初めての決心
約束の日の朝、コルネールはオルゼット家に訪れた。
「おはよーう!!レイア!」
「いらっしゃい。コルネール、わざわざ来てくれてありがとう。今紅茶入れるわね。」
コルネールをまだお客さんの居ない喫茶店に通し、あらかじめ選んでおいた漢方茶を淹れて茶菓子と共に差し出した。
「あぁ美味しい〜。ほんとにレイアが淹れてくれる紅茶って…」
「まるで異能みたいって言うんでしょ。はいはい、ありがとう。」
コルネールが幸せそうにため息をつきながら言いかけたところで、何を言おうとしてるのか分かってしまったレイアは呆れながら先にお礼を言っておくことにした。
「いつもだったら “ゼリスさんの漢方茶が美味しいからよ〜” って言うのに、“ありがとう”って言うなんて……はっ!レイアまさか!まさか?!」
コルネールはレイアのほんの些細な反応の違いから、レイアの心の浮つきを感じ取ったらしい。
そして結論は私にしっかり言わせるという、恐るべし私の友。
「…えっと。侍女のお誘いの件なんだけどね……その、なんと言うか、私なんかで良ければ、やってみたいなぁ、って…思って。」
いざ口にするとなると、なんだか恥ずかしくなってきて、段々声が小さくなって来てしまう。
しかしそんなことはお構いなしに、コルネールは仰反るようにして大きく喜んでくれた。
「いやーん!!レイア!それは本当なのね?!あ〜嬉しいわ!」
私はとても感激している!引きこもり娘が遂に…!とボソボソ呟いている。
レイアは彼女のリアクションの大袈裟具合にはいつも少々呆れていた。
「もう、そんな、まだ働くことが決まったわけじゃないでしょう?これから採用の面接?もあるんでしょう?」
「そうそう!レイアがもし興味あるって言ってくれたら、一度来てもらいたいって執事長から伝言預かってきたわ!2日後なんてどうかしらって!」
レイアは頭の中で、2日後の予定を確認する。特に重要な予定は無かったはずだ。
「明後日ね、大丈夫よ。じゃあ場所を教えてくれる?私王都の方へは行ったことがないから、無事に辿り着けるか不安だけれど。」
「此処まで馬車で迎えを寄越すと言っていたわ!だから行き帰りのことは何も心配いらないわよ!あ、あと、時間は昼過ぎだそうよ!」
コルネールは当たり前のようにさらっと言うけれど、面接をしていただく身なのに迎えを寄越してもらうなんて申し訳いと好待遇すぎる話にレイアは驚いていた。
「そんな!私は馬で行けるから大丈夫よ。」
これは普通のことなのか?これが貴族の力なのか?と早くも混乱し始めるレイアだった。
そんな驚くレイアを見て、コルネールは笑いながら言った。
「いいのよ。馬車一台出すなんて気にする必要もないことよ!ご厚意は素直に受け取っておくが吉だわ!それに、レイアは半ば採用って感じだと思うし。」
「半ば採用って……まだ私がどんな人かも分からないのに…?そんなに人手が足りていないの?」
面接してもいないのに合格だなんてあり得ないと思いつつ、レイアのような未熟者の手さえ欲しがるような相当深刻な人手不足なのかと心配した。
「早く人手が欲しいって言うのもそうだけど、侯爵家の侍従者は年配の方が多いから、レイアみたいな若者を採用できるのは嬉しいのよ。それとまぁ後は、私がレイアのことを猛プッシュしといたからそれも加点されてると思うし!」
えへっといたずらに笑いながらコルネールは言った。
コルネールが私どこを猛プッシュしてきたのかは実に気になるが…今の話にはそれよりも気になることがあった。
「年配の方ばかりなの?コルネールだって私と同じ若者じゃない。」
「そうなのよ。私は主に騎士団舎勤務なんだけど、その中では、多分私が1番年下かな。採用されたら、レイアは本館で働くことになると思うんだけど、本館は特に年配の人ばかりって感じだからレイアが一番若い人になると思うわ。」
と言いながら、理由を説明してくれた。
侯爵家は侍従者の公募採用はせず、信用できる者を侍従者の紹介で繋いでいく方式で採用しているため、コルネールも侯爵家騎士団の医務班として勤務していた伯父が治癒異能を持つコルネールを紹介してくれたらしい。
そしてなぜ年配の方ばかりかというと、侯爵様は昔から馴染みのある者しか側に付けず、入れ替えを嫌うため、結果的に勤続年数の長い人ばかりになってしまうからだそうだ。
やけに信用を大事にするなぁ。と話を聞いていたが、そもそもなぜそんなに“信用“と言う言葉が耳につくのだろうと思い始めてきた。
(過去に何かあったのかしら…。だから内情を知られたくないのかな。それとも、変な噂を増やしたくないとか。そもそもどんな噂があるんだろう。いや、それは詮索するべきじゃないわ。でも、侯爵家外の人に対する警戒心が強すぎないかしら?主人は変わった方なのかな?……ってダメよ、想像で決めつけるのは良くないわ。)
レイアの頭の中では一気に色んな思考がぐるぐると巡っていた。
疑り深くなってしまう癖は良くないなと思って内省していた時、コルネールに呼ばれた声で我に返る。
「ねぇちょっと!!レイア!聞いてる?」
「え、あ、ごめんなさい、考え事してて。」
「もう、そうだろうとは思ってたけど!まだ何も始まってないんだから、色々考えて不安がることに意味はないわよ!」
レイアが不安に苛まれているのだと思ってくれたコルネールは、明るく元気づけてくれた。
ーーーー
そして2日後、
ゼリスと昼食を終えたレイアは落ち着きなくソワソワとしていた。
「おーいレイア。立派な迎えがきたぞ!」
庭で薬草の天日干し作業をしていたゼリスが、馬車が来たことに気づいてレイアを呼んでくれた。
呼ばれて外へ出てみるとちょうど馬車が庭に入ってくるところだった。
そしてその馬車を見るなり、レイアは固まった。
これが、レイアの思う馬車の予想を超えていたからだ。
艶めく黒を基調とした車体、窓枠に散りばめられた金の装飾。
際立つ高級感に合わせて馬車の側面には剣と盾、そして鷹の描かれた紋章が描かれている。
そして高い位置にある御者席には、黒に金の刺繍がされた燕尾服とシルクハットを纏った御者が座っていた。
まるでお伽噺へ連れていかれるような美しい馬車は、大きめの車輪さえ芸術的に見える。
せいぜい街で乗合の幌馬車にしか乗ったことがなかったレイアは、今からこれに1人で乗るなんておこがましくて今にも震え固まってしまいそうだった。
2人とも馬車に見惚れているうちにあっという間に馬車はオルゼット家の庭に到達し、玄関前に停車していた。
すると軽々と地面に降り立った御者が近づいてきて、固まったままのレイアたちに尋ねた。
「失礼致します。レイア・オルゼット様でいらっしゃいますでしょうか。」
「え!あっ、はい。そうです。」
「はじめまして。私はデクスター家の御者でございます。本日の採用面接にお越しいただきたく、お迎えに上がりました。さぁ、どうぞ中へ。」
そう言って御者は馬車の扉を開いて、レイアに乗るよう促した。
レイアは、御者のなめらかなで上品な動作や言葉遣いの気品さに圧倒され、これが貴族に使える者の身のこなしなのかとたじろいでいた。
「はいっ、よろしくお願いいたします。」
動揺を隠しつつ頭を下げてお礼を言い、御者の手をとって馬車の中に吸い込まれるように入る。
馬車内の壁は深い朱色のキルト生地で覆われ、座椅子部分やクッションには細かい模様の刺繍がなされていた。
座り心地も沈み込むようにふかふかで、最高に良い。
そして1人で乗るには勿体ないほどの広さで、4人は裕に座れるだろうかと思う。
閉められた扉から窓を覗き、ゼリスと顔を合わせた。
ゼリスはこの田舎景色には似合わない豪勢な馬車を見てはしゃいでいるような表情をしていた。
「これまた豪華なもんじゃなぁ。まるでレイアがお姫様になってしまうようじゃのう。」
「ふふふ。すぐ帰ってきますから。」
「うむ。頑張っておいで。」
ゼリスさんはそう言うと御者に近寄って、娘をよろしくお願いしますと頭を下げた。
すると間も無く、馬車は動き出す。
馬車の振動なのか、自分の鼓動なのか、胸がずっとドキドキしっぱなしのレイアであった。
ーー
馬車から外の景色を眺める。
自宅のある森林地帯を抜け、緑生い茂る草原を抜け、小さな街を抜け、王都に差し掛かったのは一時間ほど経ってからだろうか。
侯爵家は王都を抜けたところにあるため、少々時間がかかった。
しかしレイアは、視界に入り込む景色がどれも初めてみるものばかりで飽きることはなく、むしろ興奮していた。
石造の道や橋、レンガ調の大きな建物にカラフルな屋根。
どこを見渡しても煌びやかな世界が広がっていた。
王都は平民から富裕層までいるのだろう。
レイアと同じような簡素なワンピースを着ている者もいれば、派手なフリルのついたドレスに近いワンピースを着た女性、シワひとつない背広を着た男性等、いかにもお金持ちそうな人たちも歩いている。
(あの子はお買い物しに来たのかしら。なんだか少し嬉しそう。きっと良い事があったのね。)
(あっ。あの方は貴族の方なのかしら、服装が華美で素敵。しかも歩き方がとても上品だわ。)
レイアは行き交う人たちを見ては想像を巡らせ、人間観察を楽しんでいた。
商店街であろう道に入ると、格式高そうなお店が建ち並んでいる。
可愛い小物がディスプレイされた雑貨屋やカフェのウッドデッキで楽しそうにお茶をする若い娘たち。
何の店なのかは分からなくても、街並みを眺めているだけでワクワクしてくる。
外を眺め続けていると、広場のような少し開けた場所が目に入った。
その広場の中心には銅像が建っているようだったが、少し遠いところにあるようで女性なのか男性なのかもよく見えなかった。
(王都だし、国王様?でも、それにしては華奢なような……王妃様かしら?)
あれは誰の銅像なのか、コルネールに今度会ったら聞いてみようと思う。
王都を横切って数分経った頃、少し遠くの小高い丘に大きな建物が建っているのが見えてきた。
この距離からでも建物の大きさを感じられ、あれは何の施設なのだろうかとぼんやりと考えていた。
(もしかしてあれが王城?でも王都はさっき通り過ぎたはずだし……もしかしてあれが…いやまさか。侯爵様の家ってそんなに大きいものかしら。違うわよねきっと。)
そのまさかが大正解だった。
間近に近づくと、見上げるほど高くて横幅も長い、絵本に出てくるような石造りの豪邸が目の前に現れた。
煌びやか華やかさというよりは、どっしりと構えられた揺るがない頑強さを感じる。
庭であろう場所に入ると、丁寧に整えられた植木がいくつも通り過ぎていった。
どの木も花も美しく剪定され、庭の格式高さを彩っていた。
(この家の奥行きはどこまであるの?見える範囲だけで20個くらい窓があるわ…。いったい何部屋あるの?これは、お城じゃないの?私ここで働く気でいるの?なんだか場違い甚だしいような…。)
レイアの頭は大混乱で、内心は大焦りだった。
一旦思考が停止したまま豪邸を見つめていると、馬車は広いローターリーを回って、玄関前であろう長めの階段の前で止まった。
すると外から扉が開けられ、そこにはひとりの女性が立っていた。
「こんにちは!どうぞいらっしゃいました!あらやだ可愛いお嬢さんじゃない!さぁさ、降りてきてくださいませ!」
コロコロと微笑む女性は赤茶色のショートヘアにくるくるパーマが特徴的な50代か60代くらいの侍女だった。
色々呆気に取られて思考停止していたレイアは、この女性はわざわざ自分を出迎えに来てくれたのだとやっと理解すると、急いで馬車から降りて頭を下げた。
「初めまして。侍女採用の面接に参りました。レイア・オルゼットと申します。本日はよろしくお願いいたします。」
「レイアさん!お待ちしておりましたよ!さっそく、中の方へご案内しますわね!」
そう言って彼女はレイアを先導して屋敷内へ案内してくれた。
レイアは御者にペコリと頭を下げると、侍女の後ろを緊張しながらついて行った。
まず最初に見えたものは、入り口の大きな玄関扉の両脇に立っている鉄仮面の騎士だった。
置かれた騎士は微動だにせず、堂々と仁王立ちをしていたため、レイアはてっきり立派な置物だと思っていた。
けれどレイアが真横を通り過ぎると、両脇の2人が同じ角度でいきなり頭を下げたので、レイアは驚いて体をビクッと震わせてしまった。
ただでさえ緊張していたのに、驚きでさらに鼓動が早くなってきたような気がした。
このまま目に入るもの一つひとつに驚いていては心臓が持たないと思い、キョロキョロして周りを見回すのを辞めることにした。
視線を散漫させないために前を歩く侍女の背中を見つめていると、何故か以前にも同じような経験があったような微かな懐かしさを感じる。
(侍女が出迎えてくれるこの感じ…何だか懐かしい気がするわ…。もう16年も前のことなのに、不思議なものね。)
ふとした体験は、過去の体験と無意識に重ね合わされることがある。
すると開かれた蓋から溢れるようにして記憶はポロポロと呼び起こされていく。
そのことを知っているレイアは連鎖的に色んな思い出が蘇って来てしまいそうで怖くなり、記憶を掘り起こすのを止めた。
(集中よ。これから面接が始まるんだから。)
レイアは浮ついた気持ちと動揺と緊張で強く脈打つ心臓の音を意識しないようにと、表情を引き締めた。