星の記録者
これは、『星の記憶』と『星の記録』
第二章 星の記録者
華の香りが、微かに湿り気のある風に乗っている。綺羅びやかな内装の部屋では、黄金を纏った細身の翁が、長椅子にもたれるように座り、ワインを啜っていた。
「―それで、その国は、どうなってしまったのじゃ?」
側に控えていた、純白の法衣を着てフードを深めに被っている者に問う。
「はい。その国は、大いなる力を手にして、限りのない繁栄を続けました。空を駆ける舟を操り、天空を自由に飛び回っていたと、伝えられています」
声からすると、若い女性。しかも、高位神職者の服装
「空を駆け、天空を飛ぶ。それは、凄い。それで、太陽神ラーのもとへ行くことが出来たのか? あの天空高く輝いている」
老翁王は、まるで子供のような表情をし、問う。
「いえ。太陽神のもとには、行けませんでした。だけど、大きく巨大な不思議なカタチをした艦を造り、天空よりも遥か高い世界―星の宙を渡って旅立ったそうです」
と、娘は、一枚のパピルスをテーブルの上に広げた。
そこには、舟の絵が描かれていた。
「おお、これが『物語』に出てくる、天空を駆ける舟か。まるで、ナイルに浮かぶ舟に鳥の翼を取り付けたような。これで、天空を翔たいたのか?」
老翁王は、物珍しそうに絵を見つめる。
「はい。伝説では、その様なカタチの舟だったと。しかし、今では、その叡智も技術もありません。遠き古き話を伝え聞いている。『物語』でしかありません」
「そうか、昔話で終わるのか。天空にて輝く太陽神のもとに、行ってみたかったが夢幻じゃな。せめて、我が魂だけでも、太陽神のもとに逝けるだろうか?」
パピルスを娘に返し、
「余は、良き王であっただろうか?」
と、問う。
「はい。貴方様の統治のもと、この国は豊かな発展を遂げました。先代から続いていた民衆の生活を向上させる術の確率も、神々との接点となる神殿の建設も。すべての民が、ナイルと大地の恩恵を受けれるようになったのも、すべて陛下のお力。この先、民達は長きに渡って陛下の名前を称えることでしょう」
娘は、優しく答えた。
「では、余の魂は太陽神のもとへ逝くことが、赦されたのじゃな」
「はい。太陽神ラーへの信仰心と共に、この国の未来を願われてきたのですから」
「そうか。この先も国が豊かで、民達が穏やかに過ごせるように祈り続けよう。―巫女よ、そなたに、ひとつ頼みたい事がある」
老翁王は、声を潜めて静かに言う。
「なんでございましょうか?」
「我が末の娘、イシューティの事だ」
「イシューティ様。マアト女神様に、お仕えしている方ですね。何度か、マアト様の神殿で、お見かけした事がありますが」
娘は、答えた。
「顔見知りだったのか?」
「いえ。そこまでは。とても優秀で才能のある神官だと、お聞きしています」
「ならば、話は早い。イシューティを正式な、王位継承者とし次期国王とする」
「え、本意でございますか? 次期王が決定してないとはいえ、他の継承権を持たれている方々が納得しませんよ? もしかすると、その事で良からぬ事態を招いてしまいますよ」
巫女は驚いて、問う。
「誰にも反対はさせん。この先、巻き起こる事を承知の上だ。イシューティには、神々の御心を伝えてもらう為に、次期王になってもらわねばならぬ。それは、彼女にしかできぬこと。それが、あの娘の宿命」
老翁王は、強い意志で答える。
「御心を伝える事は出来ても、神職者であるイシューティ様に、政務はこなせないではありませんか」
「そこは、余の信頼している者に任せる。マアト女神の加護を授かりし娘のもとに、この国は、より大きく豊かな国となる。ただ……」
老翁王は嬉しげに言ったが、語尾を閉ざしてしまう。巫女は気になったが、特に問う事もなく、黙って話を聞いていた。
「―解りました。この天空と大地に在りし神々のもとに、私も力になりましょう」
老翁王の意図を読み取り、巫女は答えた。
「すまぬな。最高位巫女である、そなたを政に巻き込んでしまうことになり。だが、イシューティが生まれる前、ある預言者が言っておったのでな」
少し笑って、老翁王は言った。
「その様な話、初耳です」
「余と后シィシャータしか、知らぬこと。しかし、何故その預言者が、イシューティを示したのかは、結局、解らず仕舞いじゃがな」
言って、カップに残っていたワインを飲み干す。
「―その預言者は、もしかしたら神々の御使いだったのかもしれませんね」
「ふふ。数ある子供達の中で、一番歳下の娘イシューティとはな。もともと、マアト女神に仕える一族の出であった、母シィシャータは、娘を生むと神殿へと入った。そして、娘も王宮から神殿へ、物心付く前に入った。母娘は、王宮での暮らしより、神殿にて女神と伴にあることを選んだ。その娘を次期王に、か。シィシャータは次期王になる事については、口を閉ざし、娘には一切関与せず、すべて神々に委ねると言っただけ。継承に伴って、王宮に呼び戻すつもりだったが、神殿で祈り続けるそうだ」
と、言い、寂しげに笑った。
「母君シィシャータ様には、何か思う事があるのでしょう。それを口に出せば加護が失われる、故に心に秘めた。マアト様との約束なのかもしれませんし」
「そういうコトなのか。巫女よ、この先、イシューティの力となってくれるか?」
「仰せのままに。それでは、近々、御即位の儀式が行われるのですね」
「ああ。その時、そなたには補佐をしてもらいたい」
老翁王は、細くシワだらけの手で、巫女の手をとる。
「どうか、イシューティを頼む」
と、呟く。
「―解りました。神々が示した王女の為に、私も神々に仕える者として、神々の意志に沿い力になりましょう」
巫女は答え、優しく握り返した。
「まことに、すまない。アトゥム神の巫女アトラよ」
老翁王の言葉に、巫女アトラは頷いた。
静かな夜。湿り気のある風に華の香りが漂っている。
「月が一段と輝いておる。夜の女神の機嫌が良いのじゃろうな」
老翁王は、バルコニーへと歩いて行き、天空を仰いだ。
「昔、聞いた話によると、月が美しく輝くのは太陽の光を、その身に受けているから。あんなにも美しく輝けると、ありましたよ」
月光は、バルコニーから見下ろせる中庭を、幻想的に照らしていた。
「そなたは、若いのに時折、年寄臭く見える。不思議じゃのう」
シワだらけの顔に、子供のような笑顔を浮かべて言った。
「そうですか? それは多分、最長老様の影響ですよ」
と、言う。
「この先、大きなコトが色々起こるが、イシューティの力になって欲しい」
老翁王の言葉に、アトラは無言で頷いた。
この時、アトラには、この先巻き起こるであろう事態が、少なからず視えていた。
月を見つめる老翁王を、アトラは複雑な気持ちで見ていた。
「陛下。夜も更けてきましたので、そろそろ、お休みに―」
老翁王の身の回りの世話をする男が部屋へ入って来て、室内からバルコニーに向かって言った。
「ああ。そうだな。色々と話がはずんでな」
老翁王は言いながら、室内へと戻る。アトラはフードを深めに被り直すと、後に続いた。
「はぁ、お話ですか?」
男は不思議そうにアトラを見た。
おそらく、愛人の一人だと思ったのだろうか。老翁王は、侍従の表情から悟り
「遅くまで、申し訳無かったな。アトゥム神の巫女よ。また機会があったならば、異国の物語を聞かせておくれ」
と、言った。
「アトゥム神の巫女?」
侍従は、驚いてアトラを見た。最高神に仕える巫女が、何故、ここにと言わんばかりに。
「では、陛下。私はこれにて失礼します。陛下に、夢の神の祝福がありますように」
アトラは、フードの端から侍従を見て、老翁王に頭を下げて、部屋を後にした。
「陛下、アトゥム神といえば、太陽神ラーを凌ぐ最高至高神。その様な神に仕える巫女は、神殿に籠もっているのではないのですか?」
老翁王の着替えを手伝いながら、侍従は問う。
「あの巫女は特別な者だ。故に神殿に籠もることはせずに、あらゆる神々と接しながら、人々に神々の話をしている。それに、異国の物語にも詳しくてな。今日は、遥か昔に繁栄を極めた国の話を聞かせてもらうために、呼んだのじゃよ」
老翁王は、機嫌よく答えた。
「それは、良かったですね」
侍従は相槌を打った。
「ああ。この先、この国の為に尽くしてくれると言う。そうすれば、この国は神々の恩恵のもとに永久に在り続けよう」
老翁王は呟いた。
「そうでございますね。何時までも在り続けますよ、陛下」
老翁王の就寝の支度を終え、侍従は言った。
「……すべては、神々の意志とともに」
老翁王は呟いて、横になった。
「おやすみなさいませ、陛下」
侍従は礼をとり、部屋を去る。
「余も、直に神々のもとに旅立つので、あろうな。ゴッホッホ」
血の混じった咳をした。
荒涼とした大地。その大地に、大いなる恵みをもたらす大河ナイル。星の生命達は、その土地にて生まれ育まれていた。豊富な水は、荒涼とした大地に潤いを授けた。広大な砂の大地の中に流れる大河ナイル。緑と花の香が漂う大地が生まれた。大河ナイルの恵みを受けた大地には、様々な命が宿り、小さな集落が点在していた場所は、何時しか豊かな国へと発展したのだった。その土地に暮らす人々は、その国を『ケメト』と呼んだ。『ケメト』を離れると、大河ナイルの加護を受けられない土地が広がっていた。草すら生えない土地だとされ、『死の土地』とも呼ばれ、暮らすことのできない場所。生と死の大地が隣り合わせ。
その大地に存在した、一つの記憶。隠されし『星の記憶』の物語。
大いなる歴史の文明が築かれる、遥か昔の時代に存在していた『文明』の物語。
『星の教え』とともに『時』を見つめ、あてのない旅をする者達により語り継がれている。
白い石造りの神殿は、彩りどりの草花に囲まれている。広い神殿の中には、大きな池があり、水面には蓮の花が咲いていた。最高至高神アトゥム神が祀られている神殿。
かつて、星の主神と呼ばれていた神に仕えていたとされる、アトゥム神。この土地の様々な神は、原初の時より人間と伴に在るとされている。
「アトラ、戻ったのかい」
神殿の奥院に入ると、奥から老女が出てきた。
「今戻りました。国王陛下ファラオ様は、命数亡き事を悟られている様子です。私に、次期国王について話してくれました」
アトラは、深く被っていたフードを脱ぎながら言った。
黒く長い髪を結っている。額には、蓮の刻印があった。
「次期国王か。それは、イシューティ様か?」
迷うこと無く老女は、言った。
「そうですが。何故、イシューティ様だと、解ったのですか?」
アトラは、不思議そうに問う。
「イシューティ様は、お生まれになられる前、神託によって示された。すべての神々の意志により、そう決められた存在」
老女は、淡々と答えた。
「陛下は、預言者に言われたと申しておりましたが。神々の意志ですか」
「ああ。あえて、預言者とした。その者が、神々の御使いだったから、な。それに、マアト様に仕える一族の王女となれば」
「本当ならば、神殿としては、手放したくない存在でしょうね」
アトラは、溜息混じりに言った。
「いや、それだけではない。これは、推測だが、イシューティ様は、ラ・ムー様の転生体なのかもしれぬ」
老婆は言って、水晶玉の様な宝玉を見つめた。
「ラ・ムー様ですか? 神の御使いとして、彼大陸を治めていたという、伝説の」
「ああ。今では記憶すら朧気だが。ラ・ムー様は代々受け継がれている存在だという。ソレ以上は、余りにも古い記憶故に、詳しいコトは解らぬが、な」
老婆は、溜息を吐き、宝玉をしまった。
「彼大陸では、星の主神ヴァルヴァドス様を中心としていましたよね。アトゥム神は、その神に仕えていたと。原点は、やはりムー大陸にあるのでしょうか?」
アトラは、老婆に問う。
「古い古い記憶、この星には主神を始めとし様々な神々が存在していたという。それは『星の記憶』に眠っているが、読み解くコトは難しい。私で最後かもしれぬ『星の教え』を語り継ぐのは」
何処か、悲しげに老婆は言った。
「最長老トーラ様。私、このアトラが『星の教え』を継いで生きていきましょう。イシューティ様のコトも含めて、さだめられたコトかもしれません。『星の命』と『星の恩恵』と伴に『星の教え』を、この土地に」
最長老を励ます様に言い、アトラは再びフードを被った。
「そうか、そうしてくれるのか。―また、出かけるのかい?」
「ええ。マアト様の神殿へ」
「そなたに任せるが、目立った行動は禁物じゃよ」
念を押すように、最長老は言った。
「解っていますよ。イシューティ様に会っておこうと思いまして。本当に、転生体であられるのか。神々が、次期王に示したのかを確かめる為にも」
答えると、アトラは神殿を出た。
残された最長老は
「行動的というか、お転婆というのか。―曾祖父様より伝わりし伝承、それ以前より語られる『星の教え』が忘れ去られようとしている今、彼者達は何を思うだろう。神話の神々も既に亡きコトが解ってしまった。大いなる宇宙の神を迎えるために、大神殿ピラミッドを建設したけれど、神々は降臨しなかった。この先も、ソレは無いかも知れない。伝説となりしムー文明が、滅んでしまった理由は忘れ去られた。イシューティ様は、そんな時代の節目を終わらせる為の存在に、なってしまわれた」
最長老は、深い溜息を吐き、祭壇を見つめた。
月が西へ傾き、夜の静寂が大地を包んでいた。
大河ナイルと王都が見渡せる高台。女神マアトの神殿が建っている。ここには、いかなる男性も立ち入ることは出来ない。女神マアトは、太陽神の娘神とされている。
この神殿の中庭にも、大きな池があり蓮の花が咲いていた。
イシューティは一人、中庭を歩きながら考えていた。
このところ、眠れない。溜息しか出ない。
その理由は、数ヶ月前に自分に架せられた、大いなる宿命と使命。
それがイシューティを、悩ませていた。ずっと、静かに暮らしたかったけれど、それは叶わぬコトとなってしまったから。
『この土地の生命と恵みの恩恵を忘れないように、民達に『星の教え』を伝える為に、次期国王となるのが、貴女の宿命です』
それを告げたのは、不思議な姿をした者だった。
夜の中庭を、一人で散歩していた時に現れた。
彼女ははじめ、精霊の類だと思った。
人間とは少し異なる、肩からは羽の様なものが伸びていて、銀色の半透明の若い女性。
「私は、ラ・ムー。星と伴にあり永遠を彷徨う者。あなたは、『星の教え』を継ぐ魂の持ち主。故に、次期王となり、星の教えと星の恩恵を伝え継いでください」
「それは、どういう意味? お兄様達を差し置いて、私が王位に就けば争いが起こる。それに、星の教えとは?」
突如現れた、ラ・ムーに、イシューティは驚き戸惑った。
「『星の教え』とは、星の命、生きとし生けるモノと伴に在リ続けるコト。あらゆる恩恵は、星の生命のもとに在る。私達人間は、その恩恵と恵みのなかで生かされている。大河ナイルが、もたらしてくれる恵みも、星の生命があるからこそ、こんなにも豊かなのです。ソレを大切にし伴に歩むコトが、『星の教え』なのです」
イシューティの背後で、声がした。
「お母様」
イシューティは、その声に驚いて振り返った。中庭のなかでも、ここは自分一人のお気に入りの場所で、他の人は来ないと思っていたから。
「イシューティ。あなたは、マアト様のもとで何を学んでいたのですか」
母シィシャータは、問う。
「万物の秩序と正義です。それが『星の教え』というものと関係しているのですか? 確かに国の豊かさは、ナイルと大地の恩恵があるからこそだと」
答える、イシューティ。
「そう。そういうモノが『星の命』。ソレを護る為の考えが『星の教え』。ソレを、民達に伝え語り継がれる様にするために、貴女は国王にならなければいけない。貴女になら、きっと理由が解るはず、だから『星の教え』を、忘れ去られない為に」
そう言いながら、ラ・ムーは夜闇に溶けて消えた。
イシューティは、その言葉に自分でもよく解らない衝撃を受けた。
「あの御方は、今は亡き星の楽園に住まいし者。この星の主神に導かれ、人間の存在理由と星の行末を探し求めていらっしゃるのですよ」
「マアト様」
イシューティの目の前に、光を纏う長身の女性が現れた。
「イシューティ。あなた自身は記憶していないでしょうが、ラ・ムー様と同じ様に、貴女もまた星の主神に導かれた魂を宿しているのです。だからこそ、次期王となり『星の教え』を伝え継がなければならないのです」
静かで優しい口調で言う。
「私にはよく解りません。私には、国王など不向きでございます。私は神官として、一生を過ごすつもりでした」
戸惑い、言う
「王位を巡り王宮内では、諍いが多いとききます。過去何度も、王位を巡って流血の争いがあったと。私などが王位を継いだならば、よからぬコトを巻き起こすことになってしまう」
泣きそうな声で、言った。
「父君は、神託に従い決めました。これは、ケメトの国だけでなくて、この星の為でもあるのです」
母は、娘の手をとり諭すように言う。
「何故、私なの?」
「貴女が『星の教え』を護り継ぐ為の魂の主だから。貴女は王となり、『星の教え』を伝えなければならない。だから、現王に話しました」
と、マアト女神
「何故、どうして」
イシューティは、子供の様に泣きながら問う。
「―それは、貴女が『創まりの魂』と呼ばれる魂の転生体だから。『創まりの魂』は『星の教え』と伴に在る。そして『星の教え』が忘れ去られる時に生まれ、民達に『星の教え』を伝える。星と伴に在って、星を護るモノでもある。魂の記憶を見つめれば、きっと解る。貴女が、否定し逃げても逃げれるコトではありません」
マアト女神は静かに言った。
「どのような諍いが起ころうとも、貴女は女王として、すべてを受け止め全うしなければなりません。たとえ、どのようなコトになろうとも。ソレが『星の教え』を伝え継ぐということでもあるのですから」
母は、何処か悲しげに言った。
あの夜から、何日が過ぎたのだろうか。
ずっと、胸の奥で誰かの声がしている気がしていた。
「創まりの魂、か」
溜息しか出てこない。もう一度、溜息を吐いて顔を上げた。
顔を上げたイシューティは、凍りついた。
「精霊魂バー? しかも、あんなにたくさん」
生きとし生ける者すべてに、宿る魂。肉体を離れた魂のことを、精霊魂バーと呼んでいた。
その精霊魂バーが、空を覆い尽くしていた。
「そ、そんなことって。いったい、どういう意味なの。これは、未来に起こるコトなの?」
恐ろしく悲しい、その様な感情に包まれた。
「イシューティ様、イシューティ様」
名前を呼ばれて、我に返る。側には、侍女ナジが怪訝そうな顔で立っていた。
「どうかなされましたか、お顔が真っ青ですよ?」
「い、今、空に無数のバーが……?」
落ち着いて空を見ると、そこには静かな夜空があるのみ。
イシューティは戸惑いながら、辺りを見回した。
「精霊魂バーなんて、何処にもいませんよ」
侍女ナジは、溜息を吐き
「このところ、夜更しされていますよね? お疲れなのでしょう。もう、お休みください。お顔色が優れませんよ。さあ、お部屋に戻りましょう」
半ば手を引かれるように、イシューティは自室に戻った。
一人になって、考え込む。
「あれは、未来だ」
自分が王位に就くことで、巻き起こる動乱。それが、胸を占める。
「マアト様は、私のことを『創まりの魂』と仰られた。『創まりの魂』とは、なんだろう?」
イシューティは、何度も呟いていた。
マアト女神神の礼拝堂。深夜であっても聖灯だけは煌々と灯されている。その灯は、聖堂内に幾重にも影を作り出されていた。
「お呼び出し、真に申し訳ございません」
フードを脱いで、アトラは相手に丁寧に礼をとった。
「いいえ。こちらこそ、お会いしたいと思っていました。アトラ殿」
「そうですか。では率直に、お伺いしたいコトは他でもなく、イシューティ様の事でございます。神々は何故、イシューティ様を次期王に示されたのでしょうか?」
問う、アトラ。
「ラ・ムー様が示されました。かつて、『星の楽園』にて星の主神により定められた『創まりの魂』の転生体だから」
静かな声で、シィシャータは答えた。礼拝堂には、二人の影が交差し映っていた。
「創まりの魂。『星の教え』を護り継ぐ『星の民』の末裔なのですか?」
「はい。私の祖は、彼大陸を旅立った者の末裔。そして、この地に辿り着き代々、神々に仕え『星の教え』を伝え継いできました。『星の教え』を忘れてしまった時、終焉となってしまう。アトラ殿も、そのコトは同じ宿命を背負っているのでは?」
逆に問われる。
「―はい。最長老様から何度も聞かされました。彼大陸は、ムー大陸ムー文明の伝説と関係しているのでしょうか?」
「そうです。私達は共に、ムー大陸を祖に持つ者。血脈だけでなく、志を辿れば原点は同じとなる。大陸を旅立ち、各地に『星の教え』を語り継ぎながら『彼大陸の終焉』を教訓とするために。その末裔が、私達。そして、その中心にイシューティがいます」
ただ静かに語る。
「イシューティ様は、『星の教え』を伝えるべく女王となられる。伝説では『星の教え』が忘れ去られた時、『創まりの魂』なる者によって終焉がもたらされると、あります。それは、お覚悟されていますか?」
アトラは、最長老が言っていた意味を理解した。
つまり、『星の教え』を人々が忘れるということは―。
「ええ。しています。マアト様の神託。あの子が『創まりの魂』であることは、ラ・ムー様によって確定しました。ラ・ムー様は、時を旅し星の行末を見つめる存在。そして『創まりの魂』を見つけ出し導く者。額の蓮は『星の民』が、彼大陸で神々に仕える者の徴として、使っていたとされます。貴女が入れているように。イシューティは、生まれた時から、額に蓮の花の様な痣がありました。それが『創まりの魂』の転生体を示すものだと、聞かされました。蓮の花は、星々を象ったモノだと伝承にあります。だから、私は覚悟は出来ています。あの子が女王となり『星の教え』を、民達に語り継ぐ宿命を背負っている。あの子は、時を告げる者」
母は、悲しげに答えた。
「本当に良いのですか? 国が分裂するかもしれませんよ」
「―星の教え。『星の記憶』が伝えられるのであれば、それで。『星の楽園』より伝わりし、時の過ちを伝えられるのなら。それが、あの子が生まれた理由と宿命。アトラ殿、この先、いかなるコトがあっても、『星の教え』とともに、イシューティの力となってください」
シィシャータは、アトラの手をとり言う。
「それはつまり、彼女の命と引き換えに『星の教え』を伝え遺すということですか?」
アトラの問いに、シィシャータは無言で頷いた。
「解りました。同じ『星の記憶』を継ぐ者として、力になりましょう」
アトラは、答える。
「この国は、とても豊かです。この先も、ずっと豊かで穏やかであるように。治める者も国の名前が変わってしまっても、そこに『星の教え』が残り語られるのならば」
シィシャータは、祭壇を見上げた。その姿は、娘の運命を静かに見守ることしか出来ない、母の祈りだった。
「星の記録者として、歩むのだ」
声とともに、眩い光を纏った男が現れた。
「アトゥム様」
アトラは驚いた。
「それに、マアト様」
「イシューティは『星の教え』を民に語り継ぐべく、王となる。それにより、動乱が起こることも承知。それと同時に新しき時代となる。『創まりの魂』である以上、その宿命は避けられない。アトラよ、そなたは、女王イシューティを支え『星の教え』を伝え継ぐのだ。それが、『星の民』の末裔である、そなたの宿命」
アトゥム神は、告げた。
「星の記録者。後世に伝えるべきものは『星の教え』だけではない。歴史を見つめるのも、また一つ。そこに在るモノを、貴女は見極めなければなりません。そして、それを伝えていくのも使命です」
マアト女神が言う。
アトラは、なにか思うことがあったのか、少し間をおいて
「はい。お受けいたします。この国に未来まで伝え残せる記録を創ります」
「星の主神ヴァルヴァドスに導かれた末裔よ。人間のもとへ、我らの想いを伝えて欲しい。星の生命と共に在り続けることを」
そう言い残し、二神は消えていく。
「星の主神ヴァルヴァドス。かつて、我々を創ったという神々の一神」
シィシャータは、虚空を見つめて呟く。
「この土地に住まいし神々も、その主神に創られたのでしょうか? それすらも、薄らいでしまった『星の記憶』なのでしょうか」
アトラの言葉に
「ええ。星の楽園では、人間は多くの神々とともに暮らしていました。だけど、時の流れとともに、人間は神々を忘れてしまったのです。文明の進化とともに」
「―そうですか。私、勉強不足ですね。もう一度『星の教え』と『星の記憶』を紐解いてみます。」
アトラは、苦笑いを浮かべ言った。
「アトラ殿。どうか、イシューティの事を頼みます。王都へ向かう時は、同行して欲しい」
頭を下げ、シィシャータは言う。その顔は、母親の顔であった。シィシャータの瞳には、何も出来ない無力さと、娘に架せられたコトの果てしない重さへの哀しみが宿っていた。
「はい。そのあたりのことは、陛下と約束いたしましたから。私に出来ることがあるのならば、なんでも申し付けください」
アトラは、あえて明るく言った。
「ありがとう」
彼女の瞳からは、涙が零れ落ちた。
アトラが、マアト女神神神殿から、アトゥム神殿に戻る頃、東の空には太陽が昇りつつあった。神殿の奥院へと続く回廊を歩いていたら、最長老に呼び止められた。
「お帰り。で、どうだった?」
奥院の一室で、最長老はアトラに、お茶を淹れて、話を求めた。
「イシューティ様は、ラ・ムー様の転生体ではなく『創まりの魂』です」
その言葉に、最長老は驚く
「まさか。―そうなると、時の変革が起こると」
「ラ・ムー様とは、時を彷徨いながら星の行末を見届ける者だそうです。そして、それを示したのは、星の主神ヴァルヴァドス様だそうです」
と、アトラ。
「なんと、『星の記憶』の深淵に眠りし原初の神ではないか。それを識るとすれば、同じ血脈にして、同じ宿命の者」
最長老は、驚きそして、深く考え込む。
「そうか。そうだとすれば、すべて納得出来る」
と、呟く。
「『星の教え』を護り語り継ぐ為だとはいえ、その代償は、イシューティ様の命かもしれませよ?」
アトラは、どことなく虚しさを感じていた。
「避けられぬこと。そもそも、文明が過ちを犯した時に、終焉をもたらして浄化させるのが
『創まりの魂』だとも、伝えられているからな。どうしても、避けられない」
「本当に、それで良いのでしょうか? 他に術は無いのでしょうか? 先程、アトゥム神様が、私を『星の記録者』として、未来に遺る『星の教え』を、この土地に遺すように、仰られました。それはいったい、どういう意味なのでしょうか?」
アトラは、最長老に意見を求める。
「未来へ遺す。この時代に、な。なるほど、つまり、あの宇宙と天空の神々を降臨させようとして、建設した大神殿ピラミッドと関係しているのだろう」
最長老は言い、立ち上がり窓を開く。
開かれた窓からは、眩い朝日と、大きく天へと向かう四角錐の神殿が見えた。
「あのピラミッドに、『星の教え』を遺すのですか?」
「あるいは、代々の王家の墓所となっている石廟に。造り上げるのに、百年近く掛かったとされるものじゃ。あれだけ大きく頑丈であれば、後々遺るであろう。どっちにしても、王家の記録は刻まれるのだからな」
最長老は答え、朝日を見つめた。
「そうですね。そうしておけば、国が滅んだとしても、何らかのカタチで後世に遺るでしょうから。だけど、イシューティ様が不憫ですね」
「アトラよ。おそらく『創まりの魂』とは、その様な存在。『星の教え』は『星の命』を護る為のモノ。これは、私の考えだが『原初に交わした約束』なのかもしれない。それが破られた時に、『創まりの魂』なる者が現れ、終焉をもたらすと。『星の記憶』を、もう少し深く読み解くコトが出来たなら、何か解ったかもしれないが、それすらも忘れ去られてしまいかけているから、な」
最長老は、深い溜息を吐いた。
「だから、私達に『星の記録者』となるように、仰られた。私は、見届けることにします」
アトラは言い、瞳を閉じた。
心の奥深く、何処か懐かしい情景が浮かんだ。
―創まりの大陸。星の楽園。ムー。
「我らは、見守り見届ける。そして、伝える。それだけは、全員一貫している。主神の命が『星の記録』であるなら、その道を歩む。だから、アトラよ。イシューティ様の事は、お主に一任する。すべては『星の教え』の為に」
アトラの肩を叩き、最長老は部屋を後にした。
数日後。アトラは、現王ファラオの勅命を受けて、ナイル上流の高台にある、マアト女神神殿へと使者と共に向かった。使者は、アトラ自身に仕えている神司。神司もまた『星の民』の末裔か魂の絆を持つ者。そして、全員が女性。
マアト女神に仕えているイシューティに、配慮し、護衛も兼ねていた。
それに、マアト女神神殿には男性は入れないから。
その全権は、アトラにあった。老翁王の最後の願いを叶えるカタチとして、引き受けた。
『星の民』の末裔、そして『星の記録者』として。
大河ナイルを遡ると、マアト女神神殿が輝いて見えてくる。神殿の手前には、巡礼者の為の小神殿があり、そこに舟は停泊する。そこから、宦官達が籠を担いで女神神殿の近くまで行く。宦官でも女神神殿には立入れないので、そこで待つ。
アトラと部下達が、神殿の中へ迎えに入る。
アトラが先に入ると、そこでは既に、別れの挨拶を交わしていた母娘がいた。
「―それでは、お母様」
「貴女に、星の主神を初めとした神々の加護があるように」
涙を流しながら、母娘は抱き合う。別れの抱擁をし、アトラに向き頭を下げる。
アトラも、礼をして
「お迎えに上がりました。イシューティ王女」
と、言った。
イシューティは今一度振り返り
「今生での、お別れを申し上げます。また、お母様のもとに生まれてくる事を願います」
と涙声で言うと、アトラに向き直り、ともに神殿を出る。
外での見送りは禁じられていたため、見送る者はいない。
マアト女神神殿の門を出ても、人払いの為誰もいない。
そして、宦官が担ぐ籠に乗り、船着き場まで行き舟に乗る。
その間、会話は無い。
イシューティは、俯いたまま黙り込んで一点を見つめていた。
舟はナイルを下って行く。その様子を、母は見えなくなるまで見つめていた。
イシューティを乗せた舟は、美しい形をしていた。一目で王家の舟だと解る。
その舟の中で、アトラは改めて自己紹介をした。
「私は、アトゥム神にお仕えしている、アトラと申します。この度は、ファラオ陛下より、貴方様の直属の神職者に命じられました。以降、宜しくお願いいたします」
と。
「アトゥム神に、お仕えするような巫女が、何故に神殿を離れ王宮へと入られるのですか」
不思議そうに、アトラを見つめる。
この時代、神々に仕える者は基本的に神殿から出ることは珍しい。民草の為に、神殿外で勤める者もいたが、高位神職者は神殿に籠もっていた。
「すべては、この大地に住まいし神々の導きによるもの。それに、貴女様の御両親からも、お申し付けられました」
アトラは答えた。
イシューティは少し考えて
「それは『星の教え』なるものと、何か関係しているのでしょうか? ラ・ムーと名乗る不思議な方も、自分も導かれていると言っていました。私は『星の教え』なるものを、護り語り継ぐべく王位を継承することだそうですが。一体なにが関係しているのか、未だ解らず戸惑っています」
不安を隠しきれない様子だった。
「いかなるし時代においても『星の教え』は、存在し護られて来ました。私達の祖は『星の主神』と共に歩んきました。『星の教え』とは、如何なることがあろうとも、未来へと伝え継がなければいけない。『星の命』を護る為に。それは、この星に生きるすべての生命を、護る事に繋がります」
「そこは理解しました。それならば、神殿にいても出来るのでは? 何故、王位から最も遠い私が継承しなければいけないのです? 政治に詳しいお兄様方でもいいのでは?」
「普通ならそうでしょう。でも、貴女が継がなければいけないのです。貴女が王位を継いで女王になられれば、『星の教え』を後世に継げる。貴女は『創まりの魂』だから。『創まりの魂』は『星の教え』が忘れ去られようとした時代に、転生するそうです。今がそのような時で、『星の命』を蔑ろにしようとしています。それを止めるべく、『創まりの魂』は存在します。現に、大地の命を無闇に刈り取っているのだから」
アトラは、淡々と答える。ここで感情的になってはいけないと。
アトラが言ったように、この文明は大地の命を無闇に刈り取るだけでなく、大地を穢しかけていた。豊富な恵みへの、感謝を忘れて。
その事は、イシューティも知っていて、心を痛めていた。
「―ソノためだけに、王位を。そういう宿命。幼い頃より、神々に聞かされてきた、様々な国の物語。ソレはすべて歴史であり史実。そこに現れる者が『創まりの魂』だった。
そういうコトだったのですね。その役割が、私だと」
自分を納得させるように、アトラに語った。
アトラは、静かに頷いた。
「間もなく、王都でございます」
船室の外から、声がした。
アトラがカーテンを開くと、眩しい光がナイルの水面に乱反射していた。
その両岸辺には、大きな石造りの建物が建ち並んでいて、豊かな緑に囲まれていた。
ケメトの王都である。
「数年ぶりの王都です」
イシューティは、懐かしそうに言った。窓の外、ナイルの川面には様々な作物や物資を積んだ舟が行き交っていた。水の恵みのもとに発展した文明ならではの風景。
「私が王位に就くことで、国に動乱などが起こっても、神々は私を赦していただけるでしょうか?」
何処か救いを求めるよるに、アトラに答えを求めた。
「すべては、神々の意志。ソレ以上の存在が決めたこと。動乱が起き、国が消えたとしても、民達は歴史を語り継ぐ。そしてソコには『星の教え』も。後世へ継げれば良い。何が起きても、神々は貴女を咎めたりはしませんよ」
アトラは、ゆっくりと答えた。
「星の教え……」
イシューティは呟いて、外の景色を見つめた。
舟は、王宮専用の桟橋に接岸する。
アトラは、イシューティに極上絹の衣を纏わせると、自分も神職者の衣を羽織って、イシューティの手を取り舟を降りた。
舟を降りると、王宮より迎えの使者と、彩りどりの花や布で飾られた籠が待っていた。
「お帰りなさいませ、イシューティ王女。父王であられるファラオ様が、お待ちでございます」
出迎えの使者は膝をついて挨拶をし、イシューティを籠に乗せると王宮を目指した。
アトラは籠の横を歩きながら、辺りを見回していた。
美しい庭園を抜けると、白い石造りの王宮に出る。王宮の壁には様々なレリーフが刻まれていいる。王宮内の謁見の間には、祝い事の色鮮やかな装飾が施されていた。
いたるところに、綺羅びやかな装飾をした細工の調度品が飾られている。
黄金や銀の他、多種に渡る宝石。
この文明の豊かさを、具現化したような物だ。
代々引き継がれてきた物と、この日の為に誂えた物。
謁見の間には、現国王ファラオを始めとした王族や、国の重鎮達が集まっていた。
皆、火急の話で、ファラオに呼び出されていた。何事か、未だ解らずといった感じで、隣り合った者と話していた。
知らされているのは、末の王女イシューティが戻ったということだけ。
アトラがイシューティを伴って謁見の間に入ってくると、一同はざわめいた。
アトラは、国王を始めとした参列者に一礼し、イシューティを前に進ませて自分は一歩さがった。イシューティは、父王の正面で深く礼を執った。
「お久しぶりでございます。お父様」
イシューティが挨拶をする。彼女が動くたびに身につけている装飾品が、涼やかな音を鳴らした。
「十数年ぶりほどか。その間、マアト女神のもとに、この国の為に祈り仕えていてくれたことに、まず礼を言おう」
父王は立ち上がり、イシューティに歩み寄る。
「既に聞いていると思うが。余は、そなたを次期国王に命じ、譲位をここでする」
言って、自分の王冠を取り、控えていた国王直属の神官に渡す。そして、神官から、新しい王冠を受け取り、イシューティの頭に乗せた。
謁見の間に集まっていた者達は、どよめいた。
「陛下、これはどういうことですか? なぜ、神職者である末の王女イシューティ様が。終生、神に仕える者ではないのですか?」
同じ様な言葉が、色々な者から挙がる。
それを、静めるように
「イシューティも余の血を引く、正当な後継者。本来ならば、マアト女神のもとで終生仕えるはずだったが、神々の御意志によって、王位を継ぐコトになった。この大地に住まいし神々の定めた宿命のもとに」
老翁王は、迷うこと無く強い口調で言った。
不満な声は挙がるばかり。
老翁王は、アトラへと視線を向けた。
「はい。陛下の仰られる通りでございます。イシューティ様の王位継承は神々によって、決められたコト。その宿命のもとに、お生まれになられたのです。ソレ故に、幼き時より、マアト女神神殿にて、マアト様のもので修練なさられていたのです」
アトラが言った。
「そなたは?」
不機嫌そうな声がした。
「これは申し遅れました。私は、最高至高神アトゥム様に、お仕えしている神司アトラと申します。この度の、イシューティ様の王位継承は、すべて神々の意志が示したコト。ファラオ様が申されたように、生まれる前よりさだめられしコトなのです」
答えてアトラは、不服そうに何かを言う者達をチラリと見回して、フードを脱いだ。
謁見の間に、ざわめきが起こった。
「このような小娘が、最高至高神に仕えているなど、笑わせてくれる」
その様な言葉が、飛び交う。アトラは、無表情で聞き流す。
「無礼であろう。アトラは、アトゥム神の最上位巫女にして、神々に選ばれた人御使いだ。この世界に在りし神々と言葉を交わすことの出来る、数少ない一人だ。この先、イシューティの側で、国を支えて貰うことになる。アトラに対する無礼な発言は、すべて余に対する無礼と心得よ」
老翁王は、皆を一喝した。その言葉の圧に一同は静まり返った。
「よいな、皆の者。すべては神々の意志。イシューティは、この国を未来への繁栄を導く者となる。神々の恩恵のもとで、豊かなる国の為に」
老翁王は、改めて、イシューティの頭に冠を載せた。
「新しい女王イシューティに、神々の祝福と加護のあらんことを。そして、『星の教え』のもとに、豊かなる恵みの恩恵を未来へと伝えん」
アトラは、最高至高神の祝福を授けた。
本来ならば、盛大な宴が国をあげて行われるのだが、イシューティの希望により宴は行われなかったし、周囲もそういう雰囲気ではなかった。
先王ファラオが息を引き取ったのは、戴冠式の翌日だった。
数日間、王宮の奥に安置された後、先王ファラオは、巨大な咳病に葬られた。その墓所は歴代の王の中でも最も立派なものだった。様々な副葬品とともに、以前アトラが渡した『天ノ舟』の絵も共に納められた。その舟に乗り、天空を旅するのが夢であると言ったから。
魂となり舟に乗り、太陽神のもとへと旅をする。信仰心の高かった先王ならではのコト。
繁栄の中にある国は、新しき女王イシューティと『星の教え』のもとに、新たなる時を刻み初めた。エジプトの大地に巨大な国が築かれるより、ずっと遠い遥かな昔に存在した国。
歴史には残されていない、小さな文明。残されているのは『星の記憶』の断片にだけ。
『星の教え』を後世に伝え継ぐ為だけに生まれ、神々の意志で女王となり、死んでしまった娘イシューティ。それは『創まりの魂』に架せられし宿命。星の行末まで、人間と文明を見届け、人が『星の命』と共に歩み続けるコトを望む。
それが破られたなら、その国と文明は終わる。
私は、ソレらの出来事を後世へと遺し伝えよう。
若き女王の記録と共に。『星の教え』も一緒に。
大いなる宇宙の神を降ろそうと築かれた神殿、ピラミッド。
そこを、イシューティの墓所としよう。そこに、この国での出来事を綴ったモノを納めよう。神々の意志と人間の誹謗の間で、懸命に生きた少女。
『星の教え』はナイルの恩恵の大地の、命の物語として、この土地に人間が暮らしている限り語り継がれることだろう。
「私は、星の記録を時の中へと記録する者・アトラ。この国の記憶を未来へと伝える為にコレを記し遺す。すべては『星の教え』とともに」
アトラは、『星の教え』を継ぐモノ達と一緒に、『星の教え』と記録を石版に刻み、イシューティの亡骸とともに石棺に納めると、神殿ピラミッドを厳重に封印した。
それらの出来事は、イシューティが即位より数年も経たない間のことだった。
イシューティの即位に反対していた者達の内乱により、苦しむ民達を見兼ねて、内乱を鎮めるべく、彼女は自ら命を絶ったのであった。
その出来事のなかで、『星の教え』は少しカタチが変わったけれど、後の夜に伝えられた。
『大河ナイルの恩恵のもとに、大地の恵みあり。神々の憩う、この大地の生命を忘れない』
カタチを変え、その土地ならではの『星の教え』となり、それを原点として、大河ナイルの岸辺に新しい文明と国が、築かれてゆくのである。
『創まりの魂』は、新しき時と文明へと、旅を続け転生を待つのであった。
二 幾星霜の時・星の岸辺より
星の岸辺。地球と宇宙空間の狭間に浮かぶ舟、ゴンドアナ。
かつて、星の港として宇宙へ旅立つ舟の中継地点だった超大型の舟・ゴンドアナ。
その舟は、時を見つめる者達の最後の場所。
『星の教え』を護り継ぐ『星の民』達を乗せて、幾星霜の時を漂っていた。
地球上の時の流れと、『星の岸辺』とでは、時間の流れが違っている。
それに、ゴンドアナに乗っていた『星の民』達は、不老に近い血筋の者達。
地球の時と文明を見つめていた者達の、物語が始まる。
「僕達には、帰る場所も行き着く場所もありません。こうしてここで、星の行末を見つめながら、朽ち果てるのをまつしかないのでしょうか?」
白髪の青白い肌をした青年は、スクリーンに映し出されている、蒼い光と闇を見つめて言う。
「宿命とはいえ、残酷なものよな。しかし、それでも我らの宿命は死とともに終わる。ラ・ムー様の宿命に比べれば短きものよ」
年老いて皮と骨のみとなっている男は、彼方に見える星々を見つめて呟いた。
「『星の教え』は、今や、その存在すら忘れ去られようとしている。嘆かわしい事じゃ」
「それは、私でさえ遠き記憶となっています。『星の教え』、その意味を忘れてしまった時、星が滅んでしまうと。数ある記憶が示す物語の結末、そこにあるモノが正しいモノならば、『星の教え』を忘れてしまった人類は、必ず滅びる。ここから見つめてきた文明の大半が、そうして滅びだ。僕には、人間は自ら滅びを選択する存在にしか思えません」
そう言って、青年は、長きに渡って記録してきたものを開いた。
そこには、文明の創まりから終焉が幾つも記録されていた。
「もし本当に『星の記憶』が忘れ去られてしまっているのならば、間もなく朽ち果てるであろうゴンドアナと共に、時が出す答えに従おう」
老人は杖をついて立ち上がる。
「―だが、その前にやっておかなければならないことがある」
スクリーンの前に立っている青年の横へと立ち、決意を込めて言った。
青年は、深く溜息を吐いて
「三つの大河の岸辺に築かれた、それぞれの文明ですね」
と言い、スクリーンを切り替える操作をする。
「懸念しているのは、インダスとメソポタミアと呼ばれている文明です」
インダスとメソポタミアは、大河の辺りに築かれていたが、その環境は違っていた。
片方は、豊かな緑に囲まれた土地に在リ、一方は大河の辺りに在るにもかかわらず、荒涼とした土地だった。
「対象的な文明―国ですね。この何方かに、ムーの末裔が介入しているのですか?」
「ああ。どちらにも介入しているようだが、問題はインダス国の方だ。インダスが急激に発展した陰には、ムーに存在していた『力』が。しかも、ソレは禁じられた『力』の方だ」
老人は、荒涼とした大地に築かれた巨大な都市を、見つめて言った。
「このまま、放っておけば『星の命』を脅かす火種となるのでしょうか?」
青年が問う。
「だろうな。『星の教え』を忘れ去れ、発展の為に『豊か』であった大地の生命を喰い付くした。それだけでは足りず、食い尽くして消えたモノ、新たなる富を求めて動いている。このままでは、他の幼い文明や『星の命』まで食い尽くしそうだ。ムーの罪は、我々で精算しなければならぬ」
哀しみに満ちた声で、老人は答えた。
スクリーンには、対象的な二つの国が映し出されている。
「そこまで、愚かでないことを祈りたいです」
青年は呟いて、細々とした操作をして、スクリーンに映し出される映像を変えた。
「インダスは、神々や信仰が存在しない国。でも、メソポタミアは『星の教え』が残っている。カタチは違うけれど、様々な神々が存在していて、それぞれに信仰がある。神々を祀った神殿の数。かつて、我々が、宇宙の神々を求めたように、彼等もまた神々との接触を願っているのかもしれません」
と、青年。
「天空の神々。宇宙の神々か。彼大陸にて、美しくも巨大で荘厳なる大神殿を築き上げる程の文明へと成長するのであろうか? 失われた『叡智と技術』、『星の教え』。ケメトでは、ソレを伝え残す為に、天空の神々の為に造られた神殿に、封印し未来へと遺したが。そのために、国は分裂してしまった。そして、ソレを伝え遺す為に『創まりの魂』なる者は、命を落としてしまった。『星の教え』を伝え継ぐには、『星の民』が必要だということ。でも、ソレも終わる。『星の民』の『遺志』を継いでくれる者がいるなら、それでよいのだ」
苦しそうな息をしながら、老人は語り続けた
「我々は、『星の主神』のもとに、人類と文明の時を見つめてきたが、何一つ答えは出ていない。ソレが、何時の日にか見つかるのだろうか。そして、再び翔たける時は来るのだろうか? 余りにも永い時が過ぎたせいか、『星の主神』へ、なにを願ったのかも、もう思い出すことが出来ない……」
「―最長老。後は私が。もう少しだけ、二つの文明を見つめます。そして、『もしも』の時には、ゴンドアナに秘められし力にて『星の審判』を行います。その時は、ゴンドアナの最後でもありますが...…。『星の命』と未来の為には、仕方の無いことでしょうね」
青年は、スクリーンに映し出されている景色を見つめて、言った。
「ああ。すべては、お前に任せるよ」
最長老は掠れる声で言い、長椅子に横になる。
「……クナーアからの直系血脈も、終わってしまったな」
呟きを遺して、最長老は瞳を閉じた。
その瞳が、再び開くことはなかった
「―地上にはまだ、残されているのだろうか? クナーア直系の血脈が」
青年は呟き、一粒の涙を零した。
「ラ・ムー様は、何処へいらっしゃるのだろう」
スクリーンには、地球が映し出されている。
「『創まりの魂』も、何処へ転生したのだろうか?」
応じる者は誰もいない。
青年は、ただ淡々と呟く。
「あの美しい『星の楽園』を、どれだけの者が覚えているのだろう」
静寂のなか、機械音だけが響いている。
「あまり時間は残されていない」
青年は、震える指先を見つめた。
「あの国に、ムーより伝わりし『禁断の力』を秘めたモノが隠されている。それを手にする前に……」
インダスの風景を、見つめて溜息。
荒涼とした大地に、築かれた文明を見つめる。
「今は、こうしているしかないのか」
それから、どのくらい歳月が流れたのだろう。
インダスにある古代遺跡に盗掘団が入り込んだ。彼等の目的は、伝説にあったモノ。
それを探し出して、金に変える―。
本当は違った。
『古代の兵器』の伝承を確かめるため、そして使える物だったなら使ってみる。
戦力になりそうな兵器ならば、侵略に利用するといった思惑があった。
だから、ずっと監視してきた。
無知なる無知なる盗掘団が、ソレを見つけてしまった。
そして、運び出そうとした時、ソレは暴走した。
『禁断の兵器』が炸裂したのは、メソポタミアの東に広がっていた森。
都市部に炸裂しなかっただけ、良かったのかもしれないが……。
広大な森は、一瞬にして『死の大地』と変貌してしまい、その周辺の土地すらも穢してしまった。その威力を目の当たりにした盗掘団は、これで周辺の民族だけでなく、豊かなるメソポタミアの大地も自分達のものに出来ると、策略した。
その様子を見つめていた青年は、深い溜息と哀しみに満ちた溜息を零した。
もっと早くに決断していれば。
―これは、数ある神話の結末。そのまま。ムーの大罪。
あの豊かなる森や周辺に、この先、気の遠くなるような時間が過ぎなければ、再び豊かなる命の大地に戻るコトはないだろう。
―これは、自分の罪かもしれない。
「星の主神ヴァルヴァドス様。どうか、お赦しください」
青年は呟いて、ゴンドアナに封印されている『星の鍵』と、呼ばれるモノの封印を解いた。
水晶に似た結晶。幽かに虹色に輝いている。
―どうか、どうか。
「ああ。ゴンドアナも、その使命を終える。何時、還れるのだろうか。星の楽園へ」
とめどなく涙を零し、青年は呟く。
そして、震える手で『星の鍵』に触れた。
瞬間
白く眩い光の矢が、インダスと呼ばれる大地を貫いた。
その光の中で、すべてが消えてしまった。
ゴンドアナは、星の岸辺から地上へと墜ちていく。
地上に墜ち、地中深くへ沈んでいった。
その場所は、その衝撃で丘となった。
まるで、ゴンドアナを封印するかのように。
薄れゆく意識の中、青年は何かの気配を感じて目を開けた。
漆黒の闇の中、ヒトガタに揺蕩う光が目に入った。
「ラ・ムー?」
青年は呟いた。
「ごめんなさい。貴女には、何時も結末を迎えさせてしまう。それが、大いなる魂の宿命だったとしても。悪いのは、人間。だけど、ソレを貴女自身に、罪と贖罪を背負わせてしまっている」
半透明の不思議な姿の女性は、青年の手をとった。
「ああ。ラ・ムー。随分と久しぶりだね」
青年は、懐かしそうに言った。逢ったことすらない。口伝にて伝わっているだけ。
でも、識っている。心の奥底で、囁くモノ。
「『創まりの魂』。貴女は、この先も、きっと、この宿命のもとに在り続けるのね。この星と人間・文明と伴に生きながら。そして、私もまた、星の行末を見届ける。星と人間を見続けて、『答え』を見つけ出さなければならない。私達の宿命」
優しく語りかける。
「『創まりの魂』―そうか、私自身が『創まりの魂』の転生体だったんだ。自分では、探し続けていたのに。自覚が無かったよ。今のいままで……」
そう呟いて微笑むと、そのまま覚めることの無い眠りについた。
「『創まりの魂』。貴女は、大罪を犯し『星の命と未来』を脅かす文明に、終止符を打つ者」
ラ・ムーは、青年の遺体をゴンドア内にある墓地へと運ぶ。
「ムーの大罪は、この土地に未来永劫消えることのない呪いを、与えてしまった。もう誰も、『星の教え』を覚えていないのかもしれない。ムー大陸が忘れ去られたように。『星の民』達の血脈や志は、何処へいってしまったの? この地球も、いつか緑紅星メガラニカのように、星もろとも消えてしまうの?」
ラ・ムーは呟きながら、青年の墓標代わりに、蓮の華を手向けた。
そして、『星の力』を使い、ラ・ムーはゴンドアナを封印する。
「如何なる手段を使っても、この封印は解くことは出来ない。永遠に、星の終わりまで眠り続ける。ムーの記憶とともに」
ラ・ムーは、墓前、ゴンドアナの墓地で眠る歴代の『星の民』達に語る。
「時の動きが、激しくなっていく。人間が再び、この星を支配する。そして、大いなる力を手にして、宇宙を目指すことでしょう。それは、同時に滅びをもたらす諸刃の力。この先も、文明が何度も滅んでは誕生する。その時が訪れるたびに、『創まりの魂』貴女の転生体が覚醒し、終焉をもたらし再生を促すでしょう。私は、ソレを見届けることしか出来ない。
せめて、貴女の来世が、覚醒することのない平穏な時代であることを、祈るしか出来ない」
ラ・ムーは、何処からか取り出した、小さな光石を墓前に置いた。
―星の欠片、『星の種』だ。
「これは未来の神話。何時しか、そう語られる。それが『星の記憶』となる時まで」
ラ・ムーは呟きを遺して、姿を消した。
星の終わりまで、宛のない旅をするために。
ゴンドアナが墜ちた場所には、小高い丘が出来ていた。
時の流れとともに、人々は天空を目指す巨大な塔を建てようと、その丘に集まっていた。
色々な人種と民族が集まって、共に天空を目指そうと昼夜問わず建設を続けた。
そこに『星の教え』は無かった。
でも、人々は天空を目指し、塔を造っていた。
しかし、些細な諍いをきっかけに、建設は中断され、人々は仲違いをし各地へと散っていった。残されたのは、塔の残骸のみ。
それが、地元の伝承になり、その伝承すらも忘れ去られていった。
風化してしまった、塔がある丘に、旅の一団が立っていた。
「ここが、あの『星の岸辺』に浮かんでいた舟が、墜ちた場所か?」
仲間内で話す。
「『星の記憶』によれば、ここの地中奥深くに封印されたそうです。始祖ラ・ムー様によって。この辺りは、何度も土地を巡る争いがあり、人々の記録には残っていませんが」
と、何処か寂しげに言う。
「ムーより持ち出された『禁断の兵器』が、暴走したのも、この辺りだと」
一団は、丘から見渡せる一帯を見つめる。
「荒涼とした土地にしては、おかしいと思った。命の気配が感じられないのは、その影響か。まったく、愚かなコトを」
「それで、『星の制裁』が行われたと? 確か『創まりの魂』と呼ばれるモノ」
「―おそらく。『星の記憶』によれば。でも、ソレを正確に確かめるコトも調べるコトも出来ない。『星の教え』は、もう、何処にも無いようだ」
一団は、荒涼とした風の吹き付ける丘から、見つめ続ける。
「遥か東。その海を越えた先にある土地に、ムーを原点とする者達の末裔がいると『星の記憶』より、聴きました。その土地では、今も『星の教え』が生きていると」
地平線の東、その彼方を見つめる。
「そうであると信じよう。そして、向かおう。『星の民』の血脈と志、魂を伴にする者に逢うために」
「ああ。それが、私達一族の宿命。開祖アトラ様より、受け継がれしモノと伴に」
旅の一団は、丘を去り、東へと歩む。
荒涼とした大地に再び、文明が築かれる日へ。
そして、時代は流れていく。それが、終わりの創まりなのか、それとも―。
再び、宇宙を目指し、大きく暴利的な力を手にした文明は、光輝く眩しすぎる未来へ
『答え』は未だ、見つからない。
人類は『星の命』にとって、どういう存在であるのかが。
星の行末へ……。
すべての物語へ紡がれ綴られていく。