天地操造大全
コルネールから受けた“侍女のお誘い”の件が頭から離れないまま迎えたその夜。
レイアは6畳ほどの小さな自室に戻ってドレッサーに座ると、鏡に映った疲れた顔をした自分と目が合った。
鏡越しの自分は覇気の無いつまらない顔をしていた。
適当に化粧水を顔に塗ってさっさと寝ようと、無意識に目線を斜め下に逸らした時、鏡の右下に置かれた目薬が視界に入った。
(…あっ!!そういえば今日、打ってないような…。)
その瞬間、今朝は目薬を打った覚えがないことを思い出し、血の気が引いていく。
レイアは、朝起きたらまず目薬を打たなければいけないのだ。
本当の瞳の色を隠すために。
ーー
この世界では、異能を持つ人間が生まれることがある。
確率としては10人に1人くらいだろうか。
存在する異能は大きく2つに分類されている。
2つに分類される理由は、瞳の色が2種類に分けられるからだ。
異能者かどうかは瞳の色で判断することができ、普通の人間は褐色の瞳、特殊魔術を持つ者は珊瑚色の瞳、治癒魔術を持つ者は京紫色の瞳を必ず持って生まれてくる。
“特殊魔術“とは、普通の人ではできない“超能力“を使用できる異能のことである。
どんなことができるのかは人それぞれ異なり、細かく分類されきれていないため種類の幅は広い。
もうひとつの“治癒魔術”とは生物の細胞活性化を促す異能であり、特殊魔術を持つ者よりも珍しいとされている。
コルネールはこの治癒魔術を持つ異能者であり、その力を活かして侯爵家の医務班として勤務している。
現在この国、マリブレート王国では、誕生した子供の瞳が褐色以外であると判明した時点で国に申告しなければいけない規則が設けられている。
また、異能者と一般人との間に不平等が生まれないよう、国家認定機関のみでの魔術使用が許可されており、私生活で勝手に魔術を使用することは禁じられている。
そのため、異能者は魔術の使用が許された病院や騎士団などの機関に所属勤務していることがほとんどである。
しかし、異能者の方が異能を持たない者よりも国家機関等への就職率が良いことから、不平等は既に生じているとも言える。
異能のことを“魔術”と呼ぶのも、“悪魔”を連想させる皮肉を含んでいるとか。
“普通とは異なる優れた能力“ ではなく “呪いの烙印” とするために、そう呼ばれるようになったという噂も存在する。
終わりのない人々の憎み合いや争いは、魔女が課した試練なのかもしれない。
異能者が誕生するようになった背景として有名な言い伝えがある。
人々が生きてるうちに必ず耳にする「天地操造大全」という伝説だ。
内容としては、まずこの世界の理は一人の魔女によって創られたとされている。
その魔女は自身の娯楽として、人間同士を争わせるために覇権国家をいくつか作ろうとした。
その際、各国内でヒエラルキーを確立させるために、貴族として選定された一部の国民に異能という特殊な力を与え、代々継承が続くようにと呪いをかけた。
という言い伝えだ。
科学的根拠はもちろんなく、大概作り話であると思われるが、貴族家系は圧倒的に異能の遺伝率が高いことは事実であるため、この伝説はひとつの歴史として信じられている。
そしてこの伝説にはひとつの物語が付随している。
魔女は考えた。
「驚異的な異能を持った神のような存在が現れたら、世界はどうなるのだろうか」と。
争い事が起こるのか、崇高による統一が始まるのか。
そのような興味から数百年に一度 “死者を蘇らせる異能” を持った者を誕生させる理を生み出した。
その理によって数百年後に、翠玉色の瞳を持った子供が誕生した。
名は“クレオ・エリーフ”と言い、貴族家庭ではなく平民家庭に生まれた男児だった。
そしてクレオ・エリーフは10歳の時、病気で息絶えた母を生き返らせた際に死人を蘇らせる異能を開花させたとされている。
このことから、この力は“冥還魔術”と呼ばれるようになった。
この特別な異能は瞬く間に国中へと知れ渡り、崇拝する者や恐れ慄く者など、神にも近い力を持つ子供に対する人々の反応は様々だった。
冥還魔術を開花させたクレオは、国中を飛び回り、多くの死者を助けて回る日々を送っていた。
彼は “救える命は救いたい、それが自分の使命なのだ“ と他者のために力を使い続けた。
けれども、一人で救うことができる命には限りがあった。
誰でも無条件に救うことができた訳ではなく、心臓が停止した後に魂が死人内に残っている者であれば、魂を呼び戻すことができた。
しかし、死亡してから時間が経ち、魂が抜けきってしまっている死者を蘇らせることはできなかった。
すると、救済されなかった者の親族たちを中心に不満の高まりが表立ってくるようになった。
クレオへの妬みや憎悪を募らせ、“生態系の崩壊を招く異能である” “命尽きる日があるからこその人間であり、自然の摂理を歪ませる存在” “悪魔の子”という噂や思想が生まれるようになってきた。
世間は次第に、異能者を揶揄し差別する者・擁護する者の2つに分裂していくようになった。
そしてある晩のこと、エリーフ家は突如火災に見舞われてしまった。
家屋は全焼し、一家全員が死亡した。
ほとんどの人は誰かによる計画的犯行だと理解していたが、関わらないことが暗黙の了解であるというように、真相に迫ろうとする者はおらず、事故として真相は闇に葬られた。
という神話が存在する。
この話は我が国の誰もが歴史としても、道徳としても一度は学ぶ言い伝えである。
レイアはこのクレオ・エリーフの話を聞くといつも思う。
どうすることが正解だったのだろう。と。
どの人にもそれぞれの正義がある中で、他人の正義に歩み寄る方法はなかったのだろうか。
移ろいゆく善悪の基準は、数の多さで決めるしかないのだろうか。
誰かに悪と烙印を押された者ならば、命は奪われても仕方がないのだろうか。
では理性とは何のために備わっているのだろうか。
そんなやるせ無さを感じた。
クレオ・エリーフの伝説は人々に教訓を与えたはずだ。
なのに、なのに、何百年、いや、何千年も経っているだろうに、また歴史は繰り返されてしまった。
レイアの本名は、“レイア・エリーフ”だった。
レイアは元々、エリーフ男爵家に長女として生まれた謂わば令嬢だった。
エリーフという性については、元々平民であったレイアの先祖が名誉ある功績を残したため、その当時の国王から貴族の地位を与えられたと教えらえた記憶がある。
通常、平民が貴族になる際は、唯一無二の新たな姓を与えられることが一般的なのだが、当時の国王は "エリーフという名が貴族になったら冥還魔術が再来する可能性が高まるかもしれない" という迷信を信じてエリーフの名を起用したという。
冥還魔術はエリーフという姓に遺伝するとは限らないし、そもそもそんな異能が存在するかも分からない。
だから、歴史に残るクレオ・エリーフとは関係がない可能性の方がずっと高いはずだった。
なのに、クレオ・エリーフの次に緑の瞳を持って誕生したのはレイアの実兄マーロン・エリーフだった。
彼の瞳は歴史書に出てくるクレオ・エリーフと同じ翠玉色だったのだ。
そしてどんな偶然か、実はレイアの瞳も翠玉色だった。
だからもしかすると自分は、冥還魔術が使えるのかもしれない。
けれど、もし使えてしまったら、人々に罵詈雑言を投げられて殺されるのだろうか。
そんな人生の結末が決まっているのなら、いっそ生まれて来なければよかったのだろうか。
天地創造大全や、自身の本当の瞳のことを思い出すと、息が苦しくなるくらいに自分の生きる意味について悩まされる。
その理由は、翠玉色の瞳の兄は、実際に冥還魔術を使用したが故に死んでしまったも同然だったからだ。
物心ついた時から、レイアの瞳は褐色だったため自分の瞳が緑であることは暫く知らずに生きていた。
それは、“息子の次に生まれた娘も瞳が緑色だ“ と一早く気がついた母が、ゼリスが秘密裏に開発しyrくれた “瞳の色を褐色に変化させる薬” を密かにレイアに飲ませ続けていたからだ。
その薬はマーロンのために、父の師匠であったゼリスが数年の研究の末、秘密裏に開発した薬だった。
けれど、兄はそれを使用しなかった。
ゼリスの薬が完成した頃にはもう既に、マーロンが翠玉の瞳の子供であると、国中に広まっていた。
だから、今更隠したところでは意味が無く、もう遅いと本人が感じていたのだろう。
ちなみに、レイアが自分の瞳が翠玉色であると知ったのは、ゼリスの養子になってからだ。
物心ついた時から、毎晩薬を飲んでいたのでそれが当たり前だと思っていたのだが、ある日ふと “なぜ病気でもないのに薬を飲まないといけないのだろうか ” と疑問を抱いたことがあった。
するとゼリスは、私の瞳が兄と同じ緑色であるからだと教えてくれた。
そして同時に、“このことは決して誰にも教えてはいけない“ と普段は仏のように穏やかなゼリスが、怖いほどに真剣な面持ちで釘を刺してきたのが幼い自分にはとても印象的だった。
嘘ではないことを証明するために、1度だけ薬を服用しないでみても良いとゼリスが言ってくれたことがあった。
なので寝る前に薬を飲まずに寝てみると、朝起きた時に鏡に映った自分の瞳は本当に翠玉に光っていた。
宝石が埋まっているように輝いて見えたその瞳からは、兄の姿を連想させた。
その瞬間、美しかったはずの輝きが、過去の遺恨のように感じてしまい、もう翠玉の瞳をした自分は見たくないと思ってしまった。
なのでそれ以降、緑の瞳は見ていない。
そして、ゼリスとの約束を守って、どんなに親しい者にも、この事実は話していない。
ゼリスが独自開発した瞳の色を変える薬は飲み薬と目薬がある。
飲み薬の持続時間は約1日なので、寝る前に必ず服用することにし、約半日ほどの継続時間の目薬は安心剤として朝起きて着替えをする際に打つと決めている。
念には念をということで、目薬はいつも携帯し、瞳が緑に戻っていることが一瞬もないように、1日に数回目薬を打つように心掛けている。
今日は寝坊した上に目薬まで忘れてしまった。
飲み薬の効力が万が一切れてしまったら、大変なことになってしまうのに、間抜けにも程がある。
自己嫌悪に飲み込まれそうだったが、同じ失敗は繰り返さないと心に決めながら、薬を飲むことにした。
そして、気持ちを切り替えて寝る前の勉強をしようと思い、本や薬剤が散らかった勉強机に向かった。
最近は、新作の軟膏の開発に挑戦しているところだった。
効きが良くて、良い香りの軟膏があれば水仕事や家事で手荒れしやすい女性にとって、嬉しい品物になると思ったからだ。
なので、沢山の薬学書が広がる机に向かって開発のための勉強に着手しようとした。
しかし、参考書の活字にのめり込む前にふと今日のコルネールに誘われた話を思い出してしまう。
コルネールが働いているデクスター家はどんなところだろう。
そこには、どんな人たちがいるんだろう。
もし侍女になったら、私に何ができるかな。
薬の知識は役に立つかしら。
そもそも王都ってどんな街だろう。
(……。何を考えているの。)
無意識にあれこれ連想し始めていた。
興味を持ちそうになってしまっている自分に気づき、考えることを急いでやめた。
「なぜ私はあの場で断っておかなかったのかしら……。」
レイアは今になって少し後悔していた。