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心の底


レイアはゼリスが出席する学会に付き添っており、帰宅したのは少し遅い時間になってしまった。


お昼の残りの野菜スープと、学会の帰り道に街で購入してきたお惣菜を食卓に並べて、2人で遅めの夕食をとっていた時だった。

いつも通りに食事をしていたところで、ゼリスが何気なく尋ねてきた。


「ところで、コルネールに誘われた話はどうすることにしたんじゃ?」


「…っえ!!ゼリスさん、聞こえていたの…」


ゼリスはあの時、うたた寝をしていたから聞いていないだろうと思っていたが、全て聞かれていたようだった。

レイアはまさかゼリスが知っていたとは思わず、大きめの声で驚いてしまった。


「…えっと、断ろうと思っています。」


レイアは引き攣ってしまいそうな口角を上げ、最初からその予定でしたというふうに言葉を口にした。

しかし、ゼリスからの返答はない。


私は何かおかしな言い方をしただろうかと不思議になって、ゼリスの顔を見た。

そして目が合うと、問われた。


「できない理由を集めるために返事を待ってもらったのかい?」


「えっ…。」


意表を突かれた気がした。


(確かに、私はなぜすぐに断らなかったんだろう。)


いつもなら、耳も傾けずに即答で誘いを断っている。


けれど今回は、コルネールに考える時間を与えて欲しいと願い出たのは自分だ。

その理由は多分自分で分かっている。


でも、それはきっと気づいてはいけないことだと思ったから、自分自身を説得するように此処に居なければいけない理由を沢山考えていた。


言葉に詰まるのはきっと図星だからだ。


あぁ、ゼリスさんには隠し事はできないな、とその時改めて悟った。


そしてゼリスは食事の手を止めて言った。


「“自分のために何か望むべきではない” と、きっとレイアはこう思っておるんじゃないかのう。」


何も言い返せなかった。

当たり前にそう思ってたことだったから。


父も母も兄も屋敷にいた使用人たちも、生きたかっただろうに無念にも命を落としてしまった。

命の灯火が消える間際は、怖かっただろう。

痛かっただろう。

苦しかっただろう。


なのに自分はそのどれか1つも味わうことなく、のうのうと生きてしまっている事実が申し訳なくて、亡き者からの無念や憎しみを向けられるのは当然で、背負うべきものだと思っている。


生かされた命は自分だけのためじゃなくて、誰かのために、誰かの役に立つように使わなければ。

それが私の贖罪なんだと、そう思って今日まで生きてきた。


だから私は、そうやって生きて行くしかない。



レイアは食卓の下で密かに拳を震えるほどに握りしめていた。



ゼリスはレイアを慈しむように見つめながら、小さいため息をつき、ゆっくりと言った。


「レイアはずっと自分を犠牲にして、懸命に生きて来たよ。何年も、これ以上ないくらいにな。……だから、もういいんじゃ、好きに生きたって。何を望んだっていい。」


にこやかに、優しく、けれど力強く、そう言ってくれた。


「自分の心に正直になって、“やってみたい“と言っていいんじゃよ。その方がエルウィンたちも喜ぶはずじゃ。もし、亡霊に化けて文句を言ってくるならば、ゼリスさんが話し合いの場を設けて一言申してやるから安心せい。ほっほっほっ。」



そのユーモアに溢れた励ましの言葉は、レイアの心の深いところにあった不安を掬っていった。

枯れた心に温かい光が染み渡った。


"あぁ私、ずっとこの言葉が欲しかったんだ" と。


誰かに “ もういいよ ” という許しの言葉をかけて欲しかったんだ。

“ よく頑張ってるよ ” と、私欲を殺す辛さを分かって欲しかったんだ。

“ 大丈夫だよ ” って 安心させて欲しかったんだ。


凝り固まった心の氷が、ひび割れて溶けていくように感じたと同時に視界がじわりと滲んできた。



もういいの? 

本当に自分の心の声に耳を傾けてみても良いの?



足枷が切り離されるような嬉しさと、確信を持ちきれない不安で胸がいっぱいだった。


その証拠に、瞳から大粒の涙が溢れて、食卓にポタポタと落ちる。

自分の泣き虫なところは嫌いだ。

でもこれはいつもの悲しい涙じゃない気がする。


「おぉ、おぉ、図星じゃったか。」


泣くな泣くなと笑いながら、ゼリスはハンカチを手渡してくれる。


「でも、でも、薬屋も喫茶店も家事も…ゼリスさんをひとりぼっちにすることもできません…。」


レイアは沢山のこの家にいるべき理由の中で、ゼリスを1人この家に残すことを最も懸念していた。

身体的にも負担が大きい上に、きっと1人は寂しいだろうと。


しかし、レイアがベソをかきながら不安を吐き出すとゼリスは笑いながら言った。


「レイアは本当に優しいのぅ。でもそんなことは気にするでない。人を雇えばいいことじゃ。」


続けて、そろそろ家政婦や従業員を雇おうと思っていたから気にするなとフォローしてくれた。


「だから、この家のことで気にすることは何もない。レイアと離れてしまうのはとても寂しいが、可愛い娘ほど旅に出せとも言うしな。何より、レイアが自分の興味のままに自由に生きてくれることが一番嬉しいことなんじゃ。」


と、本当に嬉しそうな顔で言ってくれた。


この人はどこまでも私のことを分かってくれている。

きっと、それだけ私のことを愛してくれているからだと理解できる。


「ありがとうゼリスさん。」


「ほっほっほっ。…で、どうするんじゃ?答えは。」


思わず、涙と共に溢れた感謝の言葉にゼリスは照れ臭そうに笑って言った。



自分のためには何も望んではいけないのだと思っていた。


何のために生かされた命なんだ。

そう自分に言い聞かせては、誰かのために、人のために生きなくてはと引き締めて、自分自身の心には蓋をした。



だけど少しだけ、自分の心に向き合っても良いのならば、言葉にしても良いのだろうか。



すぐに抵抗を拭うことはできない。

迷いも、不安も、恐怖も、まだまだこの胸に沢山詰まっている。


でもゼリスはの言葉は私の背中を押してくれた。


「……私、やってみたいです。……私の視界を、世界を広げてみたい。」


自分の願いを口にしたのは、初めてだった。

緊張して肩に力が入ってしまったせいか、力を込めていないにもかかわらず、手首が震える。


「うむ!そうかそうか。楽しみじゃな。」


ゼリスがにっこりと笑ってそう言ってくれた時、自分自身一皮剥けたような、何かが終わって始まったような衝動を感じた。




ーーー



レイアとの夕食を終え、各々自室へ戻って就寝した。


その頃、ゼリスは布団に寝そべりながら天井を見上げ、考え事をしていた。



ーー



自分は大きな間違いを犯していた。


彼女が思い悩んでいることは、ずっと昔から分かっていたはずなのに。

どうしてもっと早く、レイアが欲しがっていた言葉を渡してやれなかったのだろうか。


自分の前ではいつも笑顔で明るく振舞っているレイアだが、心はいつも泣いていて、暗くて深い闇のように終わりのない問答に囚われ続けているんじゃないかと、分かっていたはずなのに。



レイアは今までに、欲しいものを強請(ねだ)ったことも、何かを望んだことも、夢を語ったことも、無かった。


尋ねてみても

“ゼリスさんと居られるだけで、幸せなんです。” “ゼリスさんが笑ってくれている時が1番嬉しいんです。”と、言ってくれるばかりだった。


阿呆な自分は、なんて素直で優しい子なのだろうと感心してしまっていた。

けれど、“優しい子“で済ませてはいけなかった。


彼女は彼女自身を眼中に入れることは決してない。

自分のことを勘定に入れない理由は、優しさとか思いやりという以前に、自分なんか生きていて良い存在ではないと卑下していたからだ。


自分なんかどうなってしまってもいいというように、沢山のものを諦めて。

でも生きてしまったからには死ぬことも許されないんじゃないかと、ただひたすらに誰かの役に立とうとして。

日々、悪夢のような現実で必死に笑顔を取り繕って、生きてきたのだろう。


そんなレイアの気持ちに薄々気づいておきながら、自分は踏み込めなかった。

血の繋がりが無い他者である自分が何か言葉をかけて、本人にしか分からない痛みを分かったつもりになるのは違うと思っていた。


ましてや、優しいレイアのことだから、声をかけた途端、ゼリスさんを心配させまいと今以上に気丈に振る舞おうとして逆に疲弊させてしまうのではないかとも危惧した。

だから、何も言わずに暖かく見守ることが正解だと思っていた。


いや、単に嫌われてしまうことが怖かったのかもしれない。

彼女の笑顔を見ると、大丈夫なんだろうなと騙されようとしていたのかもしれない。


本当に、情けない。


しかし、今日見た彼女の涙からは、悲しみ故ではなく安堵を感じ取れた。

コルネールからの誘いの件をすぐに断らなかった時点で、彼女自身の好奇心や自我が勝ったのだろうと思っていた。


この些細な変化を潰すことなく、どうしても踏み出させてやりたかった。

だから、格好悪くっても、嫌われてもいいから、彼女の心に声をかけようと決心していた。


拭い切れてはいないだろうが、涙と共に色んな苦しみが流し出て、少し気持ちが軽くなってくれたら何よりななのだが。


大馬鹿者の自分は今までずっと、彼女に寄り添っていた“つもり”だった。

しかしそれは“つもり”でしかなく、彼女の心をずっと孤独にしていた。


もっと早く言うべきだった。

思いは言葉にしなければ伝わらない。

そんな当たり前のことさえできなかった自分が情けない。


「父親役失格じゃなぁ…」


しかし、こんな自分にも、ありがとうと彼女は言ってくれる。

自分に似ずに、人に素直な感謝の気持ちを言葉で伝えられる、素敵な人格を身につけて育ってくれたと思うと、胸がいっぱいになるくらいの嬉しさが込み上げてくる。


間違いだらけで、レイアの欲しい言葉のひとつも言ってやれない父親役だが、

たとえ世界中がレイアの敵になったとしても、自分だけはずっと味方でいることを約束する…。



ーー



ゼリスは、自身の行いの後悔と反省、

そして、これから始まるレイアの人生への期待を胸にそっと目を閉じて、眠りについた。




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