アルが居ると来客も多いし、何かと用事が増える。 人手が足りない訳ではないのだが、余ってもいない。
彼らにも 羽を伸ばす日があっていいだろう。
私はソファから立ち上がると うん、と伸びをして室内を見渡した。
壁に取り付けられている光源不明の照明からは黄味がかった光が放たれ、広い部屋をやわらかく照らしている。
陰影の濃い部屋は物音一つせず、自分以外 誰も居ない事を静かに教えてくれる。
(この部屋、こんなに広かったっけ……)
金髪頭の派手な男一人が居ない所為で こんなにも部屋が味気なくなるものだろうかと、王子様の存在感に少し感動しながら
(そういえば、こっちに来て2ヶ月近く経つけど アルと離れるの初めてだ)
3日間アルと離れたことで 隣にアルがいることに慣れてしまった 自分に気が付いた。
一人で居る事なんて平気なはずなのに……
子供の頃から両親は不在がちだったし、お手伝いさん以外に家族がいることなんて 滅多になかったから、人の気配がしない方が普通だった。
それなのに、決して暗くはないはずの部屋が 仄暗く見えて、背筋がゾクリとした。
その感覚を誤魔化すように 私は寝室に向かいドアをぴったりと閉めると、ベッドに腰を下ろして一冊の本を手に取った。
その本は、さまざまな花木が繊細な筆遣いで手描きされている 文字を覚えたての子供向けの物だった。 さすが王宮の図書館所蔵の物だけあって 絵本というより画集と言う方が相応しい。
ベッドの読書灯を点けると ゴロリとうつ伏せに寝そべり、その本を開けた。
文字が読めないのは、思っていたより かなり不便だ。
ちょっとしたメモの意味も解らないし、意思の疎通が会話のみになると 手間が掛かる。
それに、この世界は娯楽が少ないから、夜が果てしなく長く感じる。
本でも読まないと、時間を持て余す。
なにより、自分がバカになったみたいで、耐えられそうにない。
元の世界に帰ってから何の役にも立たない言葉を覚える事に躊躇していた私を踏み切らせたのは、永山さんだった。
こっちに来てから3週間程経って ようやく永山さんと会うことが出来た。
その時、彼女と話してお互いの状況を確認したんだけど、永山さんは 家に帰れない事情があるからと、この世界に3年留まる事に決めたそうだ。
そして指輪無しでも不自由しないように、すでに公用語を勉強していた。
私は彼女の事を誤解していた様だ。
あの子は、以外に強い。
永山さんは、自分の言いたい事を言えずにいじめられていた気の弱い子では無く、状況に応じて生き抜く強かさを持っている子なのではないだろうか。
私はといえば、現状を受け入れているとは 言いがたい。
元の世界に帰る事も、アルと共に生きていく事も決められずに アルのお陰で何不自由無く快適に過ごている……
こんな中途半端じゃ、ダメだよね。
ベッドの上で膝を抱えて、頭を膝頭にコツンと乗せる。
私、変だ。
今まで、家柄や財産目当ての男たちを信じられないなどと言ってきたのに、いざ 自分自身の価値で勝負することになったら 自信がまるで無いなんて……
だって、後宮の女の人達って とんでもなく美人でスタイルも抜群にいいんだもん。
そりゃ、日本の女子中学生の中でなら 少しは可愛いはずだと言えるけど、選りすぐりの西洋美人と日本人を比べる時点で間違っていると思う。
根本的に造りが違うんだから。
それに 魔法のある世界で、言葉も違う常識も違う中で 自分の中身でどうやって勝負するんだろう?
性格?
考え方?
キャラ?(癒し系じゃないよね?絶対)
ああ…… 自信ない、それ。
美人慣れしているアルの目に、自分がどんな風に映るのかなんて 想像出来ない。
毛色の変わった女が珍しいとか……
戦争が終わってからも影響力があるっていう、巫女として珍重しているだけかも。
いっそのこと、私に愛想が尽きれば 二人の間に距離が出来、帰り易くなるのではと 冷たい態度や我儘を言ってみたりしたけど、全く変化が無かった。
むしろニコニコ、献身的。
あれ?
王子って、M系?
甘い言葉をかけたり、スキンシップ過多の割には 押しが強くないしS系ではないと思うけど。
頭の中がグシャグシャになってきた……
そもそも 私は、アルのことを どう思っているんだろう?
それが一番大事だろう?
……。
考えたくない。
ぽすん と横向けに倒れこんで枕に顔を埋める。
だって、フェアじゃあない。
ここは異世界で、元の世界には 簡単に帰れなくて、
アルは王子様で、
紳士で、
かっこよくって、
優しくて、
しかも私の事が好きとか言ってて、
すごく大切にしてくれて……
これで、アルの事を好きにならない女の子なんて いないと思う。
でも、それってどこか釈然としない気持ちが残るんだよね。
ある日、「カノンが運命の女だと思って愛してきたけど、もっと好きな人が出来たから帰って」なんてアルに言われたらどうする?
ほら、人魚姫の王子様は 別の娘と結婚しちゃうよ?
それに後宮は側室OKだしね……
自分で考えていて、落ち込んできた。
アルがそんな人じゃないだろうって、私も思っている。
でも、
『好きになっちゃった。 しかも、とっても』
なんて認めたら最後、帰れなくなるでしょ?
そう感じたから、今まで突き詰めて考えないようににしてきたけど
なんだかそれも限界にきているみたいだ。
アルに「カノン」って呼ばれるだけで、心が温かくなる。
もっと呼んで欲しいと思う。
アルの傍でなら、素直に笑えそうな気がする。
でも、自分から飛び込むのは 怖くて、怖くて、怖くて……
裏切られたらどうする?
今のままなら、いい思い出で終われるから、嫌われて 家に帰ろうって囁く自分もいる。
「好きだから 愛されたい」と「怖いから 逃げ出したい」の狭間で
私の心は定まらずに 揺れ続けている。
今日もまた、気持ちを決められないまま眠りにつくのかと
そっと 目を閉じた時――――
カシャーン
隣の部屋で、物音がした。
耳を澄ます。
パリン
ガラスの割れる音がする。
(何? 誰かいるの?)
カシャン
カシャン
続いて2度ガラスの割れる音がした。
窓から何かが投げ込まれたようだ。
?
一体何だろうと、そっとドアを開ける。
部屋の中に 何かの影が浮かんでいる。
ユラリ
影が動く。
思わす、ドアを閉める。
胸はドキドキと早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝う。
こめかみを流れる血流の音が煩い。
ヤバイ。
本能が危険を告げている。
一目見ただけだけど 隣の部屋に居る物は、自分の知る何にも当てはまらない『生き物』だった。
光まで吸い込んでしまったかのように それは黒いシルエットでしかなかった。
でも足が4本、手が4本。
明らかに化け物的な奴だ。
手には鋭い鍵爪が付いていた。
息を殺して、そうっとドアの鍵を閉める。
ドアには術式が組み込まれていて、簡単に破れない構造になっていると聞いていた。
そして、足音を立てないようにドアから離れ、ベッドの向こう側にうずくまった。
歯の根が合わずに カチカチなってしまう。
親指を噛んで音を消し、必死で呼吸を整える。
落ち着け!
落ち着け!
自分に言い聞かす。
このまま見つからなければ、あれは どこかに行くかもしれない。
どうか、気付かずにどこかに行って!
祈りも虚しく――――
ガリッ! バリッ!
ドアを引っ掻く音がした。
次いで
グオオオオォォォグワァァァ
全身が総毛立つ様な 咆哮が上がり、今度は激しくドアがガタガタと揺れ始めた。
私は恐怖で震えながら、必死で自分に言い聞かせる
大丈夫。
今の声で、誰か来てくれる。
蒼玉宮には警備の衛兵もちゃんといる。
アルが不在の今、必ず駆けつけてくれるはず……
でも、お願い早く来て!
ドアは今にも破られそうで、ミシミシ音を立てている。
何かで押さえたいけど、もう そんな時間があるとは思えない。
というより、足がすくんで動けない。
永遠にも感じられる時間が過ぎ(実際には僅か数分の事だろうけど)隣の部屋に多くの人間が入る音と悲鳴がした。
「カノン様! ご無事ですかっ!」
「うわっ! 何だこいつ等は?!」
グオオオオオンン
衛兵たちの声と、猛獣の威嚇めいた鳴声。
ドアに爪を立てるソレは 休み無く斬り付けているから、一匹ではない事が察せられる。
何匹いるのだろう?
絶望的な予測に、体の力が抜けていく。
私の命は、こんな得体の知れない生き物に奪われて終わるのか……?
床にへたり込んで、震える体をきつく抱きしめながら、私は恐怖の余り気が遠くなった。
死ぬ前には走馬灯のように
過去の事が脳裏に浮かぶと聞いていたけど……
今 頭に浮かぶのは アルの
笑顔
困った顔
悲しそうな顔
驚いた顔。
アルの 笑顔
――――もう一度見たかった
冗談じゃない
まさに死にそうな目にあっているのに
どうして、アルの事ばかり 頭に浮かぶ?
――――もう一度アルに会いたい
――――アルフレッド、助けて!
アルは帰らないのは 知っているのに
アルに助けを求めるのを 止められない。
助けて!助けて!
助けて!助けて!
映画などの作り物とは全く違う 産毛の一本一本に感じる振動や、胃袋がひっくり返りそうになる位 不快なその生き物の気配。
鼓膜にビリビリと響く音達に 恐怖の臨界点を超えてしまったのか、頭の血の気が引いて行くのを感じた。
もう、ダメかな?
ここで 死んじゃうのかな?
衛兵が来たはずなのに 止まないドアの軋みに、諦めかけた時――――
「カノン!」
アルの叫び声が 聞こえた気がした。