33話 巫女 8 後宮にて ~sideアル
カノンを蒼玉宮に移した次の日
王妃のたっての希望で、カノンを伴って 後宮の夜会に出席せねばならない。
本当は昨日訪れる予定だったが、カノンの体調が優れなかったことで 日延べされたのだ。
出来る事なら、もっと日を置いて 十分カノンを静養させてからにしたかった。
しかし、王妃の催促でそれも叶わず……
(巫女姫の、顔を見せろって事だな)
うんざりしながらも、断ること等出来はしない。
気の重い用向きである。
昼食の時も、つい言葉少なになってしまった僕に、カノンは頬杖をついて
「そんなにイヤな相手なら、行くの止めよう。 巫女も体弱いとか言っとけば?」
依巫の具合を聞かれて、まだ意識が戻っていないと教えたからか、
デザートの赤いチェリーを口に含みながら、行儀の悪い態度でカノンが言う。
昨日の王の前での立ち居振る舞いから、彼女の育ちの良さが伺える。 それを、あえて悪ぶっている。
(この子は……また、かわいいことをして……)
昨日もそうだが、カノンはかわいい。
何をしても、かわいい。
一昨日の眠っているカノンは、無防備で表情もあどけなさを残していた。
しかし、軽く触れる体の曲線は16歳だという割には立派で、十分な成長をしているようだ。
朝まで眺めるだけで、手を出さなかった自分を褒めてやりたい。
カノンは素っ気無く、無愛想に振舞おうとしている。 何故そうしようと思ったのか、元からそんな風なのかは まだ不明だが、表情や仕草の端々に感情が漏れ出ていて、何を考えているのか分かり易い。
それを隠そうとしている所がまた、猛烈にかわいい。
怒っていようが、睨みつけようが、どの顔も僕の目には 愛おしいカノンとしか映らない。
(もう、この部屋に閉じ込めて、誰にも見せないで独り占めしたい)
――――しかし、そんな訳にもいかず……
王妃や側室達はまだしも、侍女連中の鋭い視線にカノンを晒すことを想像すると、溜息が出てくる。
「行きたくないですって言ってしまいたいけど……言えないんだよね~」
苦笑いしか出てこない。
「そんなに、嫌な人達の所へ これから行くの?」
カノンが綺麗な顔をしかめる。
(こらこら。 カノンを怯えさせてどうする! 自分!)
「気が重いって言ってもね、王族って話す時に気を使うし、疲れるからっっていうのと
カノンがあんまり可愛くて、みんながいろいろ言ってきそうだな~って事くらいなだけだから!
大丈夫。 カノンは僕の傍に居るだけでいいからね。 何もしなくて、いいから。」
安心させるように言う。
カノンの目が一瞬大きく開かれ、その後、ムッとした顔つきに変わった。
(あれ? 何か、気に障った?)
なんだかカノンの目に不穏な火が灯っているんだけど……
(今、なんて言ったかな――――)
こらこらカノン、三白眼は止めようね。 戻らなくなっちゃうよ?
う――ん。 何処に引っかかった?
「解った。 何も言わない。 何もしない。」
ポイントを特定出来ないまま、カノンは話はもう終わりとばかりに席を立った。
(うわ~ 最悪。 機嫌悪っ! もう本当に 行くの止めたい……)
夕刻、大神官が供を引き連れて訪れた。
僕は、魔道騎士団の軍服、カノンは巫女の装束を身に付け、共に後宮へと向かう。
後宮へ通じる大扉の前は、ちょっとしたロビーになっていて、後宮へ入る手続きなどの間に利用する者も多かった。
そこにロイスは居た。
偶然を装っているが どうやら、後宮へカノンを伴う事を聞き付けたようだ。 そういえば、ロイスはカノンをまだ ちゃんとは見ていなかった。 召喚の時、仄暗い中で見ただけだし、王の謁見にいたのは王太子と評議会の面々、公爵家の当主のみだった。
(ロイスは父親の公爵から、夜会の事を聞きだしたか……)
後宮でのやり取りを思うとうんざりするのに、今 ロイスに関わって面倒事は起こしたくなかった。
しかし、ロイスはカノンに興味深々で、「珍しい黒髪だ」などと、カノンの髪に触れようと手を伸ばした。
制止しようとした その時――――
パシッ!
ロイスの手が、叩かれた。
「汚い手で、触らないで」
嫌悪感も顕に、カノンが冷たく言い放つ。
元から今日のカノンの機嫌は悪かったのだ。 気位の高いカノンが、ロイスの無遠慮な行いを許す訳はなかっただろう。
そんなカノンの性格を知るはずのないロイスの顔面が、見る間に 怒りでどす黒く変色していく。 ロイスは公爵家の嫡男として、皆に傅かれてきた所為か 傲慢な男である。 巫女姫とはいえ、年端もいかない少女に無下にあしらわれ、ロイスは激昂して体を震わせた。
「何をする! この女!」
僕は、詰め寄ろうとするロイスとカノンの間に体を割り込ませると
「ロイス。 これから王妃殿下の夜会なんだ。 悪いけど、また後でね」
即座に、カノンをロイスから引き離す。
王妃との約束を持ち出されては、ロイスも面と向かっては文句を言えずに一瞬押し黙る。
その隙に
「じゃあね」とカノンを庇いながら通り過ぎようとした。
ところが、その時
ロイスがカノンの手首を、がしりと掴んだ。
「なにをする!」僕が言葉を発する、その前に
ズダン
ロイスは、掴んだ手を その勢いのままカノンに取られ、往なされて、仰向きにひっくり返されて……
自分の身に何が起こったのか理解出来ないまま、眼を見開き 床の上に尻餅を付いていた。
瞬きする間の出来事に、皆 唖然とした。
不意を衝かれたとはいえ、ロイスも一応 騎士団に属している。 鍛錬もそれなりにしているはず。
そのロイスを軽く転がしたカノンは、床の上のロイスに、さも汚らわしいという一瞥を向けた後、フイとその顔を大扉の方へ向けると、ロイスが眼に入らないようにか 僕の影に入ってしまった。
激怒の余り、口がまともに聞けないロイスに大神官が
「まあまあ。 巫女姫様は清純な乙女故、貴殿の所作に驚かれたのでしょう。 気をお鎮め下さりませ」
ホホホと長い白髭を揺らしながら、やんわりと諭し、
お付の神官がロイスを立たせる間に、さっさとカノンを大扉の中に入れてしまった。
ロイスを残したまま大扉が閉まってすぐ
「カノン。 今の凄かったね! ロイスに何をしたの?」
待ちきれない気持ちでカノンに聞いた。
気分が少し晴れたのか、柔らかい表情を浮かべて
「子供の頃から変態よけに習っている 合気道の技を使ったの」
「アイキドー?」
「武道の一種よ。 相手の勢いを利用して、投げたりする身を守るための体術って言えば解るかな」
ああ、解るよと項突けば、カノンは そう?と口元を綻ばせた。
そして、僕の目を見つめて
「アルと、さっきのあの男とは、友達なの? 私が召喚された時にも見かけたんだけど」
探るような口調で尋ねた。
「ああ――友達というか……幼馴染で同級生かな。 同い年だから小さい頃から、何かにつけ一緒だったんだ」
ロイス・エッカートは公爵家の嫡男で、彼の受け継ぐエッカート公爵家は、広大な領地を所有し、豊かな経済力を誇っている。 王家としても扱いには注意が必要な大貴族だ。
その嫡男と同い年の僕には「友好を深め、懐柔し、王家の影響力を高めよ」と命令され、なんとか友達になるようにしてきたのだが……
我侭で粗暴なロイスとは性格的に会わないし……
従えるというより、良いように使われている感じ?
でも、カノンの目には ロイスと付き合う僕は、彼と同類に映っていたのだろう。
「不愉快な思いをさせて、ゴメンね。 もうロイスを君に近づけないから」
そう言うと
「ええ。 そうして」
カノンは低い声で答えると、ツンと前を向いたまま、僕の方を向かない。
ちょっとロイスに対する反応が、過剰じゃないかと 思わないこともないが、
僕に接する甘さを含んだ つれない態度と、ロイスへのそれとは まるで別物で――――
(カノン、僕のこと嫌いじゃないよね?)
ロイスに対する優越感を噛み締めて、カノンをエスコートする。
(さあ、気持ちを引き締めよう)
そして僕たちは、後宮へ足を踏み入れた。