(1)ガラスの靴②
手始めに、先程の無茶振りと一緒に届いていた箱を、床から取り上げた。
机上に置いたところで、手元がほぼ見えないことに気が付く。
窓の外はブルーアワーまだ時が進んでいて、がっかりしながら窓辺に避難させていたランプに手を伸ばし、ホヤを外す。
重なった資料の下からマッチ箱を探し出し、一本擦って火を灯す。
燃えさしの始末が面倒だったが、燐の匂いが好きで、ランプだけはまだマッチに頼っていたかった。
ネジを回して炎を調整し、ホヤを押し込むと、ランプの周辺を越えて、部屋全体に明かりが伸びる。
このランプは市販の量産品だが、ホヤだけはカレンの改造が入っていた。
今のところ光を増幅できるだけなので改良の余地があるが、依頼が混んでいてなかなか手を着けられずにいる。
ランプを戻して、包み紙を雑に剥がし、素っ気ない箱を開けると、中から目が覚めるように赤い、洒落たハイヒールが片方だけ姿を現した。
雑然とした作業部屋にもカレンにもちぐはぐな品物だった。
もちろん履くために買ったのではない。
魔女にイメージを尋ね、舞踏会の靴、例えば街の製靴屋の流行りの品と提示されたため、サンプルに質流れの品を購入したのだった。
飾りは特に付いていない、高名と履かせた足の美しさで勝負し、また勝負できるのだろう。
だからこそ片方で質流れなのに金貨を持っていかれた。
さすがに正規店で買ってはいられない、カレンは今度は机の左引き出しを掻き回し、取っ手と同じ色の古びた鍵を出した。
中央の引き出しに付いている、唯一の鍵穴に差し込んで捻ると、他とは違って大きく厚い本が1冊だけ入っていた。
飴色の革に二重線の長方形と、その中にCとAを刻んだペンタクルが箔押しされている本を開く。
開いたページは活字の代わりに、手書きの字が縦横無尽に走り、白い部分がほとんどなかった。
また、ところどころページごと破り取った跡がある。
カレンはページを捲り、新しいページを見つけて、その端にハイヒールを乗せると、ペンを取った。
イメージできないものは作れない。
彫刻家は鑿を振るいながら掘るべきものを石の中に見つけ出していくと言うが、カレンはそういう能力は持ってない。
どんな大きさの、形の、デザインの、というのを事前に持っておかないと始められない。
しかし致命的に絵心がなく、それ以前に頭の中にイメージ図を思い浮かべようとしても、どんなに時間をかけてももやもやとしたまま雲よりも具体的にならない。
なのでカレンは代わりに『概念の型を取る』。
作りたい物のモデルがあればその特徴を、まずは思いつくままにページに書き込んでいく。
・誰かに履かれたことがあるのか、新古品か判別できないほど、艶のある革に光がくっきりと走っている
・底から立ち上がりヒールに至るまでの曲線が優美
・ヒールは気取った幅の割には実直な高さ
書くうち、これは追加したい、改良したいと思ったことをその都度足していく。
・トゥはあまり攻撃的ではなく、かといって丸みを持ちすぎ大人しくならないように
次第に、ガラスの靴に帯びさせたい印象にも考えが巡っていく。
・少女が履くなら背伸びをしている面映ゆさが、乙女が履くなら淑やかに踏み出す音に奢りが、女王の場合は、その気品の前で一歩控えつつ卑下しない佇まい
・舞踏会で誘いを受けて優雅な一歩目を、ワルツにもマズルカにも応じ履く者を助けて軽やかに
・足に触れていない状態では華奢に純氷のように向こう側の世界を透かすが、履かれた途端に光を弾いて肌を隠し、ベビーブルーに、角度を変えればラベンダーグレーなどとりどりの色を見せる
・並大抵の衣装では靴に負ける
連想したのが単語の場合もそのまま端の方に書き止めておく。
行き詰まると
・基本素材はガラス、強化必須
・どんなサイズの足にも対応し、指と踵を収めるまでは伸びるが、完全に入ると硬化して足をしっかり包む
など、技術的事項も考えていく。
長くかかってつらつらと書いていくと、いつも通り1ページが文字で埋まった。
カレンは黒くなったページを隅から隅まで読み直した。
殴り書きにも程があり、明るいのに読みづらいことこの上なかったが、苦労して解読し、いくつか加除や修正を施した。
そして隣の白紙ページに、これはと思うものをピックアップして、箇条書きに清書していく。
書き上げると最上部に『ガラスの靴 製作者カレン・アスター』と記し、そのページを勢いを付けて切り取った。
切るではなく破るになってしまうのはいつものことで、そのたびペーパーナーフを思い出す役立たずの後悔をしながら、まあ字は見切れていないからいいかとすぐに忘れてしまうのもいつも通りだった。