(16)エピローグ:銀の靴
(16)銀の靴
首都を発つ前に替えの靴下は買ったが、靴は節約根性と、脱いだモデル靴が荷物になるのとで、湿っているのをそのまま履き続けた。
替えの靴下は靴の湿り気を吸う効果を果たし、バーミアに帰り着いても、靴の中の足、特に指の間がじめじめとしているのだった。
すっかり暮れた夜の商人街を大鍋一式と一泊の荷物を両腕に下げ、休み休み歩く。
不況とは言え、酒を出す飲食店からは煌々とした明かりが漏れていて、時には爆笑が石畳の上にまで弾けて来る。
酔っている間だけなのかもしれないが、陽気になるのは良いことだとカレンは両腕に苦行を少し慰められて、首都と比べて暗く静かな通りを家まで歩く。
試験を終えたという達成感がないのは、実技でものづくりをさせられたせいもあるのだろう、とカレンは働かせすぎて疲れた頭でぼんやりと感じた。
作ったものが依頼人にとって及第点だったか、それが判明するまでものづくりの仕事は完結ではない。
その点の返信がない場合もあり、またこれ以上は無理ですと発送をもって強制終了させることもあって、必ずというわけではなかったが、少なくとも今回は試験であり、結果発表がなされる。
試験官は、今日の実技と、提出した靴とで合否を決める、その決定までは特にできることはなくとも気を緩められなかった。
家が見えて来ると、リビングに明かりが灯っていることにぎょっとしたが、すぐさま留守番のローズだと思い出した。
彼女は昨日カレンが首都へ出発する前にやって来て、徹夜の姉に昼食を取らせ、身支度を整えさせ、荷物をカレンから半分奪って停車場まで運び、「いってらっしゃい頑張ってね!」と姉を送り出した。
掛けた後の鍵をどうするかを相談しなかったので、もしかすると足止めさせてしまったかと焦って玄関のノッカーを鳴らすと、ローズがドアを開け、
「おかえり!どうだった、受かった?」
と荷物を引き受けてくれた。
「いやまだまだ。発表は来月だよ」
「でも手ごたえはどうだったの?」
「分からん。とりあえず考えてた魔法はその通りできたと思う」
「何だ、じゃあ受かったじゃん!お姉ちゃんのいつもの心配性じゃん」
ローズはカレンの足元を見て、「あれ、その靴作ったやつ?台所に同じのあったよ」と首を傾げた。
「いや、これは付き合ってもらって買ったモデルの靴。台所のは試作品」
カレンがそう答えると、ローズは「じゃあ試作品の方を履いていけば良かったじゃん!それですとんと飛んで帰って来たら良かったじゃん!」と呆れた口調で言った。
試作品だからまだ精度が、と普段なら弁解しただろうが、今日のカレンは草臥れすぎて思考がうまく口から出て来ず、ただ
「ローズ、あんた頭良いね」
と一瞬頭を過った方を声に出すと、妹は
「でしょう。若いからね、思考が柔軟なのだよ」
と腰に手を当ててつんと顎を上げてみせた。
「濡れてるなら何で靴も買って来ないの!」と詰られながら靴と靴下を替え、ローズの手による夕食を済ませて、入浴もそこそこにカレンは眠りについた。
翌日は、主導するローズに追い立てられるように家事をして、早い時間の馬車に乗り、州都で乗り換えて、ポルトカリへと連れて行かれた。
道中で、試験が無事終了したことと労いのために、再度家族で食事の席を持とうという計画になっているとローズに告げられた。
労ってもらう側なため文句を言うのは憚られ、前もって言っておいて欲しかったというのは飲み込んだが、こういうのは合格祝いとしてやるものじゃないのか、と控えめに抗議はした。
ローズは全く意に介さず、「今日はお疲れ様会だよ。受かったらもう1回やるんだよ」と姉の杓子定規を呆れ顔で諫めようとする。
その様子を見て、カレンは残っている仕事に気を引かれながらも、まあいいかと気を緩めて馬車に寄りかかった。
7か月ぶりの団欒は話が弾んだ。
試験の様子や手応えから話は始まったが、その後は酒とともに近況や世間話に流れていった。
ポルトカリにいた間も、バーミアでもほとんど飲酒をしないカレンは、過ごしすぎて翌日は一日中二日酔いの頭痛に悩まされ、家族で一番弱いと皆に揶揄われた。
バーミアの家に戻ったカレンは、発表までの間は仕事をこなしながら、荷物を整理し始めた。
合格すれば早晩引き払うことになるが、一気に行うと目立つため、少しずつ片づけを進める。
物を溜めておいて何かの機会に使い回したい性格ゆえに、余った材料や試作品、失敗策、イメージ作りの助けになるかもと入手したオブジェや小物、それから本。
本は高価なため図書館から借りることが多かったが、これはと思うものは、古本で見かけては買い集めたものが背の高い本棚1台にみっしりと並び、作業部屋の一角を占拠していた。
全てがカレンの歴史であり、手放すのは非常に惜しいことだが、全部を実家に置いてもらうことはできないし、できる量ではない。
選別をしないと、とカレンは山の上の方から手を付けていくが、箱を開くたび、袋を開けるたび、それらがこの家に来た時のことを思い出して手が止まる。
この家に住み始めた頃は家具しかなかったのに、随分長い時間をここで過ごしたんだなとカレンは作業部屋を見渡す。
故郷であるポルトカリに次ぐ長さで積み重ねた時間は、苦労と達成感との繰り返しだった。
晴れて魔法使いになることができ、国外に出たとしても、別に職人の経験やものづくりの技術を失うわけではない。
それらはカレンの身に付いて引き離せない性質であるからだ。
国外でもどこでも、やろうと思えばものづくりはできる。
そうではあるが、この場所で仕事を続けながらこの国で生きていくことについては、ここで、バーミアで捨てていかなければならない。
頭を掻き毟りながら挑んだ思い出に、どんなに後ろ髪引かれても、カレンはもう進むべき道を定めたのだ。
カレンは深く息を吸い込み、この場所で職人であった自分を、工房に置いて行くつもりで長く吐く。
まだ発表前なのに気が早いと自分を窘めてみたが、いざその時が迫ってからでは、軟弱な覚悟しか決められないだろうと屁理屈を付けた。
胸の痛みが長引いてしまうことについては、ごめんね、と自分に宛てて密かに謝った。
*
カレンは書き上げた手紙を封筒に収めると、CとAを刻んだペンタクルの封蝋をして、この国の郵便配達はきちんとしているといいな、と内心で祈りながら、郵便に差し出した。
郵便の仕組み自体が存在していない国もあるとは初めて知ったことで、仕組みはあっても1年以内には届くかもしれない、という適当すぎる場所もあり、自分の常識は非常識だと思え、というのがカレンの座右の銘に加わった。
「さて、では移動しますか」
カレンはトランクを左手に持ち替えながら足元を見下ろした。
足は先の尖った銀の靴に包まれている。
試験前夜に作った試作品は精度に難があり、試験で提出したものは返却されないため、出国までの間に改めて製作したものだ。
杖を使うと製作物の質が格段に上がることを知り驚くとともに、杖を魔法使いだけの道具にしておくのは技術の進歩を妨げるのではと納得の行かない気持ちにもなった。
もっとも、杖を使うためには適性と技術が必要だということなので、カレンにはどうしようもないことではあったが、やはり不満の払拭はできなかった。
真実をアナウンスしているとは限らないしね、と姿勢正しく立ってから、郵便の建物の方向へと、手紙がちゃんと届きますようにともう一度祈った。
どこからでも支障なく手紙を受け取れるポストか何かを開発して、実家に取り付けようかと思案しながら、カレンは右手に握った杖を意識しながら、靴の踵を3度打ち合わせた。
「羽衣の国の、都の正門前へ!」
朗らかな声が、抜けるような空へと高らかに響き渡った。
『お父さん、お母さん、そしてローズへ。
皆元気にしていますか?
私は今、前に話した羽衣の国の近くに来ています。
今は国境近くの町にいるのですが、この町でさえ生えている植物の感じが全然違うのに驚きました。
それから、家や人の服装も。
言葉は、途中立ち寄った国で、通訳をしてくれる道具を購入したので今のところ苦労していません。
世界には便利なものがありますね。
羽衣の国はこの町とは違って異色だそうです、どう異色なのか今から楽しみです。
この前会った魔法使いの方から、国で銀鉱脈が見つかったと聞きました。
金ではなく銀というのが皮肉ですね。
開発までは時間と費用がかかるでしょうが、投資をうまく呼び込んで、軌道に乗れば金よりも確実に国を潤す資源になるでしょう。
そろそろ人の移動の自由を許していって欲しいものです、でないと魔法使いは放浪し続ける羽目になりますから。
それに、自由になれば靴で簡単に帰れるようになるし。
そういえば、ローズ待望の布魔法ですが、何とうまく行きました。
杖は凄いですね、ただの木の棒じゃなかったわけです、恥ずかしい思いをして授与式に出たのも無駄ではありませんでした。
ただ、あんなに頑張ってもできなかったことがするっとできちゃうのは結構悔しかったです。
既に、布魔法を使った製品を途中の国で販売してみたところ、作った分が凄い勢いで売り切れたので、その分を送金しました。
継続的に取引したいと言われたので、また販売したら送りますね。
魔法使い兼ものづくり職人の立場をどこに着地させるのかを、ここから考えていかないといけません。
ローズが前に言っていた踊りが云々という服もできるかもしれないので、とりあえずこの辺で手に入る服に付与してみます。
各種サイズを返信して下さい。
私は服には詳しくないので、必要なサイズが何なのかはお母さんに教えてもらってね。
それでは、入国したらまた書きますね。
追伸。
事の発端になった例のアレは、トラブルのもとになるので中断しましたが、欠片っぽいものはできました。
体感ではあと一押しのような気がします。
貴方方の娘、そして姉のカレンより』




