再チャレンジ
ハインズは騎士団団長と侯爵という肩書きを持ち、騎士団舎や王城を行き来しつつ、常に忙しなく働いているため、毎日必ず15時を執務室で迎えるというわけではなかった。
なので、レイアが2度目の紅茶を届ける機会が訪れたのは、前回から4日後のことだった。
(拒絶されるのは当たり前、冷たくされるのは当たり前、めげない、めげない…)
緊張で震える手を抑えながら、最悪の光景をできるだけ想定して、いざという時に傷つくダメージを軽減できるよう執務室の扉の前で立ち止まり、自分自身に暗示をかけていた。
「ふぅ。」
浅い深呼吸をして心を落ち着けたところで、意を決してティーセットを押しながら執務室に入る。
しかし、踏み入れた途端に、やはり歓迎されていない冷気をひんやりと感じた。
「紅茶をお持ちしました。」
「・・・・。」
レイアが覚悟を決めて見上げたハインズの顔は、驚いているようにも呆れているようにも見えた気がした。
けれど懸命に見えなかったふりをして、なるべく平常心を装ってティーワゴンを押しながらハインズへ近づいていく。
そしてレイアが紅茶の準備をしようとワゴン止めたところで、書類から目を離さないままハインズが口を開いた。
「君が淹れた茶を飲むことはない。…俺の前に現れるな。」
静寂の室内に落とされた言葉は、氷のように冷たく、鉛のように重かった。
その言葉はレイアの心を刺し、心臓をキュッと縮められた気がした。息を吸うのが精一杯になりそうだった。
でも、怯まないと決めたはずだ。
(そんなことを言われることは想定済みだったでしょう…だから、聞かなかったことにしよう…)
震えそうになる心を落ち着かせるように、必死に思い込んだ。
今までだってそうだったじゃないか。
虐げられ、嘲られることには慣れている。
だから自分に傷つけられるプライドなんてないはずだ。
そう思ったら、考えてきた作戦を実行できそうだった。
軽く息を吸って、言葉を紡ぐ決心をした。
「あの、これは、何の変哲もないティーカップです。」
「…?」
レイアが突然変なことを言い出したので、不思議に思ったハインズは思わず書類から顔を上げ、レイアの方を見た。
どうやらレイアはハインズのティーカップの他にもう一つ、自分用のカップを持ってきていたようだ。
そしてカップの紹介を手短に済ませると、その何の変哲もないティーカップに紅茶を注ぎ始めた。
「…失礼します。」
小さくそう呟くと、自ら注いだ紅茶を飲み干した。
主の前で紅茶を飲むという行為に少々気が引けたが、毒が入っていないことを証明するためにはこれしかないと思った。
「どうでしょうか…?安全性は確認できたと思います…。」
もし、“レイアはハインズの命を狙っているのかもしれない“と疑われてしまっているならば、殺すつもりなんて更々無いことを証明したかった。
だからこうすれば、安心してくれないだろうか。
「くだらない。さっさと去れ。」
しかし、レイアの願いは届くことなく、冷たく一掃されてしまった。
去れと言われてしまったらしょうがない。
これ以上足掻いてもダメなんだろうなと感じたレイアは素直に退出することにした。
「はい…承知しました。…失礼しました。」
レイアは持ってきたティーワゴンを押して、素直に出ていった。
(またダメだったな…。…次はどうしよう。)
また失敗してしまったレイアは落胆していたものの、次の一手に想像を巡らせて、嫌悪感を露わにされた悲しみに目を向けないようにと前を向いていた。
ハインズに近づこうとする灯火か消えたいまま、レイアはバロンのところへと向かった。
レイアが去った後の執務室は静寂に包まれていた。
窓の外で鳴く小鳥の囀りが聞こえるほどの静けさは、ハインズの紙を捲る手さえも暫く止まったままだったからかもしれない。
ーーー
ハインズは何だか集中できなくて、執務室での仕事を一旦辞め、外で剣技の練習をすることにした。
彼は侯爵だが本業は騎士であるため、常に技術を向上させ続けることも仕事の一つだった。
訓練場に入ると、機械を使って体を鍛える金属音、木刀のぶつかり合う音などの鍛錬に取り組む声が響いていた。
「団長!お疲れ様です!」
『お疲れ様です!!』
ハインズが入って来たことに気づいた1人が声をあげると、その場にいた全員が一旦動きを止め、頭を下げて挨拶をする。
そしてハインズが小さく片手を上げると、騎士たちは元に戻る。すると数人の部下が駆け寄って来て
「団長!お手合わせお願い致します!!」
と懇願して来た。
剣技に関して、ハインズは右に出る者はいないというくらいに強かった。
なので、ハインズに指導をしてもらいたいと願っていた者たちは沢山いたのだが、騎士たちはハインズから出る”近づくな”と言われているような冷徹な雰囲気に怯えていたため、中々話しかけられなかった。
しかし、数ヶ月前に1人の騎士が死を覚悟で手合わせを申し出ると、意外にもあっさり承諾してくれた。
その日から、"あ、良いんだ" と知った周りの騎士たちが指導を申し込んで来るようになった。
「いいだろう。」
ハインズは今日も彼らの申し出を受け入れた。
『よろしくお願いします!!』
部下たちは嬉しそうに勢いよく頭を下げた。
そして約30分後。
「引き続き鍛錬に励め。」
そう言って軽く汗を拭ったハインズは部下たちを床に転がしたまま、訓練場を出て行った。
『ありがとうございました!!』
剣の練習相手に付き合ってもらった部下たちは急いで立ち上がって頭を下げた。
しかしハインズが見えなくなった瞬間、騎士たちは頭を上げる気力も残っていないというように、ドタドタとその場に倒れ出した。
「レベルが違うよ……強すぎる…。」
「まじであの人、同じ人間か…?」
「一撃くらい喰らわせられると思ったのにぃ…。」
「ああぁぁ疲れた...」
と、コテンパンにやられた部下たちはその場でブツブツと己の弱さと団長の強さを嘆いていた。
ーー
ハインズは騎士団舎から本館へ戻る途中、愛馬の様子を見に行こうと思い立ち、本館の裏にある馬小屋に向かった。
この時間なら馬丁たちは休憩中だろうと見越して、馬小屋へ踏み入れた。
しかし馬小屋に入り、愛馬の近くまで行くと聞き覚えのある声が聞こえてきたため、思わず足を止めた。
「キース、あなたは本当に美しい毛並みよね。まるで雪のようだわ。」
この声は、あの侍女、レイアだ。
近くに誰かがいる様子はないため、独り言のようにハインズの愛馬であるキースに話しかけているようだった。
「周りの皆は茶色い毛並みだから、自分だけおかしいなんて思っちゃだめよ?あなたにはあなたにしかない良さがあるんだから。大丈夫よ、胸を張っていいんだからね。」
そう言って、レイアはキースの頭を抱きしめた。
"大丈夫よ、胸を張っていいんだからね"。
最後のレイアの一言がハインズの頭の中を何度もこだまする。
ハインズは自分が言われたわけでもないのに、何故か自分の鼓動は強く高鳴り、自分の脈拍が聞こえるくらいの衝撃を受けていた。
だが、動悸ともいえる心の震えの理由は分からなかった。
そして、その場にハインズが居ることを知らないレイアは独り言を続けていた。
「あ、わかった!あなたは雪の国の王様の遣い…いえ、王子様が乗る特別な白馬なのよ。雪とともに現れて、それで…」
レイアがキースを撫でながら妄想に耽り、つらつらと作り話を話していると
「じゃあレイアお姫様にはコイツをあげてもらおうかな!」
そう言いながらレイアの背後から、バケツ一杯の人参を持って出て来たのは馬丁のナディルだった。
「ナ、ナディルさん?!…あの、いつからそこに…?」
レイアは自分の独り言がどこから聞かれていたのか分からず、恥ずかしさと焦りで自分の顔が紅潮していくのが分かった。
「素敵な物語が聞こえてきてな!よかったなぁキース。それに、キースはハインズ様の愛馬だからな〜!王子様の遣いってのは、あながち間違っちゃいねぇぜ!」
わっはっはっと笑いながら言った。
(しっかりと聞かれてしまっていたようだわ…。)
独り言が筒抜けだったことを知ると、レイアは余計に恥ずかしくなった。
紅潮を隠したくて俯いたが、その時ふとバケツを抱えたナディルの手が視界に入った。
「あ、ナディルさんの手、荒れてる。痛くないんですか?」
ナディルの手は水仕事によるあかぎれや、小さな切り傷によって荒らされていた。
「あぁこれか、この仕事には付きものだからしょうがねぇな!もう慣れてるし、働き者の勲章だ!」
ガッツポーズをとりながら“職業柄、仕方ないことだ”と笑いとばしていた。
大変な仕事なんだな、と思っていたところで、レイアは今ちょうど良いものを持ち合わせていたことを思い出しポケットを漁った。
「あ!そうだ。これ、使いかけで申し訳ないんですけれど、良ければ使ってみてください。私の実家で作っている軟膏なんです!」
「え!こんな洒落たもの貰っていいのか?!助かるなぁ。じゃあ、ありがたく使わせてもらうことにするぜ。」
レイアから手渡された軟膏を眺めながら、ナディルは嬉しそうに言った。
「はい!ぜひ!」
そんなナディルの笑った顔を見たレイアも嬉しくなって、笑みが伝染する。
「というか、レイアは医者の娘だったのか?」
「いいえ、違います。父が薬師でして…」
その後も馬のことや世間話で2人は盛り上がって立ち話をしていた。
そんな2人を影から眺めていたハインズは、ふと思った。
(彼女は、あんなふうに笑うのか。)
初めてレイアの笑った顔を見たハインズは、胸の辺りがほんの少し騒ついた。
そして不思議なことに、その笑顔から目を離したくなかった。
人の顔をよく見たのが久しぶりだったからかもしれない。
というのも、ハインズは人の顔を見ることが苦手だった。
自分の瞳は普通と違うから見つめられたら恐怖や不快感を与える。
だから、相手を怖がらせないように、不愉快な気持ちにさせないように俯くうちに、いつの間にか目を合わせない癖がついた。
けれど、偶然見かけてしまったレイアの柔らかな笑顔はとても眩しくて、目を離せなかった。
加えて、彼女の人を気遣う優しさや声音は自分に向けられているわけではないのに、なんだか心が落ち着くようだった。
けれどハインズは、自分の前でレイアは笑わないことを思い返す。
そして、この笑顔を奪っているのは紛れもなく自分のせいだなんて分かっている。
自分の棘のある言葉と態度で、恐怖を抱かせていることも知っている。
でも、この笑顔を生涯枯れさせない為には、そうするしかないことも分かっている。
誰にも聞こえないくらいのため息をひとつ吐き出すと、ハインズは来た道を戻って厩舎から出ていった。
胸の痛みは冷徹な仮面で隠し込んだ。
なぜかこの痛みは、いつも感じる胸の痛みとは、少し種類が違う気がした。
お読みいただき、ありがとうございました。