(15)賢者の石㉓
首都を、大鍋を引き摺るように持ち歩くのは非常に勇気が要ることだった。
昨夜ビゼーリに到着した段階で、人混みを縫うことの難しさを体感したため、翌日は朝早く会場に向かったが、大都会は、夜だろうと朝だろうと人足が絶えることのないことを思い知らされた。
しかも持っているのが大鍋という場所柄に全くそぐわない道具であるため、お上りさんに対する好奇の目に委縮し、人にぶつけないように足を運ぶことで気力と、何より鍋自体と、中に入れているものの重さで指が軋み腕が痺れた。
筆記の合格通知には、実技において使用する物がある場合は、火と水を除いて全て持参すること、と記載されており、カレンは自分の魔法に使用する物、鍋に始まり、かきまぜ棒、革と木、それから例の危険な液体を必要量分だけ容器に収めて持ち込むことになった。
イメージトレーニングのために、モデルにした靴は履いて来た。
飾り気のない服と壊滅的に合わない靴は、カレンの外見を更に野暮にしていたが、視線を避けようと俯くたびに、靴から前を向けと叱咤されるような気がした。
何故かその声はローズのものとして発せられ、カレンは不審者感が増すのを忘れ、目抜き通りの中で独り吹き出してしまった。
実技は、筆記の通過者を数日間に割り振って行われる。
1人ずつ試験室に入り、5人の試験官の前で、これから使う魔法を説明してから魔法を披露し、試験官からの質問に答える、という方式が採られており、全受験者が同じ試験官に審査されるため、結果のぶれがないと言われていた。
カレンがやっとの思いで会場、筆記と同じ場所だったが、に辿り着くと、控室になっている小部屋では、数人が待機をしているところだった。
カレンの指定時間は午前の最後だったが、人目を憚って1番目にも間に合う時間に出て来たものの、やはり皆気が逸っているのかと思われた。
カレンの大荷物を一瞥して明らかに鼻で笑った者もいて、試験前でかつ自分も受験するくせに思いやりの欠片もないその態度にさすがにむっとする。
試験は準備と片づけを除いて1人30分、1日約10人、今回は10日間行われるため、100人近くが実技に臨む計算になる。
あと2時間半は順番が来るのをただ待つだけになったカレンは、最初のうちは椅子に腰かけてぼんやりしていたが、やがて1番目が呼ばれるのを耳にして、何となく姿勢を正した。
今から集中力を高めていては疲れてしまうが、このまま待っているだけというのも手持ち無沙汰で、かといって外に出ても知らない土地では気分転換すらできない。
カレンは上着のポケットから封筒を取り出し、綺麗に折り畳んでいる紙を丁寧に抜いて広げた。
さすがに『概念の型』を書き出すところから実演したのでは、何をしているのか伝わりづらいし、誤字脱字があると困るため清書して持って来たのだった。
(これで大丈夫、なはず)
『概念の型』がこの形に落ち着いたのは昨日の明け方だった。
最後に残った、移動の精度問題にどうしても納得が行く調整ができず、考えて考えて、これでどうだと書き上げ、祈りとともに鍋をかき混ぜて、これなら何とかなるかと思って顔を上げた時には、窓の外は既に白んでいた。
昨日、清書してから首都に出発するまでの間に、断続的に何百回も読み返したのだ、たとえ今これを読み返しておかしいところが見つかっても、カレンはもう書き直すつもりはなかったし、鍋での試行ができない以上、書き直すこともできなかった。
最後の試行では、狭い家の中とはいえ、ドアを閉ざした状態で台所から隣のリビングへは移動できたが、やはり狙った地点からはずれが生じ、120%の出来を得ることはできなかった。
カレンは自分の未熟さを情けなく思ったが、もはやタイムリミットであって、あれ以上足掻くことはできなかった。
あとは今日の集中力にかけるしかないと、カレンは心に決めていた。
昨日は不眠の状態で鍋の魔法をかけたし、靴に魔法を流す時も頭がくらくらしていたが、今はそれがない。
徹夜分はホテルでぐっすり寝て取り戻したつもりだし、身体のどこも痛かったり重かったりしていない、集中するための準備は万全に整っているはず、とカレンは自分が履いているモデルの靴を目の端に捉えながら、『概念の型』を黙読する。
・それは先の尖った銀の靴、ヒールは太めであまり高くない、流行を選ばない形
・革地は最初から銀色に生まれつき年月を重ねたように、底光りのする涼し気な銀
・どんなサイズの足にも対応し、指と踵を収めるまでは伸びるが、完全に入り切るとぴったり足を包む
・歩くと靴音高らかに、履いた者に軽やかな歩みと陽気をもたらし、長い旅路を助けてくれる
・履いた者が己の魔法を流し、踵を打ち合わせて強く望み1歩踏み出せば風の音が耳を打ち、2歩目では景色が溶けて、3歩目は突如として願った地に確実に降りる
・目指す地点を確実に定め、大切に思う者達から背中を押されるイメージを心に宿して一気呵成に魔法を流す
修正を重ねるにつれ、ガラスの靴の時のように、連ねた言葉から靴の形を想像できるという体裁から大分遠ざかった。
元々、『概念の型』とは言うが、カレンが思い浮かんだイメージを逃がしてしまうことのないように、忘備録の役目を果たしているものだ。
発想力の低下なのか、言葉を飾らなくともイメージを確実に作れるようになった進歩の現れなのか、どっちなのかなと考え込みそうになるのを頭を振って掻き消す。
本番前に変な思考を定着させては大変だと、『概念の型』を丁寧に仕舞い、履いている靴の姿を目でなぞり描きをして瞼の裏に写す。
カレンがこの靴を是非とも必要とする理由も、その上から強く押し付ける。
焦るなと胸の内で唱えながら、ゆっくりそれらを繰り返し、次第に集中力を高めていった。
「アスターさん、カレン・アスターさん」
「っ、はい!」
2度名前を呼ばれてやっと気が付いたカレンが顔を上げると、係員が「時間ですので、移動願います」と多少呆れ顔でドアの傍に佇んでいた。
もう時間なんだ、とカレンはさっと立ち上がり大鍋一式を持ち上げたが、重いなという感想を上辺だけで抱きながら、注意は全てこれから作り出す靴に向いていた。




