(4)玉手箱⑧
11/12 誤字修正しました。
"A was an apple-pie,"
かきまぜ棒が回る。
B、C、D、Eと続いたのは詩、メロディはついていないが古い童謡だった。
子供に文字を覚えさせるためにかつて歌われていた詩を、F、G、H、Iと急がず暗唱していく。
1フレーズに1回ずつ、鍋は掻き回され、そのたびに液面の表情が軽やかなものに変わっていくように見えた。
アルファベットをW、X、Y、最後にZまで辿り着いたところで、深く息が吸われ、詩の終わりが来る。
"All wished for a piece in hand."
一気にかきまぜ棒が抜き取られ、鍋の中はまだゆるゆると回転を続けていた。
ミス・アスターは火を消し、しばらく中を覗いていたが、1度2度小さく頷いてから、額の汗を手の甲で拭いながら2人の方を振り返った。
「これで終わりです。熱くてしばらく触れないので、えーと……でき上がったのが、これ、です」
料理の手順を示すように、ミス・アスターがテーブルの下から糸束を1つ取り出した。
見た目はテーブル上の山と何ら変わらない。
「これが、魔法を付与した後のものですか?」
「そうです。持ってみてください」
率先して手を出したスタンリーが糸束を持つなり、「うわ、何だコレ変な感じ!何かふわーっとしません、これ?」と束をポンポンと弄んでいる。借りてレオンも持ってみたが、握っているのにひらひらと飛んでいきそうに、しかも一緒に去らないか、と誘われているような気持ちにさせられる不可思議さを明らかに感じた。
「……あの、取引上の秘密とかじゃないんですか。完成品を俺達が見て大丈夫ですか」
「あ、いえ今回はこの糸が完成品なわけではないので大丈夫です、これはまだ途中経過なので。この後は秘密です」
「魔法を掛けるところも、ホントに、見て大丈夫でした?」
「もちろん。魔法を掛けるところ自体は別に秘密じゃないので。むしろ、箱でも同じことをするのでイメージ情報が欲しい、というのをご説明するのに見ていただく方が早いかな、と思ったので」
お目汚しでした、と少し疲れ気味に頭を掻くミス・アスターに、ABCという揶揄は当たらない。
本来は、魔法の掛け方が突飛で他に例がないという驚きだったはずだ。
彼女曰くの『概念の型』の魔法の結果を見ればそれは明白で、伝聞の途中で妬みから勝手に捻じ曲がっていっただけだ。
彼女には今回の依頼品が作れるかもしれない、ではない、もはや作れるという確信が、レオンには生じていた。
「これ、箱を作る時は、鍋から箱が出て来るんですか」
「出て来ますね。魔法付きの箱が」
「うわ、面白い!見たいっすねそれ!」
「本当は、お客様がお手持ちの箱に魔法を付与したいと仰るなら、その方が早いのでずっといいんですけど」
「早いんですか!?」
聞き咎めたレオンは思わず会話に割って入った。
ミス・アスターは面食らったようだが、「はい。圧倒的に早いです」と頷いた。
「女の人って箱が好き、というか思い入れがある人が割と多いんじゃないかなって気がしてまして。私も、贈り物の綺麗な箱を取っておいたりしちゃうので。
なので、竜族がどんな民族かは存じ上げないのですが、今回のお客様は女性で、大事なものを仕舞うということだったので、もしこれに入れたいっていう箱があるなら、その分のイメージ作りは省略できます。この山を何とかしないといけないので、納期は縮められないですけど……」
「中に何を入れるかと、用途の情報は欲しいですよね?」
「そうですね、精度に影響するというか、ないと目的達成できないかな、と」
レオンの頭は首都に戻ってからの行動計画を立てるため、目まぐるしく回った。
まず、1点目の書面をすぐに作らせ、速達。
2点目と3点目は、ピオネル社の社長の襟首を掴み上げ、元請けをがたがた揺すぶって、"これを逃すともう実現不可能"と丁寧に説得して、竜族から了解と情報を取らせる。
タセル社以外にも下請け連が動いている、勝算を得た以上、いち早く行動しなければならない。
「ミス・アスター」
改まった声で呼びかけられたカレン・アスターは、レオンに「改めて、依頼の方よろしくお願いします」と深々と頭を下げられ、「は、はい。こちらこそ」と狼狽えながら辛うじて答えた。




