(11)独りで鳴り出すハープ③
『そんな自分だが、両親にはあまり孝行ができないでここまで来た。
ビゼーリの社宅は手狭で呼び寄せることもできず、またロダキーノは非常に遠い。
仕事は非常に多忙で、休日も図面を引かなければならない期間も年に何度もあり、定期的な帰郷はもちろん、近況を尋ねることも怠りがちだった。
便りのないのは良い便りと言って許されるのは、便りを受けるべき側だけだ。
そう思いながらも、両親のことは、故郷に残り家族を持っている妹が気にかけてくれるだろうという甘えを抱いて日々を送っていた。
後悔は先にも後にも立たない。
父が倒れたとの報を聞いて、取る物も取りあえず自宅を飛び出したが、ロダキーノに辿り着くまでに丸2日かかり、診療所のドアを乱暴に開けたが、自分が間に合わなかったことを、ベッドのそばにへたり込んで項垂れる母と、それを助け起こそうとする妹の姿によって知った。
妹の夫である義弟が自分を出迎え、体調は年相応という感じだったが予兆はなかったこと、自室で倒れていたのを発見したが大分時間が経っていたようで、ここに運ばれた時は既に呼吸がなかったと教えてくれた。
喪主こそ自分が務めたが、葬儀の手配、司祭の送迎、参列者への心配りなどは全て妹一家と親族がやってくれた。
故郷を離れて長い自分は、父の交際範囲を知らず、誰を葬儀に呼ぶべきかも分からない役立たずであり、弔問客にただ繰り返し頭を下げるだけの情けない長男だった。
非常に多くの人達が父に別れを告げに訪れてくれたが、その中には、国立楽団の同僚と名乗る者の姿も幾人かあった。
父はかつて国立楽団でハーピストを勤めており、公演で国内を回っていた時にロダキーノ出身の母と知り合って結婚した。
母は音楽に特に造詣があるわけではなく、友人に誘われて公演を聴きに行った夜、食事をしたレストランに偶然奏者が来ていて声をかけたのがきっかけだと言っていた。
父は首都、母はエルデラ州に住居があるため、文通でささやかに始まった交際は、痺れを切らした父が母宅に押し掛け、娘さんと結婚させてくださいと談判してフィナーレを迎えた、と母が自慢げに言っていたのを思い出す。
しばらくは単身赴任になったようだが、やがて父は国立楽団の席を捨て、エルデラの隣州の楽団へと移籍した。
規模は国立よりは小さいが、定期演奏会は同じように行われていたし、希望者に月謝を取ってハープ演奏を教えるなどして、最後までハープから離れない生活をしていた。
父は州の楽団はとっくに退職となっていたが、まだまだ元気に動ける年齢だったし、こんなにも早く亡くなるとは誰もが思っていなかった。
それを最も感じているのは母だった。
母は、父が亡くなった時からまるで別人のようになってしまった。
話好きで快活な、誰に対しても面倒見の良い母はいなくなり、日がな一日家に篭って、口数少なくハープに凭れて虚空を見ているばかり。
すっかり呆けたようになってしまい、たまに口を開けば、お父さんの曲を聴きたいと繰り返しては涙に暮れているいうのが、通いで世話をしている妹の話だった。』




