31話 巫女 6 蒼玉宮 ~side花音
チチチチ……
小鳥の声がうるさいな……
眩しい―――カーテン閉めるの忘れたのかな?
ううーん……もうちょっと寝たい
窓に背を向け、コロンと寝返りを打った。
ん?
何? あったかい物に包まれてる……
ん?
コレ、なんだろ?
開けたくない目を開ける。
目の前に、二つの青い空があった。
「おはよう。 カノン。 よく眠れた?」
朝日にきらきら輝く、整った顔。
寝起きで頭が回らない……ぽやんと見てると
胸焼けする程、甘い笑顔が近付いてきて――― ちゅく
口唇を塞がれた
「ん! んんん……!!」
頭の後ろに手を回されて、顔が離せない―――
ぐぐ―――― ドガッ
ベッドの下に蹴り落とした
物音に驚いたのか
「失礼致します。 殿下? カノン様? どうかなさいましたか?」
と、遠慮しながらも女神官が顔を出す。
「なんでもない。 朝の挨拶をしていただけだから」
何事もなかったかのように、さらりとアルが流す。
「こんなの挨拶じゃない!(いきなり、ベロちゅうって!)
しかも、どうしてアルがベッドにいるの!」
「それは、昨夜カノンが僕を放してくれなかったからじゃないか」
意味あり気な流し目で、ニヤニヤしながらアルが続ける。
「カノンが僕に掛けてくれた布団の中で、カノンまで一緒に床で寝てしまっているのを、
目を覚ました僕が見つけて ベッドに運んだんだけど、
カノンは僕の服を掴んだまま放してくれなくて……ねえ?」
アルは、女神官に同意を求めるように振り向いた。
昨日、話の中で普通の口調の方が聞きやすいと言ってしまったからか、アルの話し方が急に馴れ馴れしくなっている。
中に入り辛かったのか、入り口付近にいた女神官は、急に話を振られて戸惑いながらも
「はい。 あまりに固く握られておりましたので、無理やり剥がす訳にもいかず……殿下がこのまま眠らせた方が良いと仰せでしたので、私が殿下のブーツをお脱がせして……」
女神官が私に申し訳なさそうに口ごもる。
私のせいですか?!
私が寝ぼけて、アルの服を離さなかったのがいけないんですか?
それでキスされるなんて、全然得心してないけど!
「キスは余計だと思う」
ボソリといった私に
「一晩耐えたご褒美ってことで。 ね? 」
甘く蕩ける極上の笑みを、朝っぱらから振りまくな。
襲わないでくれて、ありがとう とでも言えばいいのか?
ムカつく。
腹が立つ。
王子だと思って、丁寧な対応を心がけてた自分にも腹が立つ。
もう、敬語とか使ってやらないからっ!
でも、文句でも何でも、言葉を口にしたら喜ばれてしまいそうな雰囲気なので
無言で睨め付ける。
そんな私の刺す様な視線など、蚊の針ほども感じないのか
「どきどきするから、そんなに強い目で見つめないで~」などと鼻歌でも出てきそうな にこやかさで、アルは居室へと背を向けた。
腹立ち紛れに、うしろ姿目掛けて 手近にあった置物を投げつけると
アルは当たる寸前に振り向いて、ヒョイと受け止めると
「これだけ元気なら、今日 部屋を変われそうだね。 後で迎えにくるよ」
そう言うと、置物を適当な棚に置いてサッと消えた。
あいつは後ろにも、目がついてるのか……?
いやいや、それより部屋を変わる?
着替えを持って来た女神官に
「今日、部屋を変わるのですか?」
と尋ねると
「蒼玉宮の方が、カノン様は落ち着かれるだろう とお聞きしましたので……」
「誰がそう言ったの?」
「アルフレッド殿下が……そう おっしゃられて……」
「…………。」
勝手に決められるのは気に入らないが、確かにこの部屋はゴテゴテ飾られ過ぎて、とても寛げるものではない。
それに、あの怖い神の間から、少しでも距離を取れるのは嬉しい。
文句を言うのは、蒼玉宮とやらを見てからでも遅くなかろうと、私は身支度を始めた。
今日は巫女の装束ではなく、ドレスを着た。
ドレスは、オフホワイトの厚手でスルスルした手触りの絹地に水色レースが重ねられ、ブルーのサテンリボンが所々にあしらわれている。 丸く大きめに開いた襟ぐりは鎖骨が見える程度で、パフスリーブの半そでに水色のジョーゼットの長袖が内側から出ている。 スカート部分はハイウエストで、Aラインを描いて床まで自然な広がりを見せている。 大仰なパニエや固いコルセットで締められることなく、ドレス丈も、いつ計ったんだろう?という程、床上丁度に仕立て上げられていて、予想していたより、楽に過ごせそうだった。
朝食を終えると、アルが迎えに来た。
オリエンタルブルーのフロックコートに揃いのズボン、濃い藍色のブーツという格好だ。
昨日の謁見の時と比べて、随分と軽装。 飾りや刺繍も無いし、シンプルだ。
これが、王子様の普段着だろうか?
上着の前を開けて、中のベストまで肌蹴てるのは、少し崩しすぎの感があるんだけど……
私の荷物なんて、全く無いので部屋を変わるといっても、自分が付いていくだけだった。
アルは、神殿から蒼玉宮に付くまで、建物など色々な事を解説してくれた。
蒼玉宮は、白と青を基調にしたすっきりとした小宮殿だった。
内装もシンプルでありながら、趣味が良く、迎賓館の装飾過多に満腹だった私は この宮殿の爽やかな空間に大満足だった。
その様子を見ていたであろう、アルが
「蒼玉宮へ ようこそ! 気に入ってくれた?」
と、ニヤリと笑って自信あり気にいうから
つい
「悪くない」
と、素っ気無い返事になった。
そんな私にアルは苦笑しながらも
「此処には、僕と古くから仕えてくれている侍従や侍女しかいないから、気兼ねなく自由に使ってね」
と言って、彼らを紹介した。
案内された部屋は、白と水色、淡いピンクといったパステル系を基調とした、女性らしい優しい色合いで、広いリビングと小さめの寝室に分けられていた。(小さめといっても優に10畳は越すだろうけど)
リビングある寝室と反対側のドアを開けると、壁一面本棚になっている部屋だった。
大きな黒檀の机と、布張りの優美な応接セットが置かれてある。
更に奥のドアを開けると……
キングサイズのベッドが中央に鎮座した、いかにもメインベッドルームという部屋。
濃紺の天井には金と銀で星が描かれ、夜空を移した様。
壁は紺から群青のグラデーションに銀彩で植物の文様が繰り返されて、不思議に落ち着く空間に仕上げていた。
「きれい」
思わず呟くと
「僕の寝室。 気に入ってくれた?」
アルが私の頭の上にコツンと顎を乗せて、後ろから そっと抱きしめてきた。
びっくりした。
足音しなかったよ?
っていうか、やめてほしい。
不心得者には頭突きでもプレゼントしようかと、一瞬沈み込む私に、
アルはスッと頭を引き、腕を緩めたと思ったら、離れ際に頬に軽くキスをした。
「朝ので懲りたからね。 こっちの部屋が気に入ったのなら、今日から使う? 寝心地いいよ?」
そう言ってベッドに仰向きにダイブして、ポンポンと隣を叩く。
「…………。」
ありがとう! お言葉に甘えて、今晩からあなたと寝るわ!
きゃはっ! このベッド、ホントに寝心地いいね。 今晩からヨロシクね!
な~んて、私が言うとでも?
申し訳ないけど、日本人の脳みそでは、そんな展開ありえないと思うよ。
そして、やっぱり此処は アルの家だったか。
そんな気はしていたんだけどね……寝室が書斎と居間を挟んで つながっているって身の危険を感じるわ。
無言で頬っぺたをゴシゴシ拭って居間に戻った。
鍵が付いていたから、ついでに締めておいた。
ソファに腰掛けると、タイミング良く紅茶が出された。
自分より少し年上の侍女に礼を言い、花の香りのする紅茶を飲む。
優雅だ。
コンコンコン
「カノン。 開けて」
無視する。
カチャ
アルが鍵を開けて入ってきて、正面に腰を下ろした。
何事も無かったかの様に、出されたお茶に口を付けている。
「いい香りだ」
にこやかに言い、足を組む。
私が無言で差し出した右手にチラリと目を遣ると
「様子が見れないと、心配なんだけど?」
と言いながらも、意図を察して すんなり鍵を渡してくれた。
「サリエスが、心配ないって言ってたから、大丈夫。」
そうそう。 入って来られるかもと思うだけで くつろげない。
鍵を渡して油断さすためか、最初から渡すつもりだったのか アルの真意が分からないけど、後でノブの隙間に何か詰めて動かないようにしておこう。
それから後は蒼玉宮を案内されたり庭を見たりして過ごした。
アルは よくしゃべり、よく笑う。
ずっと笑顔。
私が無愛想な態度でも、至れり尽くせりに世話を焼く。
それはまるで、愛しい恋人に対する様にである。
うかうかしていると、好かれていると勘違いしそうになる。
その、うっとりとする甘い声に心が持っていかれる。
―――危ない。
しっかりしなければ!
例えアルが―――親切で、優しくて……格好良く、好みの顔であっても
違う世界から連れて来て、戦争なんてものに巻き込んだ張本人なんだから。
ここは知らない世界。
利用されて、サクッと殺されるなんてのも、在りえると思う。
このアルフレッドが、それをするとは考えにくいけど……
でも、ここまで手厚く持て成すのは何故だろう?
強要すると、何か不具合が出るのだろうか?
あの神の間の事があるからなぁ……
のこのこ近付いて、食べられちゃうとかは嫌だなぁ
巫女をやりたくないって言っても「はい、そうですか」で済まされないだろうな。
などど、考えていると
ツルっ
「うわぁ!」
階段で滑って転びそうになった。
「だから、気を付けてねって言ったのに。 僕の話、聞いてなかったでしょ?」
アルに抱きとめられた。
(ああ、はいはい)
(アルの説明を聞き流していましたよ―――――でもね)
「ほっぺにチューは余計じゃないかな?」
「そう?」
やっと頬から口唇を離して にっこり微笑むと、また転ぶと危ないからね と、手を繋がれてしまった。
これじゃあ、恋人同士の散歩じゃないか と思ったりしたけど、転んでチューされるのも迷惑なので、従うことにした。
スキンシップ過多だよね。
このまま恋人ごっこを続けていても、私が聞きたい話には一向にならないし
いい加減、誰に聞くとか何時聞くとか……考えるのも面倒くさくなって
「そろそろ、本題に入らない?」
庭園の東屋で冷たくしたハーブ茶を飲んでいる時に切り出した。
「一体何のこと?」
アルが笑顔で聞き返す。
「いくら巫女が貴重でも、丁重に扱い過ぎなんじゃない?
巫女って、一体何者なの? みんな、巫女に何を求めているの?」
真剣に聞く私を見て、アルは真顔で
「僕がカノンを大切に扱うのは、カノンの事が好きだからだよ」
「好きって……逢ってまだ3日目なんだけど」
「好きになるのに、時間なんか関係ないよ。 カノンと逢った瞬間に好きになってしまったんだから」
(一目惚れですか? やはり王子! まさに王道)
「私の事、何も知らないで好きとかって、おかしいでしょ!」
「おかしくないよ? まだ3日だけど、どんどん好きになっているから。 カノンを知れば知るほど、きっと もっと好きになる」
(こいつは また、歯の浮くようなセリフを……)
「それに、カノンは僕の運命の人だって 皆、知っているから丁重な態度になるんじゃないかな? 巫女を神聖視してる者もいるけど、神を降ろす儀式を執り行う事以外は、巫女は自由だし」
「…………自由」
なぜだか その言葉に引っかかってしまった。
「自由って?」
アルフレッドの優しげな顔立ちを見て ジリっと苛立ちが込みあがってくる。
(怒っちゃダメだ! キレて状況が良くなることなんてないって解っているのに!)
と、自分を諌めるも
「ここでの私に、自由なんてあるの?」
怒りに声が震える。
「自由って言うなら、元の世界に返して」
(言ってしまった・・・・)
言葉にしてしまってから、後悔した。
アルの顔が、今の私の言葉で酷く傷ついたように、歪んだから……
「カノンは、帰りたいの?」
驚いたように、アルが訊ねた。
「訳の分からない世界に連れてこられて、巫女だといわれて困っているよ。
学校の友達も 私がいきなり消えちゃって、きっと心配している」
正直に言った。
「ごめん。 浮かれてた。 カノンと出会えて嬉しすぎて……カノンの気持ちを考えてなかった。
今まで召喚で来た女性達は、皆 何かしらの事情を抱えていて、元の世界で生き辛い人ばかりだったんだ。
だから、カノンもそうなのかと、勝手に思い込んでいた」
本当に申し訳なさそうに、アルが謝った。
「あの世界で生き辛い事情……」
驚いた。
(私、そんなに、嫌だったのかな……? 世界を超えてまで、逃げ出したい位に。 友達や家族を放り出してしまう程に?)
なんだか、笑い出したくなってきた。
(被害者面して、自分も逃げ道に飛び込んだって訳か……)
呆然としたり、笑いそうになっている私は さぞかし不気味だったのだろう。
アルが慌てて言葉を続ける。
「カノン。 カノンの世界へ還すことは出来る。 でも、呼ぶのも返すのも1度きりなんだ。
カノンを還してしまったら、僕は もう2度とカノンに会えない。
それは、嫌なんだ。 カノンにずっと傍に居て欲しいんだ。」
「カノン。 今すぐ帰らなくてもいいだろう?
君には絶対辛い目に遭わせない様にするから、ここにいてくれないだろうか?」
アルの空色の瞳には、何か切実な孤独感みたいなものが浮かんでいて、私を戸惑わせた。
何がアルを駆り立てているのだろうか。
アルの真剣な告白に、私は軽はずみな返事は してはいけないと思った。
この人の言葉を信じていいのだろうか?
また、裏切られたら?
好きだとか、愛しているとか言っていても、何か他に目的があるのかも?
でも、私は此処ではただの16歳の小娘にしか過ぎない。
家名も財産も、何一つ持っていない。
あるのは自分自身だけ。 その私をアルは好きだというの?
知りたい。
アルは何も持たない私の、何処を好きだというのか。
「嫌がることはしないと、約束するなら……もう少し居る事にする」
答えを聞いた瞬間からアルの顔が輝き出して、私をギューっと抱きしめて おでこと頭にキスの雨を降らせた。
だから。
それ、嫌なんだけど……