(8)姫が生まれるチューリップ③
カレンは、飲み物が運ばれて来たところで、そういえばと頭を下げた。
「先日の仲介、ありがとうございました」
「こちらこそ迷惑をかけました、苦労したでしょう」
言われて、こちらもそういえばと思い出したオリバーも、とりあえずの謝罪を返す。
確かにあの鏡の客は、かなり厄介だった。
場数を踏んでいるオリバーは変わり者には慣れているが、同じ言語で交渉をしているのに、言葉が通じないと感じた相手は初めてだった。
内容が不適切なだけでなく、それを指摘し、この内容では職人側は受けないと何度説明しても、そうなのですかと一旦驚いておきながら、ところでいつまで作ってもらえますかと何事もなかったように続ける。
話を逸らしているのか、そもそも理解する知能がないのかと疑われるような振る舞いに、オリバーはポーカーフェイスと名高い笑みの裏側で背筋を凍らせていた。
強請られたり脅されたりすれば卒なく躱せるが、客はホテルのスイートルームで、無表情の従僕を何人も侍らせた中心でにこやかに、依頼の受諾の言葉だけをただ待っている。
不適切な依頼は突き返すというルールを敷いているオリバーだったが、いくら諭しても発言内容を変えない相手に、こいつは駄目だと匙を投げた。
美しいものは醜く、醜いものはさらに醜く憎々しく映るという、愚劣な鏡を所望するような者に、常識的な行動を求めることが無駄だとオリバーは事務的に、人脈中から対応可能な職人を探し、最終的に選んだ、それがカレンというわけだった。
カレンは去年鏡の製作で世間の話題になったところだったし、オリバーの見立てでは、この注文についても技術的に対応可能だった。
オリバーはその場で客に、宛先をミス・アスター宛てとして依頼状を書くこと、彼女がもし不可と言えば他に作れる者はいないだろう、と言い渡し、実際に作る・作らないの判断はカレンに任せることにした。
それ以外に、この不審者に物事を理解させる手段はない。
もしこのきな臭い鏡をカレンが嫌がり、断るとすればそれで良し、受ければこの不穏な客を利することにはなるがやむを得ない、とオリバーは思案した。
仲介人たる者は、依頼のあった案件を、どの職人なら対応可能か吟味し、できそうな者に打診して案件の成立に向けて尽力するのが務めであって、もちろん不法な依頼ならば門前払いするが、そこまでに至らないものについては、引き受けるかどうかの判断は職人側が行うべきだというのが、オリバーの考え方だった。
世の中には実にさまざまな思考の者がおり、職人もまた然り。
カレンが年若く経験も浅い頃は、変な客に潰されたりしないようにとそれとなく庇護してきたが、中堅となった今は、己の良心と判断に従い、跳ね返すかどうかもカレンが決めるべきだというのがオリバーの見解だった。
彼女がいつまでも謙虚であることは美徳だったが、まだ仕事を選べる地位にはいない、断れば次が来ないと怯える思考の迷宮から脱出するのは、誰にも助けられない、彼女自身の力でしかできないことだという信条が、仲介人オリバーにはあった。
ゆえに、カレンへの謝罪も"とりあえず"であり、依頼状に"遺憾"と書き添えたのは、専ら己の堅いルールを崩すこととなった無念を込めた、ただそれだけのことであった。
「あの、相手の方、どうでした?」
「どうとは?」
「オーダー通りじゃなかった、ってお腹立ちだったりしなかったかなあ、と」
「ああ、大丈夫ですよ。この条件でなければ受けられない、とはっきり書かれたのは良かったですね。言葉が全く通じない御仁でしたので」
「……国外の方だったのですか?」
「理解力がないということですよ。鏡ができあがってから、貴方からの案件は金輪際引き受けないと申し上げたら、悪魔のような顔をなさいました」
ワォ、と小声で言いながら、カップに口を付けたカレンに、オリバーは、そうは言っても面倒な依頼をこなし、昨日も相当に疲弊したらしい彼女を労う必要がある、と思い直して言葉を接いだ。
苦悩はしただろうが、オーダーから大幅に外れずできる限りで、のところに非常に上手く着地する条件に、なかなかやるじゃないか、と感心したし、オリバーも結果的にそのアイディアに助けられた。
「今日は何かご予定は?帰りの馬車までまだ時間があるのでしょう、よろしければビゼーリをご案内しますよ」
「え、本当ですか!」
カレンが顔を輝かせるのを見て、オリバーは申し出て良かったという気になった。
以前から、ビゼーリに来るたび疲れる迷路だと嘆いているので、時間まで大人しくしていたいと言うかと勘ぐっていたが、少し成長したのか今日は前向きでいるようだ。
バーミアがあるスタフィー州は、州都はそれなりに栄えてはいるものの、ビゼーリはそれを遥かに上回る華やかさ、生活利便性の高さを持つ。
カレン自身は衣装や装身具などには興味はないだろうが、当世風の妹がいると聞いており、その子や家族に土産でも見繕うのだろうか。
行きたいところがあれば良し、なければ都市景観の優れたところにと候補をいくつか思い浮かべていると、これもまた珍しくカレンが「あの、それでしたら」と切り出した。
「私、実は行きたいところがあるんです」
「おや、どちらに」
下調べまでして来たのだろうかとオリバーが尋ねると、カレンは鞄からいそいそとリーフレットらしい紙をを取り出して、「ここです」とテーブルに広げてみせた。
恐らく新聞に折り込まれてきたものであるそのリーフレットは、国立博物館での特別展示の開催を案内する内容のものだった。




