虐げられた少女は、竜王陛下の最愛となる〜 あなた達の非道な行いは、すべてその身に還るそうです〜
「ああ、醜い! どうしてお前のようなものが産まれてしまったのだ……」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「災いの化身め! お前なんかより、ジネットの方がよほど愛らしい! この婚姻はなかったことにさせてもらう」
「……ごめんなさい、ごめんなさい」
「こんな人が実の姉だなんて、最悪だわ。ルシェル様の寵愛はわたしがいただくから、あなたはこれからもボロ雑巾のように生きていくのね。あはははは!」
「…………ごめん、なさい」
――ああ、どうして。
アマリリスはひんやりと冷たい石畳に伏せながら、虚ろな目で冷たい石の壁を眺めていた。
アマリリスは、両親によって地下牢に繋がれている。
ここが彼女に与えられた唯一の居場所なのだ。
ジメジメと湿度が高く、あちこちにカビが生えている。身体を洗うための風呂桶の水も澱んでいて、空気までもどんよりと重たい。
錆びた鉄の匂いが充満している。アマリリスの足首に付けられた足枷からか、固く閉ざされた檻からか、はたまたアマリリス自身の血の匂いなのか。
空色の美しい髪もすっかり痛んでくすんでいて、エメラルドのように美しかった瞳も、今となっては絶望の影が落ちている。
薄汚れた肌には、ところどころに蜥蜴のような鱗が付いている。
それは、この場に不釣り合いなほど美しい輝きを放っていた――
アマリリスは竜人の先祖返りであった。
異変が現れ始めたのは十二歳の時。
高熱にうなされた後、腕や頬に網目のようなあざが現れた。始めは何かの病気かと、当時優しかった両親は、東奔西走し、評判の医師を何人も連れてきた。
次第にあざは硬い鱗となり、美しく蒼い光を放った。
大陸の帝国では、竜人は尊い存在とされている。
帝国に生まれていたならば――王宮に召し上げられ、それはそれは大事にされていただろう。
けれども不幸なことに、アマリリスの生まれ育った国は閉鎖的で排他的な島国で、古来からの伝聞により、竜は忌むべき存在だった。
竜の息吹により、国中が焼け野原となり、何人もの民が供物として捧げられたがその怒りは収まることを知らず、遂には国が滅びたと――昔話として語られてきた。
「悪い子は竜に食べられてしまうぞ」とは、この国の子供たちが等しく聞かされる言葉である。
だから、身体に鱗が現れたことで、家族は途端にアマリリスを疎み、忌み子として扱った。
蝶よ花よと大切に育てられた本邸から追い出され、日の当たらない地下牢に閉じ込められた。
辛うじて命を繋げる量の食事と水のみを与えられ、蔑みの目で睨みつけられる日々。
それだけならまだよかった。
次第に、「どうして我が子に竜の呪いが」「いや、違う。あれはもう我らの子ではない」「悍ましい、悍ましい」と怨みのような念を向けられるようになった。
殴られ、切りつけられ、鱗を剥がされ、鞭で叩かれる。
竜人の再生力は凄まじく、異様な速さで治癒していくことが分かってからはもっと酷かった。
どうせ簡単には死なないのだから、と口にするのも恐ろしいほどの暴力を受けた。
痛い、痛い。肌が焼けるように熱い。
どうして? 昔はあんなに優しかったのに――
次第にアマリリスは泣き叫ぶこともしなくなり、目から光は失われ、ただ理不尽な暴力が過ぎ去るまで耐え続けた。
父が、母が、妹が、そして幼い頃に親同士が決めた許嫁まで――
あんなに仲が良かったのに。
あなたとなら、恋ができると、そう思っていたのに。
甘く優しい眼差しで、アマリリスの名前を呼んでくれた彼はもういない。まるで別人のように表情を歪め、氷のような視線を浴びせてくる。
対外的にはアマリリスは死んだことになっていた。
竜人を産み落としたとバレたなら、一家まとめて迫害されることは目に見えていた。それほどまでにこの国において、竜は恐ろしく、憎悪の対象なのである。
いっそ殺してくれればいいのに。
アマリリスは何度もそう思った。
もう一生太陽の下には出れずに、寿命が尽きるまでなぶられ続ける未来は昏く、絶望の色に染まっている。
人並外れた治癒力があるだけに、簡単に死ぬこともできない。こんな力、望んで得たわけではないのに。
「だれか、わたしを殺して――」
アマリリスの願いはただ一つ。
今の悲痛な生活から解放されることだけだった。
◇◇◇
アマリリスの人生に光が差したのは、十六歳の誕生日を迎えた日のことだった。
もちろん、家族から誕生日を祝われることはない。
むしろアマリリスが産み落とされた凶日として、誕生日はいつも以上に痛めつけられる。
とうとう今日、なぶり殺されてしまうのではなかろうか。
そんな恐怖と、死ねばこの苦痛からも解放されるという僅かな期待。地下では時間が分からないが、恐らく昼過ぎには一家総出で地下牢にやってくるだろう。
アマリリスは定まらない視線を泳がせながら、その時をひたすらに待った。
けれども、階段から聞こえてきたのは知らない男の声だった。
「お前がアマリリスか」
一言発しただけで澱んだ空気が澄み渡るような、そんな凛とした声に、沈んでいた視線を上げる。
そこには見たこともないような美丈夫が立っていた。
艶やかな深緑の髪に、金色の瞳。
その装いから尊い人物であることは、教養のないアマリリスでさえ一見して理解できた。
どうしてか、その顔を見た時、胸を締め付けるような懐かしさを感じた。
記憶の彼方、竜の血の記憶なのだろうか――
魂が震えて、涙が滲みそうになる。
「本当に――本当に長い間待たせてしまった。ああ、これほどまでに痩せて……垢も血の跡もこびりついているではないか。すぐに我が国に連れて行くぞ」
「な、ななっ! 勝手に現れて、何を言う! アマリリスは私の娘だ! い、許嫁もいるのだ! 連れて行くと言うなら相応の対価を――」
「――黙れ」
「グアッ!」
目の前の男が軽く手を翳しただけで、父のマテロが石壁まで吹き飛んでいった。
慌てて階段を駆け降りてきたらしい母のシーラと、妹のジネットは声にならない悲鳴をあげるが、身体が固まったように動けないらしく、真っ青な顔をして身を寄せ合っている。
「大切な我らが同胞への長年の仕打ち、許すつもりはない。お前たちの罪は帝国で洗いざらい吐かせてやる。連行しろ」
「はっ」
いつの間にか現れた兵たちに、アマリリスの家族は瞬く間に縛り上げられていく。
「一体何の騒ぎですか? アマリリスが暴れているので? いつものように殴って黙らせましょうか……なっ、何だお前たちは⁉︎」
「――ふん、まだ下衆がいたか。此奴も捕えろ。手荒にして構わん。抵抗するのなら腕の一本でも折ってしまえ」
「なっ、触るな! 無礼者め! ぎゃっ」
男の言葉通り、抵抗を試みたルシェルの腕は呆気なく折られた。ボキッという渇いた音が嫌に耳につき、声にならない悲鳴が無機質な地下牢に響く。
その間に、男はアマリリスの足枷を素手で壊して、薄汚れて異臭すらも放つ彼女を躊躇うことなくその腕に抱き上げた。
「さあ、俺と共に帰ろう」
「あ……」
ああ、やっとこの生活から解放される――
そう思ったら安心したのか、アマリリスの視界はフッと暗転した。
◇◇◇
「う……ここは?」
アマリリスが目を覚ますと、目に入ったのは見たこともない美しい紋様が描かれた高い天井だった。
辺りを見回すと、清潔感のある広い部屋にいるらしく、見るからに高そうな調度品があちこちに飾られている。
気を失っている間に、身が清められたらしく、皮膚にこびりついていた垢や血が綺麗になっていた。
磨き上げられた鱗が眩く蒼い光を放っている。
アマリリスは咄嗟にシーツを掻き抱いて、鱗を隠した。鱗を見ると、虐げられていた日々がまざまざと蘇り、震えが止まらなくなる。
コンコン。
小さなノックの音がして、「起きたのか? 入るぞ」と凛と通る声が聞こえた。
その声を聞いて、そうだ、この声の主に地下牢から救い出されたのだと記憶が鮮やかになる。
「は、はい」
震える声で答えると、見目麗しい金色の瞳の男が扉を開けて部屋に入ってきた。
男は真っ直ぐにアマリリスの元へやってきて、視線を合わせるように膝をついた。
「具合はどうだ? 急なことで混乱しているだろうが、俺は君の味方だ。俺の名はアデルバート。アデルと呼んでくれ」
「あ、アデル様……?」
恐る恐る請われるままに名を呼ぶと、アデルバートは蕩けるような笑みを浮かべた。
そのことに、アマリリスの心臓は跳ね上がる。
こんなに優しい笑みを向けられたのは、いつぶりだろうか。
ギュッと胸が詰まり、目頭が熱くなる。
「あの、ここは……?」
気を紛らわすために、震える声を絞り出す。アマリリスが連れ出されたのは一体どこなのか。今、どういう状況なのか。分からないことだらけなのだ。
「ここはエクセリヴァーグ帝国。竜の血を引く王が治める国だ。我が国では竜は尊い存在で、その血を引くものは丁重に扱われる」
「え……」
祖国とまるで逆の考え方を持つことに、驚きを隠せない。
だって、竜は忌むべき存在だと、だからアマリリスは酷い扱いを受けても然るべきなのだと、ずっとずっとそう言われ続けてきたから。
「アマリリス、どうか隠さないで。俺に君の鱗を見せてはくれないか?」
「あ……で、でも」
「大丈夫」
アデルバートは赤子をあやすようにアマリリスの頭を撫で、固く握られていた手を解くと、そっと鱗を隠すシーツをずらしていく。露わになった蒼い光に、アマリリスはギュッと瞳を閉じた。
「ああ、とても綺麗だ」
「……え?」
耳が拾った言葉を理解できずに、アマリリスは呆けた顔をしてアデルバートを見つめてしまった。
そんなアマリリスの瞳を真っ直ぐ見据えて、再びアデルバートは口を開いた。
「綺麗だよ。アマリリス」
「そ、んな……そんなはずはありません。この鱗のせいで、私は……」
「アマリリス」
高い治癒力のおかげで、身体に傷跡は残ってはいないが、アマリリスの身体は見えない傷だらけなのだ。
震える身体を抱き締めるように腕を回すも、そっとその腕を解かれてしまう。
そして温かな何かに身体が包み込まれた。
抱き締められている。
そう理解したアマリリスの顔にカッと熱が集まった。
「アマリリス、君はよく頑張った。俺が君を見つけるまで、よく耐え抜いてくれた。こうして君と出会うことができて本当によかった。これからは俺が必ず君を幸せにすると誓う。だからもう、自分のことや、この美しい鱗のことを卑下しないでくれ」
「アデル様……うっ、グスッ」
温かく逞しい腕に抱かれながら、優しく背中を撫でられたアマリリスは、込み上げてくる涙を堪えることができなかった。
涙はもう、枯れたと思っていたのに。
温かな雫が止まることなく頬を滑っていく。
これまで疎ましく思っていた鱗を、綺麗だと言ってくれた。
アマリリスの存在を認めてくれた。
それだけでなく、諦めていた明るい未来までも与えてくれようとしている。
アマリリスの渇ききった心が、少しずつ優しさの水を得て、潤いを取り戻していく。
アマリリスはしばらく声を上げて泣き続けた。
◇◇◇
「とにかく、君には美味しい食事をして、ふかふかのベッドで寝て、しっかりと体調を整えてもらう。急にたくさんは食べられないだろうから、少しずつ、胃に優しいものを作らせよう。君専属の侍女はもう選別してある。後で部屋に来るように伝えているから、色々と教えてもらうといい」
「は、はぁ……」
ズ、と鼻を啜り、泣き腫らした目を押さえながら話に耳を傾けていたアマリリスであるが、矢継ぎ早に語られるアデルバートの話の内容に困惑する。
「あの、どうしてそれほどまでに良くしてくださるのですか?」
「え……? ああ、すまない。やっと君を見つけられて、大人気なくもはしゃいでしまったな」
アデルバートは照れ臭そうに、手の甲を口元に当てた。その口角は僅かに弧を描いている。
「積もる話はたくさんあるのだが……それは追々、ゆっくりと、少しずつ伝えていくとしよう。まずは体力をつけることが最優先だ。その細い足だと、まともに歩くこともできまい」
「あ……す、すみません」
「責めているわけではない。少しでも俺に感謝の気持ちがあるのなら……そうだな、元気になることをその返礼として受け取ろう」
「……はい」
どこまでもアマリリスを思い遣ってくれるアデルバートに、アマリリスの心が少しずつ解きほぐされていく。
不意に、アデルバートが眉間に皺を寄せ、重々しい口調でアマリリスに語りかけた。
ピン、と空気が張り詰め、自然とアマリリスの背筋も伸びてしまう。
「アマリリス。君の家族の処遇についてなのだが」
『家族』という単語に、びくりと肩が跳ねる。
そうだ、確かあの時、父も、母も、妹も、名ばかりの許嫁も――アマリリスを虐げてきた者は残らず兵に捕縛されていた。
「えっと、その……わたしの家族は今、どうしているのでしょうか?」
「厳重に牢に繋いでいる。繋がれる身となり、少しでも自らの行いを悔い改めてくれれば良かったのだが――あの者どもの口からは聞くに耐えん言葉ばかりが吐き出される。これから尋問だ。神を冒涜したのだから、相応の罰は受けてもらう」
「罰……?」
「ああ。我が国が開発した秘薬の実験台になってもらう」
そう言って胸ポケットから、濃い紫の液体が入った小瓶を取り出した。
「これは、反転の再現薬。飲んだ者がこれまで犯した罪が、その者の身に跳ね返り、再現される。君への酷遇を白日のもとに晒すとともに、自らの過ちをその身に受けさせ反省を促すものなのだが……そこまでの効果は期待しない方がよさそうだ」
アデルバートの言葉に、アマリリスも悲痛な顔をして視線を下げた。
彼らは、アマリリスを傷つけることに何の罪悪感も抱いていなかった。自らの行いが正しいと信じて疑っていなかった。きっと、最期まで悔い改めることはないだろう。
「アマリリス。君が……いや、鱗が現れたのは何歳の頃だ?」
「え、と……鱗が現れたのは十二歳です」
言葉を選んで問うたアデルバートだが、アマリリスはその問いの意味を理解したらしく、消え入りそうな声で答えた。
つまり、十二歳の頃から非道な行いは始まったということ。
「――よし、分かった。カルロ、薬の効果対象が決まったぞ。アマリリスが十二歳の頃から、今日に至るまで、奴らが彼女に痛みを与えた行為全て、だ」
「承知いたしました」
黒いフードを被った魔術師が、音もなく室内に現れた。
アマリリスはギョッとするが、カルロと呼ばれた魔術師は薬を目線の高さに掲げて何やら呪文を唱えた。すると、紫紺の光がぼんやりと立ち登り、アマリリスを包み込んだ。そしてキラキラと弾けるように輝きながら再び小瓶の中へと収束していった。
「準備は整った。アマリリスを虐げた奴らに鉄槌を下しにいく。きっと見るに耐えない凄惨な光景となるだろう。君はここに残っているように」
アデルバートは獲物を狙う獣のように金の瞳をギラつかせながら立ち上がると、部屋に専属侍女を呼ぶようにと扉の外の護衛に言い付けて、足速に部屋を出ていった。
◇◇◇
「――最期に何か言い残すことはあるか?」
玉座から、アデルバートが侮蔑の眼差しで見据えるのは、ようやく見つけた愛しの姫を虐げ続けてきた者たち。
横一列に並ばされ、膝をついて頭を垂れている。もちろん後ろ手に腕を縛られ、兵士によって押さえつけられているのだが。
「ぐ……我々は無実だ! そのようなこと、実の娘にするはずがない!」
「ほう。ならば、この薬を飲んでも問題はあるまい? 何もしていないのならば、何も起こらないはずだからな」
「ぐ……そ、それは」
薬の効能については既に説明してある。
本当にそんな魔法のような薬が存在するのだろうか。閉鎖的な島国で育ったマテロたちには甚だ信じることはできない代物だ。
だが、もしもその薬の効能が本物だったら――
これまでの行いの数々を思い返し、一同の顔から血の気が引いていく。
「くそ……それもこれも、あんなものが産まれたせいで!!! 悍ましい、化け物が……!!!」
苦し紛れにマテロが吐き捨てた言葉に、その場が凍りついた。
ガチガチと顎が震えて歯が鳴る。象に踏み付けられているかのような重圧が、身体にのし掛かる。
ヒュッヒュッと肺が酸素を求める音が虚しく響いた。
「――黙れ。贖罪以外の発言は許さん」
アデルバートは氷のような視線で、射殺すようにマテロを見据えていた。彼の放つ異様な圧力が、罪人達に重くのし掛かっていたのだ。
――バタン
その重圧に耐えきれずに、ジネットが泡を吹いて倒れてしまった。だが、そのようなことが許されるはずもなく、グイッと髪を引っ張られて両頬を叩かれ強制的に覚醒させられる。ジネットは気絶することも許されないことに絶望し、大きく目を見開きながらボロボロと涙を流し続けていた。
その様子に、ますます一同の表情には恐怖の色が深まっていく。
「カルロ、始めろ」
「はっ、竜王陛下の御心のままに」
「やめろ……やめろぉぉぉぉぉ!!!」
アデルバートによる無慈悲な命を受け、魔術師カルロは反転の再現薬の小瓶の蓋を開けた。
小瓶からはとぷん、と紫色の液体が球形を成して宙に浮かび上がる。四つの小さな玉が、ゆらゆら揺蕩いながら罪人達の口の前へと迫っていく。
その球体を怯える眼差しで見つめる一同。
兵によって無理矢理口を開かされた彼らの喉奥に、紫色の球体が吸い込まれていった。
「はぁっ……はぁっ……はぁ……」
恐怖により瞳孔が見開き、荒い呼吸を繰り返す中、初めに悲鳴を上げたのはシーラだった。
「いやっ! 痛いっ! やめて……っ!」
見えない何かに激しく両頬を打たれているのか、その身体は右に左に激しく揺れている。床を転がっては、再び身体が跳ね起きて繰り返し殴打されている。
「あ、あ、ああああああっ!!」
続いて、ルシェルの爪がバリバリと剥がれ、鮮血が噴き上がった。ボキボキッと指が逆側に反り返る。連行時に折られた腕と共に、彼の手脚は異様な方向へと曲がっている。
「ひっ……いやぁぁぁ!!!」
ジネットの腕の皮膚が大きく裂け、血飛沫を上げた。
彼女に竜の鱗はないが、きっと、アマリリスの腕の鱗を引きちぎっていたのだろう。腕、脚、頬。瞬く間に身体中の皮膚がブチブチと裂けていく。
「ぐわぁぁぁぁぁあ!!!」
マテロの身体にも無数の刀傷や鞭で打たれた跡が現れ、足元には血溜まりが広がっていく。腕、手首、顔、足首、背中。身体中が切り刻まれて、鬱血し、真っ赤に染まっていく。
「やめろ」「やめてくれ」「頼むから」「もう死んでしまう」「助けて」
彼らは悲鳴ともならない叫び声を上げながら、血と涙と絶望に塗れた顔で、縋るようにアデルバートにずり寄っていく。
だが、そんな彼らの頭上に降ってきたのは背筋も凍るほどの冷たい声だった。
「お前達は、アマリリスに請われてその行いを止めたのか? 治癒力が高いといえども、痛みを感じるのは同じこと。今お前達が感じている痛みは、全てアマリリスの痛みと知れ。全てはお前達の非人道的な行いが故――因果応報であるぞ」
アデルバートは、はらわたが煮えくり返っていた。
歯を食いしばり、目の前の下衆共を殺したい衝動に辛うじて耐えていた。
今、目の前で繰り広げられている惨状は、全てアマリリスの身に起きたことなのだ。
常人であればとっくに死んでいるものを、アマリリスは竜人故に辛うじて生き延びていたのだ。
切られた皮膚や鱗は再生し、折れた手足も数日で治ったことだろう。だが、その身に受けた痛みや心の傷は蓄積され続けていく。
そう、常人であれば、耐えられるはずもなく――
刑が執行された部屋からは、間も無く悲鳴も雄叫びも、何も聞こえなくなった。
◇◇◇
竜人は、成人すると鱗がポロリと剥がれ落ち、白磁のような艶やかな肌となる。
アマリリスも例外ではなく、成人を迎えた今、牢に繋がれていた頃とは比べ物にならないほどに美しく光り輝いていた。
そんなアマリリスを優しく見つめ、手を差し出す者がいた。
アマリリスを牢から救い出し、明るい未来を与えてくれた人――エクセリヴァーグ帝国の竜王アデルバート。
アマリリスが帝国へと救い出されて二年が経過していた。
しっかりと食事を摂れるようになり、睡眠も十分に取れている。これまでの遅れを取り戻すように勉学にも励んでグングン知識を吸収していった。何より、彼女を愛し敬うアデルバートの存在に支えられ、アマリリスは見違えるほど明るく、美しくなっていた。
そして今、二人は肩を寄せ合い、アマリリスはアデルバートが語る話に耳を傾けている。
「少し、昔話を聞いてくれるか?」
「はい、もちろんです」
いったい何を話そうとしているのだろう。
アマリリスはこてんと首を傾げてアデルバートの言葉を待つ。
そんな彼女の仕草に、アデルバートは優しく微笑み、頭をポンポンと撫でてから静かに語り始めた。
「始祖の竜王には、かけがえのない番がいた。互いに愛し愛され、敬い合っていた――」
それは、この国の始まりの物語。
――太古の時代、二人の竜人が国を興した。
二人は唯一無二の番であり、子宝にも恵まれた。
国は栄え、後世まで安泰だと謳われていたが――美しき王妃に魅了された異国の男によって、竜王は最愛の妻を攫われた。
命尽きるまで妻の行方を探し続けたが、ついには再会を果たすことができなかった。
アデルバートもまた、竜人の先祖返りであった。
竜王の記憶を受け継ぎ、何年もの間、引き裂かれた最愛の人を探し続けていた。
彼は直感していた。彼女も同じく、再びこの世に生まれ落ちていると。
「アマリリスを迎えに行った少し前、カルロがアマリリスの存在と、その居場所を予見した。俺はすぐさま状況確認のために王家の影を派遣した」
そうして持ち帰られた悲惨な報告内容に、アデルバートは怒りに打ち震えた。
直ちに偵察時に仕込んだ転移の魔法陣より出撃し、アマリリスの救出へと向かった。
「そしてあの日、ようやく君を救い出すことができたんだ」
「アデル様……私を見つけてくれて、ありがとうございます」
アデルバートの手を取り、柔らかく微笑むアマリリス。
アデルバートはフッと笑みを漏らすと、愛しい人の唇に触れるだけのキスを落とした。
――あの日、念願叶って再び巡り会ったアマリリスは、ひどく痩せこけ、美しい肌も、髪も、瞳も荒んでいた。
アデルバートは燃えるような怒りを覚えたが、同時に、何世代にも渡ってようやくアマリリスと出会えたことに、今度こそ彼女を救い出せることに、血が沸騰するかのごとく歓喜した。
アマリリスを虐げた家族も、かつて竜王の番を攫って囲った国も許すつもりはなかった。
アマリリスは知らない。そして知る必要もない。
すでにこの世界の地図から、祖国が消え失せていることを――
アマリリスは、竜王陛下の唯一の番として、エクセリヴァーグ帝国の王妃となった。
そして今、彼女のお腹には、愛しい人の血を引く新しい生命が宿っている。
アマリリスの心は今、幸せに満ちていた――
見つけていただきありがとうございます。
久々の投稿でドキドキです。
よろしければ★★★★★にて評価やブクマをお願いいたします!( ´ ▽ ` )とっても励みになっております。
近々長編新作をアップしたいです(願望)
応援いただけたら多分頑張れます。←
引き続きよろしくお願いいたします。