頼むよおお!王太子殿下!婚約破棄してくれよおお!
私はリーゼロッテ・フォン・アストルフィーネ。
公爵家の一人娘として生まれ、今や「国を救った女傑」とまで呼ばれる立場になってしまった。
確かに、戦時中は父や周囲の期待に応えたくて頑張ったけれど、それもこれも、今思えば「自由な田舎暮らし」のため。
戦の功績で私には名声と資産が残った。
後は王都を離れて、のどかな田舎で、誰にも縛られず、のんびり一人で暮らしたい。
そんな夢に思いを馳せていた。
──だが、私のそんなささやかな夢は、突如として訪れた「王太子との婚約話」によって完全に崩れ去ったのだった。
「……は?」
婚約が決まった日、私は固まってその場に立ち尽くした。
王太子アルフレッドとは宮廷で何度か顔を合わせたことがあるが、どうにも気難しそうで取っつきにくい印象だ。
「田舎暮らしの相手」とは程遠い。それどころか、「この国の未来を共に担う、模範的な夫婦であってほしい」と、国王陛下自らのお墨付きまでいただいてしまったのだ。
「まさか、私が王太子妃に……」
私は泣きたくなるような気持ちを必死に抑え、渋々婚約を受け入れた。
こんなことになるなら頑張らなければ良かった。
だが、時が経つにつれ、「周りが喜んでいるから」と言って、こんな一生を受け入れる必要があるのか疑問が膨らんでいった。
宮廷での生活も、王太子としての規律を重んじる生活も、私にはどうしても馴染めそうにない。
それに、ここ最近はアルフレッドの視線があまりにも熱く感じられ、息が詰まる思いをしている。
「──もう、これ以上は無理!田舎でのんびり暮らしたいのに、なんで私がこんな重圧に耐えないといけないの!?」
そんな思いが募るばかりで、ついに私は決断した。
どうにかして婚約破棄をしてもらうしかない、と。
あの王太子が、私に対して愛想を尽かしてくれればそれでいい。
とにかく彼が私を放り出すように仕向ければいいのだ。
そこで、私は第一の作戦として「冷たい態度で距離を取る」ことにした。
彼にわざとぶっきらぼうに接し、
「なんだ、あの女は……!」
と幻滅してもらうのが狙いだ。
幸い、アルフレッドは私の心の内を知る由もないはず。
彼に対してだけ冷たくすれば、気難しい彼のこと、きっとすぐに嫌気が差すに違いない。
よし!婚約破棄させてやる!
******
その日の午後、私は早速作戦を実行に移した。
アルフレッドが茶会に誘ってくれたが、そっけなく「行く気がしませんわ」と断ってやったのだ。
貴族の女性であれば、王太子との茶会に誘われれば光栄に思うところだが、私は鼻で笑って拒否した。
──どうだ!!!
「そうか……それは残念だな」
だが、彼は意外にもあっさりと引き下がった。
もしかして、もう少しで婚約破棄に持ち込めるのでは?そんな淡い期待が頭をよぎった。
よっしゃあ!上手くいった!?
******
それから数日間、私はアルフレッドに冷たく接し続けた。
彼が声をかけてきても、わざと短く返事をしたり、逆に返事をしなかったり、徹底的に無関心を装った。
彼との距離が遠のいていくのを感じて、心の中では小さくガッツポーズをしていた。
──だが、そんな私の喜びも束の間だった。
ある日の舞踏会で、私はとことん彼を無視し続けた
話しかけてきたアルフレッドに対して、ただ「ふん」と鼻を鳴らして無言で去ったのだ。
それでさすがにうんざりするはずだと思っていたのだが、その翌日、彼が私にこんなことを言い出したのだ。
「──リーゼロッテ、君が時折見せるその冷たさが……まるで冷たく輝く月のようで、とても美しい」
「……はい?」
思わず耳を疑った。
あれだけ冷たくしたのに、どうして彼は魅了されたと言うのだ?
まさか、私の無愛想な態度を「クールでミステリアス」とでも解釈したのか?心の中で頭を抱えた。
私の望む方向に進むどころか、逆効果を生んでいる。
それからというもの、アルフレッドはますます私に注目するようになった。
ふとした瞬間に視線を感じるたび、「なぜなの!?」と心の中で叫ばずにはいられない。
彼の顔を見るたびにこちらの心拍数が上がるのを感じて、次第に冷静さを失っていった。
「ふう……これは作戦を練り直さなければならないかもしれない」
私は大きくため息をつき、次なる作戦を考えるべく頭を抱えた。
冷たい態度が効果を発揮しないどころか、逆に彼の関心を引きつけてしまった以上、他の手を打たなければならない。
次はもっと確実に、アルフレッドが「こんな相手とは婚約なんて冗談じゃない!」と感じるような作戦を考えなければ。
──だが、このとき私はまだ知らなかった。
どれほど手を尽くしても、彼の「私への愛情」は揺らぐことがないという事実を。
******
私の「冷たくすれば距離を取られる」という作戦は、まさかの逆効果で失敗に終わった。
ならば次なる手だ。完全に無関心を装う作戦でいこう。よし!
彼に話しかけられても、目も合わせず、まるでそこにいないかのように振る舞う。
彼の質問には無言を貫き、必要最低限の返事しかせず、極力、存在すら認識しないような態度で接するのだ。
これならさすがに「自分には興味がないんだな」と察してくれるだろう。
翌日から、私は計画通り徹底的に無視を決め込んだ。
お昼の席で王太子が隣に座ってきても、ちらりとも視線を向けない。
彼が「君はどんな料理が好みなのだろう」と話しかけても、ただ曖昧に「別に……」と答えるだけで、すぐさま別の話に切り替える。
彼がどんなに親切に話しかけても、まるで彼の声が風に消えていくかのように、さらりと受け流した。
彼が落胆する姿を想像し、心の中でほくそ笑む。
「さあ、これで諦めてくれるわね……」
作戦が上手く進んでおり、私は微笑んだ。
──だが、それからしばらく経ったある日、事件が起きた。私が廊下を歩いていると、急に誰かが後ろから声をかけてきた。
「リーゼロッテ、少しよろしいか」
振り返ると、アルフレッドが立っていた。
彼は満面の笑みを浮かべ、私の前に立ちふさがった。
その表情がいつもと違って、なにか不敵な笑みを浮かべているようにも見える。
「君の冷たい態度は、私を試しているのだろう?」
「……は?」
私は思わず目を見開いた。彼はなにを勘違いしているのだろうか?
「こうしてじらされるのも悪くないな」
と彼は自信たっぷりに続ける。
な、何言ってんだコイツ……。
「冷たくされればされるほど、君に惹かれてしまう自分がいるんだ」
そう言って、彼はさも満足そうに微笑んで去っていった。こ、コイツやべぇ……。
私の口は、ぽかんと開いたまま閉じることができなかった。
どうやら彼は、私の冷たい態度を「じらされている」と解釈したらしい。
完全に裏目に出たのだ。
「くっ、なんで……上手くいかないの!」
私は思わず一人で地団駄を踏む。
無関心作戦も失敗に終わった以上、次の手を考えなければならない。
******
そこで次に思いついたのが、
「自分の悪評を広めて、王太子にふさわしくない相手と思わせる」
という作戦だった。
具体的には、周囲に「私はひどくわがままで、気難しい女だ」といった噂を流すのだ。
これなら、王太子やその家族も私に対する印象を悪くし、自然と婚約解消へと導かれるはず。
よし、やってやる!
私は数人の信頼できる使用人に頼み、彼女はとても冷酷で、何事も自分中心に考えるといった話をさりげなく広めてもらうことにした。
さすがに使用人も訳が分からなさそうに首を傾げていたが、いいからいいから、と無理やり押しきった。
これでさすがに、アルフレッドの家族も嫌気が差すはず……!
しばらくして、私は彼の家族が噂を耳にしたらしいことを知った。
きっと私に幻滅したに違いないと内心ほくそ笑んでいたのだが、ある日、彼の妹であるレティシア王女から思いがけない手紙が届いた。
「リーゼロッテ様、私はあなたのユニークで強い個性が素晴らしいと思います。私の兄にもあのような芯のある女性が必要ですわ。噂など気になさらず、どうか兄をよろしくお願いいたしますね」
私はその手紙を読んで呆然とした。どうやら噂話は「個性的で強い女性」と好意的に解釈されてしまったようだ。
王族とは得てして独特な発想を持つものだとは思っていたが、まさかこんなに裏目に出るとは。
「……これでダメなら、次は思い切って、私の趣味がどれだけ奇妙かを見せつけるしかないわ!」
******
そうして、私は次の作戦として「奇妙な趣味を披露する」ことを決意した。
どうやらアルフレッドは、知的で好奇心旺盛な女性が好きらしいという噂を耳にしていたので、そこに目をつけたのだ。
だが、単なる読書や芸術鑑賞では「つまらない趣味」と思われるかもしれない。
そこで私は、敢えて「古代の呪文研究」とか「不思議な薬草の収集」など、ちょっと変わった趣味をわざと披露して、彼をドン引きさせようと考えた。
ある日、アルフレッドと二人きりの時間ができたとき、私は「最近の興味」について話し始めた。
あくまで自然に、しかし彼が耳を疑うような内容を並べ立てる。
「……実は最近、古代の呪文に興味があって。夜な夜な月明かりの下で呪文を唱えたりしているんです」
彼が唖然とする様子を期待していたが、返ってきた反応は全くの予想外だった。
「──なんと素晴らしい!古代の知識に触れるその探究心は、まさに知性の証だ!」
驚愕する私に気づかず、彼は続ける。
「君がそんなに深い学問に興味を持っているとは。君の好奇心には心から感服するよ」
どうやら、私の「奇妙な趣味」は彼にとって「知性と教養の証」として認識されたらしい。
……何をやっても逆効果で、彼の愛情は深まるばかり。
私は内心で頭を抱えた。
こうして私の必死の婚約破棄作戦は、ことごとく裏目に出るばかり。
アルフレッドは私のどんな奇妙な行動にも好意的な解釈をしてしまう。
そして、彼の私に対する関心はますます強くなるばかりで、私の自由への道は一向に開かれる気配がない。
「どうして、こんなにも婚約を破棄できないのよ……!」
何度も心の中でそう叫ぶが、彼の笑顔が視界に入るたび、再び新たな作戦を考えざるを得なくなってしまうのだった。
******
何度も何度も婚約破棄を試み、あらゆる作戦を実行してきたが、すべては裏目に出てしまった。
私はとうに限界に達していた。
冷たい態度を取っても無関心を装っても、悪評を広めても、奇妙な趣味を披露しても、どれも彼の愛情を冷めさせるどころか、逆に燃え上がらせる結果になってしまったのだ。
「これだけ頑張っても破棄できないなんて……!」
私は夜な夜なため息をつき、枕に顔を押し当てて嘆く日々が続いた。
しかし、どれほど疲れ果てようと、ここで諦めるわけにはいかない。
私は自由な田舎暮らしを諦めるつもりはないのだ!!!
******
次の朝、重い足取りで王宮に向かうと、そこにはすでに待っていた王太子アルフレッドの姿があった。
彼は私を見つけると、相変わらずの穏やかな微笑を浮かべて近づいてくる。
普通ならその笑顔にときめくべきなのだろうが、私は逆に焦りを覚えてしまう。
彼が私に向ける視線が、以前よりもいっそう優しく感じられたからだ。
もしかして、私がわざと奇妙な行動を取っていることに気づき始めているのでは?
アルフレッドが私をじっと見つめ、
「君の行動には何か理由があるのだろう?」
と、問いかけてきたとき、私は一瞬冷や汗が流れるのを感じた。
「そ、そんなことはありませんわ。ただ、私には……その、普通とは少し違う一面があるというだけですの」
「君の全てが見たいのだよ、リーゼロッテ」
「えっ……?」
彼は柔らかな微笑みを崩さないまま、さらに一歩近づいてきた。
私は思わず一歩後ずさりしたものの、彼の手が私の肩をそっと掴む。
「君が何を考えているのか、その理由が何であれ、私は受け止める覚悟がある」
そう真剣な眼差しで言われ、私はますます焦ってしまった。
これはまずい……!
こんなに心の距離を詰められては、彼を遠ざけるどころか、逆にこちらが彼に心を乱されてしまう!
そこで私は最後の作戦を決行することにした。
もしも彼が「こんな女性とは結婚できない」と感じるほどの「秘密」を持っていると思えば、さすがの王太子も私から距離を取るだろう。
私は心の中で小さくガッツポーズをし、ありえないほどの嘘で彼を驚かせることにした。
「実は、私には……王太子殿下にふさわしくないような、とても言いづらい秘密がございますの」
「秘密? どんなことでもいい、聞かせてくれないか」
私はわざと俯き、声を震わせながら語り始めた。
「……私は、幼い頃から毎晩のように謎の呪文を唱えてしまう癖がありまして。それも、何かに取り憑かれたように……」
彼が目を見開くのを確認し、内心で「よし、これなら幻滅してくれるはず!」と確信する。
しかし、彼はしばらく沈黙したあと、口を開いた。
「それが君の癖だとしても、私は君を受け入れるよ。きっと深い理由があるのだろう?」
「……ええっ!?」
さらに追い討ちをかけるべく、私は続けた。
「私の心の中には、もう一人の『私』が潜んでいるのです……。ときにはその『もう一人の私』が暴走して、どうしようもなくなるのです」
するとアルフレッドは、なぜか感動した様子で私を見つめた。
「二つの魂を持つだなんて、なんと深い……。リーゼロッテ、君のその多面性に私はますます惹かれてしまうよ」
……またしても失敗だ。
彼は、どんな嘘でも「個性」や「深み」として受け入れてしまうらしい。
私は内心で頭を抱えたが、それでも最後の手段として「恥ずかしい秘密」まで暴露することにした。
「実は、私は幼少期から、かぼちゃの妖精が見えるのです。いつも私の周りをぐるぐると回って、話しかけてきますの」
「かぼちゃの妖精?」
「ええ、何度も追い払おうとするのですが……どうしても離れてくれません」
さすがにこれには怯むだろう、と思ったのも束の間、アルフレッドはその言葉に真剣に耳を傾け、最後には微笑みを浮かべてこう言った。
「なんと素晴らしい!かぼちゃの妖精とは、君はなんてユニークな世界を見ているのだろう!その豊かな想像力を私は誇りに思う」
「なっ……」
ここまで来ると、もう何も言えなかった。
どんな嘘をついても、彼は私の「個性」として受け入れ、むしろ喜ぶのだ。
これ以上、何をどうしても無駄だ……。
完全に打つ手を失った私は、その場で深いため息をついた。
どれほど私が婚約破棄を望んでいても、彼は決して私を手放そうとはしない。
これが「愛」というものなのかと疑いたくなるが、アルフレッドの眼差しには確かに私を思う強い気持ちがこもっていた。
「リーゼロッテ、私は君と共に生きていきたい。君がどれほど奇妙な一面を持っていようとも、私は君を守りたいと思っている」
「どうして、そこまで私を……」
思わず呆然としてつぶやくが、彼はただ穏やかな笑顔を崩さずに私を見つめている。
その優しい瞳に、なぜか私は少しだけ心が揺らいでしまった。
だが、そんな甘い気持ちに浸るわけにはいかない。
私はその後王太子と離れて一人になり、自室で最後の力を振り絞って叫んだ。
「どうしてこうなるのよおお!何度も何度も作戦を実行したのに、どうして破棄してくれないのよおおお!田舎でスローライフさせてよおお!」
その場に響き渡る私の叫び声。
しかしその叫び声は誰にも届くことなく消えていく。
こうして、私は最後の希望を打ち砕かれ、王太子との婚約破棄の夢は、泡と消えてしまったのだった。
******
リーゼロッテが「なんで破棄できないんだよおおお!」と、とうとう涙目で叫んだ瞬間、私は内心で思わず笑いそうになってしまった。
彼女の本音が見え隠れする行動に気づいたのは、実は最初のうちからだった。
おそらく彼女の望みは、私との婚約を解消して、自由に田舎ででも暮らすことなのだろう。
だが、その一生懸命な顔を見ると、どうしても意地悪をしたくなる。
彼女が必死に試みる「冷たい態度」も、「無関心な態度」も、果ては奇妙な趣味も、すべてが一生懸命すぎて、つい愛おしく感じてしまうのだ。
彼女のような女性は初めてだった。
普通ならば、自画自賛がすぎることは承知だが、私のような王太子との婚約は誰もが光栄に思うだろう。
しかしリーゼロッテ、彼女は逆に必死で逃げようとする。
それどころか、どれほど遠ざけようと頑張っても、私の方がもっと彼女に惹かれてしまう。
「リーゼロッテ、君は本当に……なんて可愛らしい人なんだろう」
私の予想は当たってたようで、彼女が自室で叫ぶ姿をこっそり少し空いていた扉の隙間から見て、思わず私は呟いた。
「君がどんな理由であれ、自由を望んでいることはわかっている。でも、それなら私も共に君の自由を守りたい。君のそばで、私も自由でいたいと思っているんだ」
私は頑張るリーゼロッテ──彼女の姿が、ただただ愛おしくて仕方がなかった。
彼女が田舎でのんびりと暮らしたいなら私も着いていきたい。
──しかし今は、頑張る彼女を少しからかいながら共に暮らすのも悪くない、かな。