いざ、採用面接!
案内してくれた侍女について行くと、レイアは応接間に通された。
一人で面接官を待っている間、部屋に飾ってある写真や絵をチラチラと眺めては感心し、提供された紅茶の美味しさにも感動していた。
暫くするとドアをノックする音が室内に響いた。
いよいよ始まると体を強張らせながらそちらを向くと、ひとりの執事らしき人が入ってきたのが見えた。
身長は少し小さめの小太り体型に、白髪混じりの髪。この人も60代くらいだろうか。
「レイア・オルゼットさんですね。お待ちしておりましたよ。私は執事長のバロンと申します。本日はよろしくお願いいたします。」
ゆったりとした喋りと動作で丁寧なお辞儀をした彼の心地の良い口調は、ゼリスさんと似ているなと思った。
「レイア・オルゼットと申します。本日はお忙しい中お時間をいただき誠にありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
レイアは立ち上がって、反射的に淑女の礼をする。
淑女の礼とは、上流階級の女性たちの挨拶の一種であり、目上の相手に対して片足を斜め後ろに引き、もう片方の膝を軽く曲げて礼をする形だ。この時スカートの裾を両手で軽く持ち上げるのが正しい作法だ。
特に意図せずに淑女の礼をしたのは、無意識に身体が覚えていたからだった。
久しぶりの"貴族屋敷" という環境が、昔のレイアを突然呼び戻した。
(えっと、これで…合ってるわよね…?)
礼をしてから、自分の体が勝手に動いていたことに気づいて少々驚いたが、何故かなんて考えている余裕は無かった。
2人は早速、机を挟んで向かい合う形で張りのあるソファへ腰掛けた。
「では、さっそく始めましょうか。緊張しなくて大丈夫ですからね。」
彼はそう言って紅茶をひと口飲んだ。
本当に始まってしまう。これからの人生を左右する瞬間が始まってしまう。
レイアは緊張で震える手汗が滲んだ両手を握りしめていた。
「では、まず、この屋敷に来たのは初めてですよね。遥々ありがとうございます。ご想像りの侯爵邸でしたか?」
面接の導入は実にフランクな話題だった。
レイアは馬車の窓から初めて見た時に脳裏に焼きついたこの屋敷の映像を思い出しながら、正直な感想を述べた。
「お屋敷が想像以上に大きくて、豪華で、目に入るもの全てに驚いています。」
「そうですよね。馴染みがないと驚いてしまいますよね。私も初めはそうでした。…もう何十年も前のことですが。」
バロンは、おっと歳がバレてしまいますね、と笑っていた。
軽い冗談でレイアの緊張を解そうとしてくれたのだろうが、素直に笑うことも失礼な気がしてしまい、どんな反応が正解なのだろうとレイアは真剣に考えていた。
笑って流すことしか思い浮かばなかったのでとりあえず口角を上げてみたが、うまく笑えていなかったような気がする。
「でも、どうでしょう?ここで働くことが想像できそうですかね?」
バロンは柔らかな笑みのまま引き続き質問を投げかけてくれた。
しかし、慎重で真面目なレイアはガチガチと緊張したままで、頭の中ではいろんな思考を巡らせていた。
(この質問にはどんな意図があるのかしら、自信の有無を確かめたいのかな。)
自信なんて屋敷を見上げた瞬間から既に削がれてしまっている。
しかし、自身がありませんと正直に言っていいものなのか、大丈夫ですと空元気を振りかざすべきなのか、大いに迷っていた。
けれど即座に選択なんてできず、長い沈黙を作るのは良くないと自分を急かしてしまったせいか、結局考えがまとまらないうちに言葉を発してしまった。
「正直に言いますと、で、できません…。私は田舎から急に出てきた世間知らずで…家業と家事をすることくらいしかしてこなかったものですから、どんなお役に立てるかという具体的なことは分かりません。でも、想像できないからこそ何か新たな発見ができて、自分が広がっていくような気がしていまして…ここに来ると決めた時から心が躍るような気持ちと言うかなんというか…」
自分の気持ちを思うままに口にしたら、本当にまとまりの悪い文章になってしまった!
しかも話しながら言葉の終着点に自信がなくなって、語尾の方が吃ってしまった。
「ほぅ。なるほど。」
バロンは少し片眉を上げて呟いた。
その反応を見るに、どこか抽象的で低能な事を言ってしまったような気がしてきたレイアは少し落ち込んだ。
「ええと、ここはデクスター侯爵家なんですけれども、デクスター家または主人のハインズ様に対しては、どのような印象をお持ちですか?正直な感想をお答えいただいて結構ですよ。仰られる内容によっては打首なんて非道な真似は致しませんからね。」
レイアの緊張を解そうと、バロンは再びほほほと笑いながら冗談を交えて質問してくれたのだが、今のレイアには冗談だと気づいて笑う余裕は無く、勝手に追い詰められていた。
(ど、どうしよう。感想なんてない、だって何も分からないわ…。)
だからもう半ば打首覚悟で、何も知らないでほんとに興味だけで来ましたということを伝えることにした。
「その…正直申しますと、大変お恥ずかしいのですが何も知りません。友人のコルネールからこの侯爵家には様々な噂があるとはお聞きしましたが、噂の内容や侯爵様のお姿・お人柄などは聞いておりませんし、存じ上げません。侍女として世間体や最低限のことを知っておくことは必要だと思うのですが…申し訳ございません。……しかし噂は噂に過ぎませんから、私は自分で見たものを信じたいと思っております…。」
「ほぅ。なるほど。」
また、つまらない答えだなとバロンを失望させてしまったのだろうか。
生意気だと癪に触ってしまっただろうか。
バロンの反応は、先程と全く同じ反応ではないか!
(感想を聞かれたのに感想を答えていないから…?"知らないです"は感想と認められないのかな。きっとそうだわ、だからこの微妙な反応なんだわ…!)
なぜかそう確信したレイアは挽回しようと、懸命に"感想"を捻り出すことにした。
「しかし現時点での"感想"といたしましては……侯爵様はお辛いだろうなと思います…。他人に好き勝手、噂や陰口を言われるのは、実は思っている以上に精神を削られてしまうことだと思うので…。…自分が在りたい自分で居させてもらえないのは苦痛です。きっと。」
きっとじゃなくて、絶対だ。
幼い頃、私の前では誰に何を言われても笑い飛ばしていた兄が、こっそり1人で泣いていた時のことを思い出したら、ひらひらとその時の感情が蘇ってきた。
噂や陰口と呼ばれる何気なく呟いた言葉たちは、言われた当人にとっては心を突き刺す針となる。
針が槍に、槍が剣に。沢山沢山刺さるごとに今のままでは受け入れてもらえないのだと、傷つけられた精神は自分自身を歪めて適応しようとする。
すると次第に、本当の自分はどれなのか分からなくなって、探し当てるために彷徨うのが難しくなって、自分を諦める。
そんな気がする。
「ほぅ。そうですか。」
バロンの返答を聞いて我に返る。答えになっていなかったのだろうか。つい思いに耽って偉そうな口を叩いてしまっただろうか。
そんな後悔の念に浸っていると、バロンは言った。
「はい、ありがとうございました。面接はこれで以上とします。」
「っえ?」
いきなり面接の終了が告げられ、驚きが口から溢れてしまった。
レイア自身についての質問は全くされていないし、この家に対する感想しか聞かれていない。
本当にあっという間に終わってしまった。
(私の育ちや背景にも興味が湧かないくらい、期待外れな人材だったんだろうな…。)
もうこの子には特に聞くことはないから早く帰ってほしいと思われてしまったのだと、レイアは感想さえまともに言えない自分の不甲斐無さに打ちひしがれた。
(ごめんなさいコルネール。せっかく誘ってくれたのに。でも、見たことのない景色を沢山見させてもらえて、まるで御伽の国に来たような心躍る気持ちを感じられて、幸せだったわ。)
と心の中で落胆の思いに浸かり込み、潔く帰ろう、せめて最後まで笑顔でいようと決意しかけた時。
「採用します。」
「…………え?」
「レイアさんを採用します。」
聞き間違いかと思い、失礼にも聞き返してしまった。
「コルネールさんから沢山貴方のお話は聞いていましたからね。話に聞いていた貴方と此処にいる貴方が一致しているのか、確かめるための面接でした。」
コルネールはどんなこと言っていたかと気になる気にもならないくらい、状況の理解ができていなかった。
「な、なんで…合格なんですか…?」
いざ、合格と言われても実感がない。なんのアピールもできていないし、外で働いたことのない自分にできることなんて他の人よりも少ないはずだ。
無性に採用された理由が知りたくて、おずおずと聞き返してしまった。
するとバロンはにっこりと微笑んで言ってくれた。
「素直に、私はレイアさんと一緒に働きたいと思いました。ただそれだけです。理由は不足でしょうか?」
「…...いえ、あ、ありがとうございます。」
不足しまくりです!ちゃんと説明が聞きたいのです!なんて言えないので、腑に落ちないまま、レイアはとりあえず頭を下げた。
ーーー
帰りの馬車内で、レイアは先ほど書いた雇用契約書の写しを広げて眺めていた。
「私、侍女になるんだ…。」
コルネールから誘いを受けて、あれよあれよと面接をして、合格して、侍女になってしまった。
レイアは雇用契約書という紙切れ1枚を見つめながら、つい数週間前までは考えてもいなかった未来だと思いに耽っていた。
嬉しいはずなのに、実感がないからか、喜ぶ気持ちが未だ湧いてこない。
この先どうなるんだろうという漠然とした不安が、嬉しい気持ちを抑制してるのかもしれない。
けれど、素敵な馬車に乗って、初めての場所に来て、まるで遠足に来たような浮ついた気持ちは生まれて初めての感覚で…
ずっと忘れたくない幸せな気持ちだなと思った。
ほんわりと暖かい気持ちが芽生え出すと、帰宅してからは何をしようか、ゼリスさんにどこから話そうかなんて考え事を始めていた。
(帰ったらまずゼリスさんに王都はどんなところだったか教えてあげよう。あと、どんなお屋敷だったかも伝えなくちゃ。あっ、その前に、夕飯よ。今夜は何にしましょうか。あとそういえば、ゼリスさん洗濯物を取り込むの忘れてないかしら、それと今日の分の…ふわぁ…。)
しかし、ひとつのあくびが出たのを皮切りに途端に眠気が襲ってくる。
馬車に揺られながら色々考え事をしていたが、レイアの脳はフル回転で緊張しっぱなしの1日のおかげで疲れ切っていたようだった。
高級馬車の心地よい揺れと座り心地の良いクッションたちのおかげで次第に眠気に引き込まれていった。
このままオルゼット家に到着する前に目覚めることはなく、着いてから御者に起こしてもらったことは恥ずかし過ぎるので誰にも言わないでおこうと決めたレイアであった。
ーー
「バロンさん!バロンさーん!!あの!レイアはどうでした?!結果は??」
「コルネールさん、廊下は叫びながら走るところではありませんよ。」
バロンを発見すると大急ぎで近寄ってきたコルネールに対して、バロンは幼児を嗜めるように少々呆れ気味で言った。
「あ!はい!すみません!!で、どうなんですか!!」
本当に反省しているのか疑うが、もう早く教えてくれという圧がすごかった。
バロンは初めて見たレイアの印象や身のこなしを思い出しながら言った。
「もちろん採用ですよ。あなたの言っていた“周りに気を遣いすぎる優しい子”というのは本当でしたね。」
「あぁ、よかった!!レイアの良さが伝わったようで!!」
してやったりというような満足気な表情でコルネールは嬉しそうにはしゃでいる。
「ぜひ一緒に働いてもらいたいと思いましたよ。しかも、私を見るとすぐに立ち上がって淑女の礼をされましたから、礼儀作法にも問題がないと感じました。勉強熱心な方なのかなと。」
レイア本人にも言った素直な気持ちを、バロンはコルネールにも同様に言った。
一介の庶民が淑女の礼をする機会はまず無い。私立の学園に通っていたのであれば習うかもしれないが…。
きっとレイアはこの日のために学んできたのだろうとバロンは思った。
「さすがです!バロンさん、人を見る目だけは天晴!!って感じですもんね!」
「そ、それはどうもありがとう。」
コルネールは清々しいほどの笑顔を向けて言ってくれた。
“だけ”という2文字が引っかかったが、彼女なりの褒め言葉なのだと受け取っておこうと思った。
「ほんとにレイアったら、落ち着いてて、なんというか一つ一つの動きが無駄に上品な感じしますよね!わかります。どっかの貴族令嬢かっ、侍女経験があるのかって何度疑ったことか!って感じで。まぁ茶化すと怒られちゃうんですけど。あと、紅茶淹れるのめちゃくちゃ上手いし!それに家事も1人でテキパキと…」
コルネールはレイアの合格がよほど嬉しかったのか、レイアについて語り始めてしまった。
こうなったら気が済むまで喋らせてあげようと、バロンはそうかそうかと聞いていた。
この老人ばかりの侯爵家侍女の中で1番若い彼女は皆に可愛がられていた。
そのせいか、夢中で喋るコルネールは孫のような愛しさを感じる。
暫くして、喋りたいことをひと通り話し尽くしたコルネールは最後に改まって言った。
「私の大切な友人を、どうかよろしくお願いします。」
そして彼女は深々と頭を下げたと思ったら、小躍りを隠すことなく風のように帰って行った。
2人の関係がなんとも微笑ましいと感じたバロンであった。