とある夜会での出来事
いよいよハインズ様の登場です!
ついでに王子様も出ます。
レイアが侍女としてデクスター侯爵家へ来る少し前のとある夜のお話。
ーー
煌めくシャンデリアに照らされたダンスホールには、煌びやかな男女が手を取り合って踊っている。
令嬢たちがくるくると回れば、美しい花が開花するようにドレスが広がり舞う。
神々しく輝く空間の中で、誰も彼もが微笑みを貼り付け、腹の中を探り合う。
ここは生まれながらに貴族、つまり、許された者しか踏み入れられない魅惑の場“社交界”。
今夜は、季節の変わり目に王城で開催される夜会だった。
会場である大きな広間の片隅には、高所からダンスホールを眺める男性が2人いた。
「ハインズ、楽しくないの?」
「……。」
「聞くだけ野暮ってことか。ははは、素直だなぁ。」
本日の主賓であるフェリックス王太子と護衛に付くハインズ・デクスターだ。
ハインズは侯爵という地位と同時に騎士団の団長を務めている。
したがって、今日は参加者ではなく、王子の護衛としてこの場に居る。
「こういう場では笑っておくが吉だよ。どこに運命の出会いが転がっているか分からないんだからさ。」
「俺には関係ない。」
「まったく、ハインズらしいな。」
2人は学園時代の同級生ということもあり、2人だけの時は互いに堅苦しい言葉は使わない。
基本的に、無口なハインズからの返答を期待していないフェリックスが1人で喋っていることの方が多いかもしれない。
「はぁ、そろそろ王族席に戻らないとなぁ。行くか。」
夜会という実に無駄な時間に気が乗らないのはいつものことだが、王族として放棄することはできない。
フェリックスは面倒そうにため息を呟くと、階段を下って、ダンスホールの向こう側にある王族席を目指して歩き出した。
その1歩後ろをハインズが黙ってついて行く。
ホールに降り立ったと同時に、参加者の目が一斉に集まった。
「あっ!王太子様とハインズ様だわ!!」
「なんて見目麗しい…」
「素敵だわ〜」
王族席に向かうには、嫌でも人混みの中心を通らなければならない。
少々面倒だと思いつつも周囲の熱い羨望に対して、フェリックスは時折微笑みを返しながらそつなく対応していく。
一方でハインズはというと、周囲の呟きが全て聞こえているはずなのに淡々と歩みを進めるのみで、まるで何も耳に届いていないような態度だった。
彼の表情は終始ひとつも変わることなく、ただ前を見つめていた。
「ハインズ様は魔術がないのに団長様ですもの。さぞ優秀なのでしょうね。」
「そうか?ただ後継ぎが彼しかいないから仕方なくだろう。」
「人を生まれさせない新種の魔術の持ち主で兄弟を誕生させなかった噂もありますわ。」
「確かに、あの瞳で魔術が無いわけなかろうな。」
「どんな隠し事をしてるのか…恐ろしいったらありゃせん。」
聞こえてくるのは、明るい声音だけではない。
忌み、妬み、蔑み、そんな言葉も当たり前のように聞こえてくる。
けれど、ハインズの表情は一切変わらないままだった。
そんな時だった。
「きゃあっ!」
突然、歩いているフェリックスに向かって令嬢が躓いて倒れてきた。
いきなりの出来事だったので、何が起きたのか状況を掴めない周囲の人々は呆気に取られ、固まっていた。
しかし転げるように飛び出てきた令嬢は、咄嗟に抱き止められたことで、床への転倒は免れることができた。
「あっ、申し訳ございません…」
抱きとめられて、助けられた令嬢は甘い声で呟いた。
そして、ゆっくりと顔をあげ、上目遣いで命の恩人である殿方を見上げた。
「ひぇっ!」
声にならない悲鳴をあげた令嬢の視界には、至近距離の青い瞳があったのだ。
彼女は信じられないというように驚きを露に固まった刹那、我に返ると蔑むように目を細めてハインズを睨みつけた。
「離してください!やめて、触らないで!…もう、なんでよ!」
彼女は周囲の人に聞こえる声量でハインズを拒絶した。
どうやら令嬢はフェリックスに抱きとめてもらうことを望んでいたらしい。
たしかに、躓いて飛び出してきたのはフェリックスの進行方向に合わせたようなタイミングだった。
しかし、王子を守ることを使命とするハインズが瞬時に一歩踏み出し、令嬢を抱きとめることで床に転倒するのを防ぎ、同時にフェリックスへの接触を避けたのだった。
意図的に王族の進行を妨げるのは不敬罪であるし、接触を試みるなど襲いかかったと認識されて斬られてもおかしくない状況だ。
けれど、ハインズは剣を抜かなかった。
しかし、助けてもらったにもかかわらず、シナリオ通りに事が進まなかった令嬢は憤っていたのだ。
「…あぁもう気持ち悪い。」
低く小さなくぐもった声で令嬢が言い捨てた言葉は、少なくともハインズの耳には届いていた。
そして彼女はハインズを涙目でキッと睨みつけると、足速に人混みに紛れ込んでいってしまった。
しかし、盛大な侮辱を受けたハインズの表情が揺らぐことは一切なかった。
群青色の瞳という異形に加え、“感情が見えない” “何を考えているか分からない” という凍り冷えた表情も“冷酷無慈悲”と言われる理由なのかもしれない。
彼女の言葉は、怒りに任せた出まかせの言葉だろうか、
常日頃思っている言葉だろうか、
別に、もうそんなことはどうでもいいか。
ハインズの心は無心だったが、頭では一瞬そんなことを考えた。
そんな無駄な思考を区切り、現実に引き戻したのはフェリックスの声だった。
「ハインズ。すまない、ありがとう。」
「いえ。」
フェリックスは、身体を進行方向に向けたまま首だけを横に向けてハインズに囁いた。
ハインズにはフェリックスが謝った意味も感謝した意味もわかるような気がした。
ーー
「彼女は二ヴェール男爵の令嬢だな。不敬罪として爵位剥奪が妥当かな。」
フェリックスは王族席に着き、肘掛けに頬杖をついて足を組んで座ると、ホールを眺めながら呟いた。
彼は笑顔だが、怒りのオーラが滲み出ていることに背後に立つハインズはとっくに気づいている。
そして、彼の歩みを妨げたことなんかではなく、ハインズを貶したことに怒ってくれていることにも気づいていた。
「別に、気にしてない。」
“だから、何もいなくていい”
言葉にはされていないが、そんな思いが続いているようにフェリックスは感じ取った。
「…はぁ。ほんと、君は優しすぎるんだから。少女の若気の至りで爵位剥奪なんて可哀想だ〜とか思っちゃってるんだろ?どうせ。それとも何、まさか自分が彼女の恋路を邪魔してしまったとか思っちゃってるわけじゃないだろうね?」
大袈裟に肩をすくめ、呆れたようにフェリックスは言った。
けれども、じっと前だけを見据えるハインズからの返答は無かった。
「無言は肯定とみなすけど?」
フェリックスがわざとらしく問いかけても、ハインズから言葉が返ってくることはなかった。