30話 巫女 5 寝室にて ~side花音
神殿の迎賓館に用意された私の部屋に入ると、アルはベッドにそっと寝かしてくれた。
そして、世話係りの人が持ってきた冷たい濡れ布を私のおでこに乗せると、手を優しく握って声を掛けていてくれていた。
アルの手は、硬いタコがあってゴツゴツしていた。
王子様の手なのに、意外だった。
(ああ思い出した。騎士団の隊長って聞いたな。 剣とか持ったりしてるんだ……)
物語の王子様が、生身のアルフレッドになった様に思えた。
いろいろ考えなくちゃいけないんだけど、頭がグルグル回って、考えがまとまらない……
アルが優しく頭を撫でてくれるのが、すごく落ち着く。
あったかい手が、気持ちいい。
「はあ……」
思わず漏らした溜息に
「カノン……気分はどう? 辛い?」
いかにも、心配ですって声で聞いてくる。
アルは、声まで素敵だね――――
「どこか痛い所、ある? 昨日召喚されたばっかりなのに、無理させたね……」
違うんだけど……
そういえば、アルは普通の言葉でしゃべってる。
飾らない方がいい。 初対面だから、格好つけていたのかな?
ふふふ。
なんだか、アルに撫でてもらって楽になった。
怖かったのと、ほっとしたのとで、疲れた。
そして、眠い。
このまま、眠っちゃおうか?
うとうと眠り始めたところへ
「アルフレッド殿下。 失礼致します。」
ノックと共に男の声がした。
アルが、そっと立ち上がって、音を立てないように寝室から出て行った。
扉の向こうで話し声がする。
聞き耳を立ててみても、遠くて聞き取れない。
神の間の事について話しているのだろうか?
すごく、気になる。
程なくアルが戻ってきて、ベッドの脇に置かれた椅子に座った。
そして、おでこの布を裏返して乗せながら
「大丈夫。 無理はさせないからね……ゆっくり休んでね」
目を瞑ったままの私に、答えを求める風でも無く話しかける。
「………………。」
続きは?
何も話さないの?
眠ってるって、思ってる?
気配でこっちを見ているのは感じる。
じーっと、見てる。
只々見てる。
居心地、悪い。
そんなに見られて眠れる訳無いんだけど!
もう眠気なんか、何処かへ行った!
起きる。
「ありがとう。 もう良くなりました。」
そう言って、私は おでこの布を取って上半身を起こした。
いきなり起き上がった私を見て、アルは驚いたようだったけど
「もう大丈夫です。巫女の装束もしわになりますし、起きます。」
と言って、ベッドから降りようとするとアルに止められて、ちょっとした押し問答になった。
結局
「昨日の依巫の事もあるし、召喚が何らかの形で悪影響をもたらしている可能性がある以上、治療法師に診てもらうまで、安静にして欲しい。」
という、アルの意見に従うことになった。
永山さんが、あんな姿になってしまった事を思い出して、ひょっとして自分もどこか壊れているかもしれないと 今更ながらゾッとした。
女神官の手を借りて夜着に着替え、治療法師っていう医師みたいな人が来るまで、横でもなろうかとベッドに上がった所へ、治療法師サリエス・ファラーが到着したと告げられた。
「お休みの所、ご足労頂きありがとうございます」と頭を下げるアルに
「依巫の治療が長引いて、力を使い過ぎました」と、素っ気無い返答をする人物を見て、私の全身に鳥肌が一気に立った。
サリエスというその人物は、低めの声と170cmちょっとの身長から、細身だけど男だと思われる。
薄い水色のほぼまっすぐな髪が、切り揃えられもせず伸び放題で、後ろは腰まで、前は顎の辺りまで不揃いに覆っていた。 右目は前髪に隠れていて見えない。
顔色は色白というよりは青みがかり、その上 目の下には隈がくっきりと浮いていた。
そして、なにより私を震え上がらせたのは、サリエスの眼だった。
まるで、腐った魚の様な……鮫の目の様な……青白い瞳。
白目は赤く充血していて、濁った色をしていて、黒い瞳孔だけがポツンとこちらを見つめている。
(はいー ゾンビ出ましたー)
本当に、人間ですか? その目の色は悪役魔物の定番でしょ?
此処はホラーな世界だったんですか?
怖いの、すごい苦手なんだけど……
目の前にこんなのがいるだけでも逃げ出したいのに、そいつは眉間に皺をよせて不機嫌そうに私を見下している。
ベッドの上で可能な限り後ずさったけど
「カノン。 サリエスはアースリンド一の治療法師なんだよ。 ちゃんと診てもらおうね。」
などと言うアルに、あっさり引き寄せられてしまった。
確かに、白衣みたいな上着だから、医者に見えるけどもね、
『36時間連続勤務の後に、地下の研究施設から逃げ出したゾンビに噛まれて自分もなっちゃった悲惨な外科医』――みたいな顔が怖いんだよ!
サリエスは、アルに阻まれて逃げられない私に、無言で手を伸ばしてきて、両手のひらを握った。
その冷たさに、思わす体がビクっと反応してしまう。
(冷たいっ! 死んでるんじゃないの?!)
そして、顎を掴まれ、口を開かされて中を診られ―――
(ガッて顎を押さえて、無理やり口を開けるな! 痛いってば!)
恐怖のあまり声を発することも出来ない私からの、拒絶と抗議の視線を無視したまま
終始無言でジロジロ観察していたサリエスは
「特に異常は、ありません。 しいて言うなら精神的疲労くらいでしょうか。
一応薬は出しますが、殿下が心配される程ではありません。
依巫の傷も召喚時に出来たものではありませんでしたし、召喚のダメージは考えなくて良いでしょう」
と一本調子でアルに告げ、用は済んだとばかりに さっさと出て行ってしまった。
「はあああ……」
(出て行った! ああああああ…… 気持ち悪かったぁ)
診察って、たったあれだけ?手抜きだろ!って思ったけど 1秒でも早く出て行って欲しかったので そこはスルーをしておこう。
目の前の恐怖が去って一息つくも、まだ次に何か(白い子どもとか)出てきそうで、アルの軍服の端っこを握り締めたまま離せない。
不覚。
暫くして、薬が届けられた。
空腹では体に悪いと、スープだけの昼食のあとに飲んだ。
その白くてドロッとした得体の知れない薬液は、嫌な甘さがあって とても飲みにくかった。
たったコップ一杯の薬を飲むのに、口直しの水が三・四杯も必要なくらいに……
アルが心配そうに、薬を飲み終わるまで目を離さないから、こっそり捨てることも出来なかった。
薬を飲み終わると、何もすることがなくなり、やわらかな午後の日差しが差し込む窓を開けてぼんやり外を眺めたりしていた。
ずっと傍から離れようとしないアルが気になって、仕事に行かなくていいのかと尋ねると、召喚者は巫女を守るのが第一の仕事だから、こちらの世界に慣れるまで(せめて体調が戻るまで)は一緒にいるとの事だった。
ずっと一緒は勘弁して欲しいと思うが、神の間の事と、サリエスの恐怖が抜けきらない今は、有難く横に居てもらおう。
見るからに退屈そうな私の様子を見兼ねたアルが、本でも読みましょうかと部屋にあった本を手に取った。
アルが選んだのは、子供向けの昔話だった。 魔道師と召喚された娘のハッピーエンドっぽい話。
どうやら、私向けに神官達が用意していた物みたいだ。
静かな部屋にアルの声だけが流れる。
綺羅綺羅王子は声まで爽やか系だね。
ふと、アースリンドの言葉で聞いたら どんな風かと指輪を外してみる。
意味は分からないけど、英語っぽい響きの言葉。 穏やかで張りのある声音を純粋に楽しむ。
(いい声……)
だんだん瞼が重くなる。
サリエスは、あの液に睡眠薬でも混ぜていたのだろうか?
異様に眠いんだけど……
ゾンビ医者め……
***************
溺れる夢をみて目を覚ますと、真夜中っぽかった。
ベッドサイドのライトからオレンジ色の柔らかい光が室内をほの暗く照らしている。
ベッドの横を見ると、アルが長椅子に横たわって眠っていた。
影の濃い部屋に、一人きりじゃない事にホッとした。
アルは、上着を脱いで布団代わりに掛けているけど、薄ら寒そうだ。
空調が入っているのか、凍えはしないけどそのまま寝たら風邪は引きそう……
でも、温度上げるのとかって、どうすればいいのか わかんないし――――
それよりも まず、トイレ トイレ。
寝る前に、あんなに水を飲んだから……
そう~と起き出して、アルに気付かれないように急ぐ。
はあ~と息をつくと、ぶるっと寒気がきた。
「くしゅん!」
アルがくしゃみをした様だ。
王子様の生くしゃみを見逃した……
人がくしゃみする時の顔って、好きだなぁ~
無防備っていうか、取り澄ました人でも、つい地が出てしまう感じがいい。
どんな美形でも、一瞬だけど変顔になるし。
次は、ぜひお目に掛かりたい。
寝室を抜けて、居室に出る。
世話係りの女神官は……居眠りしている。
この部屋に通されてから、この人がずっと面倒を見てくれている。
神殿は人が足らないのだろうか?
豪華な神官の衣装を作る金があるなら、もっと人手を増やせよ、予算配分おかしいだろ。 などと思いながら、気持ちよく寝ているところを起こすのは気の毒なので そのまま寝室に戻った。
ええ~っと。
空調の温度も変えれないし、毛布とかも見当たら無い……あるのは自分の掛けていた薄手の羽根布団一枚。
仕方が無い。
ベッドから羽根布団を引っ剥がし、アルにそっと掛ける。
ベッドがクイーンサイズなおかげで、掛け布団も大きくて長椅子から随分はみ出る。
よしよし、アルは眠ったままだな。
閉じられた瞼の下に睫毛の影が出来てる……
身長差の所為で、じっくり見れなかった顔を観察する。
(よく出来た造りだな)
これが正直な感想。 眠っている顔までかっこいいって反則じゃない?
涎くらい、垂らそうよ―――
視線の先には鼻。 スッと通った高い鼻。 日本では滅多にお目にかかれない縦長の鼻の穴……
無防備に眠る美形の本物王子様。 またとない絶好の機会。
(なぜ、この部屋にはティッシュが無い! こよりを作る紙も見当たらない!)
いっそのこと自分の髪の毛で……いやいやいや、それは女の子としていかがなものか。
一瞬の内に衝動と抑制が頭を駆け巡り、怒らせて出て行かれるのは拙いという結論に至り、泣く泣く生くしゃみはお預けとした。
長椅子からはみ出した布団を柏餅の葉ようにして包まり、アルを起こさないように、そっと寄りかかり眠くはないけど目を閉じた。
ひとが呼吸する微かな動き、仄かに感じる体温。 それが、こんなに安心するものだなんて知らなかった。
アルのゆっくりとした呼吸のリズムに合わせて、息をしてみる。
他に何の音もせず、規則正しい寝息だけが静かに聞こえる。 緩やかに時間が流れるような気がした。
メールも、ネットも、ゲームも、勉強も、何も無い静かな夜。
寂しいはずなのに、寂しがらない自分が不思議だった。
読んで頂き、ありがとうございます。
諸事情の為 これから更新がゆっくりになると思います。
どうか、ご理解してやって下さい。
もちろん、完結するまで頑張りますので、これからも宜しくお願い申し上げます。