(2)お菓子の家④
まあ、ガラスの靴と作業内容は似てるけど、とカレンは大皿を惜しそうに眺めた。
以前もこの手の依頼は受けたことがあり、試行錯誤して手法はもう開発していたが、あまり出来は良くないものの美味しいだろう我が子を見つめてぐずぐずしていたが、内容量に乏しい鍋は早くも蒸気を上げ始めている。
ああ思いっきり齧り付けたら良かったのに、でもさようなら!と内心で叫んで、大皿を130度ほどに傾けると、ミニチュアお菓子の家は、製作の糧としてあっさりと大鍋の中に落下していった。
悲しみは、かきまぜ棒で突いて液中に沈める作業を始めると、齧り付きたかった未練とともに収束していった。
もったいないと思う心は一旦置いておいて、今は最大に集中しなければならない。
『概念の型』から、お菓子の家の創造を実現する設計図を正確に"抜く"必要がある。
"A was an apple-pie;"
発光が始まった鍋の中で棒を回す。
"B bit it;"
"C cut it;"
"D dealt it;"
鍋の中身は程なくして、渦を巻き始める。
このリズムは子供向けの歌であり、今回の『概念の型』とは相性が良いのか、液は非常に滑らかだった。
E eat it;
F fought for it;
G got it;
甘い匂いは最初こそ立ち上っていたが、今はもう消えている。
H had it;
I inspected it;
J jumped for it;
K kept it;
L longed for it;
M mourned for it;
N nodded at it;
O opened it;
P peeped in it;
Q quartered it;
R ran for it;
S stole it;
T took it;
V viewed it;
W wanted it;
"X, Y, Z, and ampersand"
いつも通り最後の一節に特別の緊張を込めて、息を吸い、
"All wished for a piece in hand."
と吐き出した。
棒を抜き取り、火を消して本やらペンやらを片づけながら回り続ける液が冷めるのを待つ。
大皿を洗おうとして、零れていたのり用のチョコレートと、それに引き留められて鍋に落ち損なったクッキーの破片を見つけて、もったいなさへの嘆きが息を吹き返した。
ただ、もう一度作る気にはとてもなれない。
仕事だから、店で素材を買って来てまで手の込んだ建築をしたのだ、自分で食べるのが目的ならわざわざ整形など絶対にやらない、既製品を皿に神の塔のように山盛りにすれば食べたい、という目的は達成できるからだ……見た目はともかく。
多分、空腹が残っているせいかもとテーブルのパン籠を探して、カレンは思わず、げっと声を出した。
朝届けてもらった2日分のパンが、1日目にしてもう1個しか残っていないことに気が付いたのだ。
全く意識していなかったが、書きながら延々と食べていたようだった、これでは明日はパンを買いに出なければならない。
外はよくあることだが既に真っ暗で、今からパン抜きの献立を考えるのも作るのも面倒なカレンは、首を緩く振りながら、せめてと今朝届いてから手を付けていないミルクを、瓶からゆるゆると飲んだ。
生温いがこくがあって身体に染み渡り、しかし食欲を満たす力はない。
パンをほぼ食べ尽くした割には全く満腹になっていないのだった。
肉野菜も毎日きちんと取らないと駄目だと思いながら、今日もまた思うだけに留まり、空き瓶を軽く濯いでからテーブルに乗せて、大鍋を覗き込んでみた。
今回はガラスの靴とは異なり、大鍋の中からお菓子の家そのものが出てくるわけではない。
どういう形状の設計図を得たいかうまく想像できず、敢えて何も書き込まなかったため、『概念の型』で抜いた設計図の形は、カレンの想像力、大鍋の魔法を行っている間に思い浮かべていたことに引っ張られる性質のものだった。
カレンが鍋の中に見出し、レードルで掬い上げたのは、両面にお菓子の家の形の焼き色が付いた、正方形の、外観はクッキーそっくりのごく固いプレートだった。
完全に惜しむ心と結びついた、と成果品を見て苦笑いしながら、カレンは液体を拭い取り、プレートを手のひらに乗せてみた。
乗せると、触れているのに肌とプレートとの間に空気の層を感じ、意識を傾けると今にも風が迸るような気配を持っていて、魔法が閉じ込められていると明らかに分かった。
依頼品なため、発動するかどうか試すわけにはいかないが、目を閉じると瞼の裏に、菓子製の大きな家のイメージが現れる。
仕事はどうやら成功したらしい。
カレンは、憧れのような気持ちでプレートを恭しく捧げ持った。
この喜びも、プレートを梱包し発送すれば消えてしまう束の間のものだったが、この家をどこに建てるのかは分からないが、深い森の中で出会ってみたいと、盛大に訴えてくる空腹の音を無視して、頑張って作った小さなお菓子の家と、そのお菓子の家で膨らませた豊かなイメージの中でしばらく楽しんだ。