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新たな決断


遅めの休憩中、レイアは厩舎にいた。


自室に戻ったら、悲しみと悔しさの渦に飲み込まれてしまいそうだったし、休憩室で誰かと談話する気力も無かった。


1人にはなりたくないけど、誰かに気を遣える余裕もないレイアが選んだのは馬に会いに行くことだった。

暇な時や癒されたいと思う時は厩舎へ来て、馬たちの世話を手伝っている。


今は休憩中なのか、訪れてみた厩舎に馬丁たちは誰も見当たらなかったから、元気そうに振る舞える自信が無かったレイアは少し安堵した。


レイアは心ここに在らずというように一点を見つめたまま、馬を優しく撫でていた。


特に何も考えてなかった。

何も考えたくなかったのかもしれない。


ぼけっーとひたすら馬を撫で続けていると、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「おぉ〜レイアじゃねぇか!今日も来てたのか!」


そう言いながら歩み寄って来たのは馬丁のナディルだ。

こんがり焼けた肌と口周りの黒ひげが特徴のワイルドな見た目をした50代くらいの男性で、いつも明るくレイアに話しかけてくれる気さくな人だった。


「ん、なんだ?なんか元気ねぇのか?もし誰かにいじめられたんなら言えよ?そしたらナディルさんがそいつの首根っこをとっ捕まえて、こうやって懲らしめてやるからな!」


肘で首を絞めて、人を殴るようなジェスチャーをしながら、冗談ともつかない表情を作って賑やかにナディルは言った。


「ふふふ、暴力はダメですよ。虐められてないですし、大丈夫です。」


“大丈夫”に説得力が出るように、レイアは急いで笑顔を作ってみせた。


「大丈夫って割には浮かない顔してるように見えるけどなぁ。」


うまく笑えたはずなのに、いつも通りを演じ切れていないようでレイアは少々焦った。


「えっと…、ちょっと考え事してただけです!」


「そうか、それならいいんだけどよ!」


意外にもナディルはあっさりと会話を終わらせ、深入りして来ることは無かった。

あえて触れないでいてくれた彼なりの優しさなのかもしれない。


しかしふと、長年仕えているであろうナディルから、ハインズという人物はどのような人に見えているんだろうかとレイアは気になった。


「あの、ナディルさん。ハインズ様ってどんな方なんですか?私まだ関わったことがないので、どんな方なのか知っておきたくて。」


ハインズのことで悩んでいると悟られないように、なるべく今思いついた話題であるように自然な言い方を意識した。


「うーん、俺は厩舎に来た時のハインズ様しか知らねぇが〜、一言で言うと“愛情深い人”かねぇ。」


「あ、愛情深い…?」


ナディルの口から飛び出した予想とは正反対の言葉に、レイアは思わず眉を(ひそ)めた。


しかしナディルは構うことなく話を続けた。


「ハインズ様は人が居ない時を見計らってここへ来ては、愛馬や他の馬たちの様子を見て回ってんだ。ただ黙って撫でては見つめて、まるで馬と目で会話しているようだな。そんで、その顔はいつもの怖い顔のままで笑ってないが、目は笑ってんだよな。馬への親愛が滲み出てる感じでよ。」


意外だった。


レイアが知っているハインズの表情は、常に無表情で感情が凍ってしまったかのように冷徹だ。

脳裏に焼きついた彼の冷たい目線を思い出すだけで、先ほどの出来事がトラウマのように襲ってくる。


だから、瞳に親愛を滲ませているハインズを想像できなかった。


(馬が好き、なのかな。それとも、動物が好きなのかな。)


けれどそれよりも、“人が居ない時を見計らって”という部分が少し引っかかった。


「どうして人の居ない時にいらっしゃるんでしょうか?」


「そりゃ、俺たちに気を遣わせないためじゃねぇかなぁ。」


単に、“彼は人と話すことが嫌いだからなのだろう“と思っていたレイアとしては、またもや予想外の回答だった。


“気を遣わせないため” が本当だったら……とレイアが考え始めようとしたところで、ナディルが昔の懐かしい思い出を振り返るように穏やかに呟いた。


「あんな怖い顔してっけど、根は優しいお人だからなぁ。」


そう呟いたナディルの顔は、まるで何か嬉しい事があったかのように馬の背を見つめながら微笑んでいた。


「優しい人…」


優しい人と言われても同意することはできなかったし、“そうなんだ”と素直に受け入れることもできなかった。


不意にレイアが納得いかなそうな顔をしたのを見たナディルは、『これは何かあったのだな』と悟り、ニヤリと微笑して急に話題を変えた。


「そうだレイア!そこにいる馬、グレースはどんな馬か分かるか?」


突然に話題が変わったことを不思議に思いつつも、ナディルが急に昔話や武勇伝を語り始めることはよくあることだったので、レイアはグレースについて真剣に考えてみることにした。


「グレースはすごく穏やかな性格をしていると思います。私が初めて来た時も、すぐに受け入れてくれたような気がしますし、ブラッシングしても移動をさせても、快く従ってくれますから。」


「さっすが俺の弟子だ!よく分かってるねぇ!…だが、100点はあげられねぇなぁ。」


ナディルがそう言うと、レイアは少々驚きと悔しさを滲ませた後、“早く回答を聞きたい!“というように目をパチクリさせてナディルを見つめた。


「グレースは普段は大人しくて従順だから世話がしやすいんだ。だが、一度(ひとたび)厩舎の外に出すとな、暴れ馬になっちまうんだよ!だから危なくって、誰彼(だれかれ)構わず乗せることは出来ねぇ問題児なんだ。」


レイアの目に映るグレースは温厚で可愛らしい印象だったのに、そんな一面があったなんて知らなかった。


「見かけによらず、おてんばなんですね。」


おっとりとした外見からは想像がつかない新事実に驚いたが、グレースの知らない一面を知ったら、余計に愛らしく思えてきた。


「ははっ!行動で本質を隠しやがる奴もいるから、これだから向き合うって手間がかかるよな。」


ナディルの何気ないその一言でレイアの手が止まった。


(あ……そうだ、私は決めつけてた…。)


たった1度言葉を交わしただけで、相手の何が分かるというのか。


初めの一言が冷たかったら、怖い人。

初めの表情が怖かったから、冷酷な人。

たったそれだけの情報で決めつけてしまうなんて、なんて浅はかな考えだろうか。


先入観だけでその人のことを知った気になるなど、偏見によって散々遠ざけられてきた経験がある自分だからこそ痛みが分かるというのに。


巷で流れる“冷酷無慈悲な侯爵”という噂は偽りであってほしい。

明るくて優しい使用人たちのように、人心のある方であってほしい。


そんな自分の願望を込めた理想とは大きくかけ離れていた衝撃で、忘れかけていた。


だから今必要なことは、逃げることでも避けることでもない気がしてきた。

もう少し向き合う挑戦が必要なのかもしれない。


「ほんとうに、そうですね。」


レイアは、決心を新たにした清々しい笑顔で頷き、瞳は何かを消化したようにスッキリしていた。


「ありがとうございます。ナディルさん。」


そう言うレイアの表情に憂いも影も見当たらなかった。


安心したように微笑んだナディルは


「いいか?動物を大切に扱ってくれる奴に悪い奴は居ないからな?だから恋人候補には、俺みたいな内面がカッコいい奴を選ぶんだぞ?」


と、したり顔で“恋人にしても良い男の特徴はこうだ!”とまた突然違う話題を語り始めてしまった。


「ふふふ、参考にしますね。」


レイアは楽しそうに笑い、適当に相槌を返しながらナディルの暫く仕事を手伝っていた。



ーー



バロンが急用の来客対応を終え、自分の執事長室に戻って来て数分も経たないうちに、レイアが訪ねてきた。


「バロンさん。今お時間よろしいですか?」


「ど、どうぞ。どうかされましたか?」


レイアが至極真面目な表情をしていたので、“やめたいです”とか言い出すのではないかとバロンは思わず身構えてしまった。


「私、ハインズ様に紅茶をお届けするのを、失敗してしまいました。なので、今日はお届けすることが出来ませんでした。…お力になれず、申し訳ありません。」


レイアは開口一番、ハインズに紅茶を届けることが出来なかったことを頭を下げて詫びた。


バロンはレイアを咎めるつもりは毛頭無かったが、"届けられなかった"という部分に違和感を感じていた。


紅茶を溢したり、カップを割ってしまったという失敗ならば、再度新しいものを持ってくれば良いだけなのだが、“できなかった”という報告を聞いたバロンは少し嫌な予感がした。


しかし、レイアが“できなかった理由“について特に言及するつもりはなさそうだったので、触れられなかった。


「そ、そうなんですね。失敗は誰にでもあることですし、気にすることではありませんよ。」


「そこで、あの、図々しいお願いなのですが、もう一度私に任せていただけないでしょうか?」


レイアは真剣な表情で、再び頭を下げて言った。


バロンとしては"自分には無理です、任せないでください"とお願いされるのかと思っていたので少々面食らった気分だった。


兎にも角にも、辞めたいと直談判されるかもとヒヤヒヤしていたバロンは胸を撫で下ろした。


「もちろんですよ。それは私も助かります。」


「ありがとうございます!…あの、でも、もしダメだったら…バロンさんに再度お願いしたいです…その、ハインズ様は紅茶飲みたいと思うので…」


レイアの自信なさげな追加のお願いを聞いて、バロンの予想が確信に変わってしまった。


『レイアが持って行った紅茶をハインズは拒み、紅茶はもういらないとでも言ったのだろうな』と。


「わかりました。15時前後は空いていますからね、いつでも呼んでくださって構いませんよ。」


口ではそう言ったものの、内心では、どんなことを言われたのか、レイアの心は大丈夫なのかと心配だった。


ほぼ初対面のような状況で、あの瞳に射抜かれて、きっと冷たい言動を受けて、彼女の心は傷ついているのかもしれない。

案外泣き虫な彼女は、ひとりでに悩み泣いたのかもしれない。


けれど、めげずにハインズと向き合おうとしてくれている。

その事実がバロンにとっては何とも嬉しかった。


だから、そんなことで良ければいくらでも力になりたいた思った。



けれどその一方で、普段誰かに厳しく当たることも、何かを言うことさえもしないハインズが、どうしてレイアにはそんな言動をとったのだろうと疑問に思った。


食事は出されたものを食べ、文句も注文もしない。騎士団の団長としてひたむきに体を鍛え、人に干渉せず、淡々と侯爵としての仕事をこなす。


私欲や感情の一切を見せない彼が、なぜレイアにだけ反応を示すのか不思議だった。


「老いぼれは実に心がかりですな…。」


レイアが去った執事長室で、レイアのこともハインズのことも心配なバロンの口から、(うれ)い が(こぼ)れた。





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