近づきたい
使用人は基本的に早番・遅番とシフト制で個別に業務が割り振られていたが、仕事に慣れるまではエリーと共に2人で1つの業務に当たらせてもらっていた。
働き始めて最初の2週間は毎日覚えることが多く、頭の中は常にぐるぐるとフル稼働していたため、本当に一瞬で過ぎていったように感じる。
早朝に起床してから夜まで、掃除や洗濯・食事の配膳、館内の人に届け物をすること等、日によって変わる業務を都度こなしていく毎日だった。
けれども、日々訪れる初めての経験は、思うように出来なくて悔しいと感じることもあったが、動いていることが好きなレイアは業務にとてもやりがいを感じていた。
早く仕事に慣れるために、バロンに“暫く休日は無しで働かせて下さい“と何度か頼み込んだほどに楽しんでいたようだ。
庶民故にマナーや作法を知らないレイアは何度も失敗を繰り返しながら、時には空き時間で図書室で本を読み漁りながら、知識と経験を粛々と積み重ねていた。
ーー
そんなこんなで、目の前のことに全力を尽くしていると、あっという間に約1ヶ月が経っていた。
初めの数週間で、エリーには付きっきりで掃除の仕方や礼儀作法・ルール等を叩き込んでもらったため、今では1人で仕事を任されることがほとんどとなっている。
薬屋で働いていた時、話し相手はゼリスと家畜たちしか居なかったのだが、今は屋敷の様々な者たちと関わることができるので日々とても楽しい。
どの使用人もレイアに優しくしてくれ、困った時は助けてくれる。
休憩時間や食事の時に何気ない世間話をする時間も好きだった。
そんな暖かい人たちに囲まれて、自分はとても恵まれた環境で働かせてもらっていると心底思う。
その上、自分はかなり引っ込み思案だと思っていたのだが、思いのほか人と話すのが好きなんだとも気づくことできた。
使用人とは良好な人間関係を築くことができているのだが、主人であるハインズとの距離は縮まらない。
というかむしろ気に入られていないとさえ思う。
特に話した記憶も無ければ、目を合わせた記憶もない。
そもそも、今のところハインズと直接関わる仕事はレイアには1つも任されていなかった。
侯爵家へ来た時に失礼な態度をとってしまったから、嫌われてしまったのだろうか。
顔も見たくないから近づけるなと注文されてしまったのだろうか。
長年使えて来た者しか置かないような屋敷に、どこの馬の骨とも分からないような田舎娘がやって来たら疑うに決まっているし、ましてや失礼極まりない小娘なんて論外だ。
クビにならなかったことが唯一の慈悲なのだろうか。
だからこの状況を仕方のないことだと思いつつも、名誉挽回していつか認めてもらえるようにならなくては…という思いを抱いてレイアは日々邁進していた。
ーーー
レイアが想像していたよりもハインズは随分と若い人だった。
侯爵の位を継いでいる方なので中年くらいの人物を想像していたのだが、実際はレイアより少し年上くらいの青年というような見た目をしている若者だった。
青い瞳が特徴的だが、透き通るような銀髪・すらっとした長身・色白の肌に左右対称の整った顔立ちも異彩を放つ程特徴的で、こんなに美しい人がいるんだと時折遠くに見かけるハインズを見てレイアは感心していた。
巷の少女や令嬢が彼を慕う理由がなんとなく分かったような気がする。
バロンから聞いた情報によると、先代のデクスター侯爵、つまりハインズの両親は既に亡くなってしまっているため、ひとり息子であるハインズが後を継いだ形だそうだ。
また、彼は国王軍第二魔術騎士団の団長を本職とする騎士であるため、侯爵と騎士団団長という2つの肩書きを持っていた。
デクスター家が国王軍第二魔術騎士団を預かっているのは長年続く伝統だからだそうで、随分と昔に当時の国王とデクスター侯爵が親友であった代に決められたまま、現在までの何十年と続いているらしい。
バロンの口からハインズの両親がいつ亡くなってしまったのかや理由について触れられる事は無かったため、深入りはしない方がいいのだろうとレイアは察した。
けれど、レイアが見かけてきたハインズは、わざと1人になろうとしているように見えてしまうため、どうしても気になって仕方がなかった。
人と関わることが好きではないのだろうか。
だから誰とも話したくないのだろうか。
でもそれでは、なんだか寂しい気がする。
深入りするのは良くないと分かってはいるけれど、そんなことをどうしても考えてしまう。
1人は、悲しいし
孤独は、苦しい。
レイアはそれを知っている。
本人がそれを望んでいるのなら、このままで良いのかもしれない。
けれど、腐っても同じ人間だ。
ハインズにだって悲しい、苦しい、楽しい、嬉しい、と感情があるはずだ。
ーーなんて、図々しくも考えてしまう。
ある日突然独りになったレイアにはゼリスがいてくれたように、“私はあなたの味方“だとハインズにも感じてほしいと思いはじめてしまったら、とりあえずまずはこちらから話しかけてみる他ないと思い至った。
少し前のレイアなら、迷惑になりそうだと、関係のない自分が立ち入ることではないと一歩引いた対応をしただろう。
しかし、この数週間で彼女は他の従業員と日々話すようになり、その度暖かく受け入れられることで、“人と関わること“への耐性がつきはじめていた。
だからこそ芽生えた前進的な思考だった。
何も持たない自分を受け入れてくれて、日々笑い合ってくれる仲間がいることが、こんなにも嬉しくて満たされる気持ちになるなんて知らなかった。
だからその気持ちをハインズにも届けたいと思ってしまった故の考えだった。
そして、ふと思い出す。
『迷惑かどうか決めるのは、自分ではなくて相手なんです。私は迷惑だと感じていません。なので、レイアさんは謝る必要はないんですよ。』
レイアが侍女になりたての頃、失敗が重なって何度も頭を下げて謝って、落ち込んでいた時にバロンがかけてくれた言葉だ。
(迷惑かを決めるのは私じゃない…。そうね、ありがた迷惑だったら、…潔く怒られましょう。)
休憩室で決意を新たにしたレイアであった。
ーー
レイアが休憩室に向かおうと廊下を歩いていると、背後から追いかけて来たバロンに呼び止められた。
「レイアさん!休憩に入るところで申し訳ないのですが、たった今急用ができてしまったため、ハインズ様に紅茶をお届けする仕事を代わっていただけないでしょうか?」
バロンは小走りでレイアの元へ駆け寄って来たため、少々息を荒げながらそう言った。
レイアは仕事を早く覚えるために他の従業員やバロン仕事をよく観察していたので“紅茶のお届け”という言葉を聞いただけで、“いつも15時に執務室に届けている紅茶だ“と理解した。
ハインズと何か接点を作れないかと考えていた矢先に巡ってきた出来事だったので、レイアはバロンからの依頼を快く引き受けた。
「はい!もちろんです!」
「よかったです、ありがとうございます。」
バロンはニコリと微笑んで、ポケットから取り出したメモ帳に手順を書き記し、“休憩は後ほどしっかり取ってくださいね”と言いながらレイアに手渡した。
レイアはそのメモを持って、厨房へ向かった。
ーー
(余計なお節介かもしれないけど、働き過ぎは心配だな。)
と、レイアは給湯室で湯を沸かしながら、ぼけっーと考えていた。
思い返せば、ハインズは時に王城へ出向いたり、騎士団舎へ出向いたり、執務室で執務をこなしたり、休日は存在しているのだろうかと疑問に思うくらい働いている印象がある。
どんな人なのだろう、何が好きなんだろう、どうしたらお話できるだろう。
そんなことを想像しつつ、ふと時計を見た。
「あ、そろそろ行かなくちゃね。」
バロンと別れてから厨房へ向かい、そこでお茶菓子を受け取った後、給湯室でティーセットを準備して執務室へ向かった。
(青い瞳ってどんな魔術が使えるのかしら。)
緊張と好奇心を抱えながら、そんな考え事をしてワゴンを押し歩いていると、いつの間にか執務室の前まで到着していた。
「ふぅ。」
扉の前で一旦立ち止まり、緊張や不安な気持ちを整えるために、ひとつの深呼吸してからドアをノックした。
緊張が滲み出て、ノック音が震えていないか心配だ。
「失礼致します。紅茶をお届けに参りました。」
「…入れ」
小さくて冷たい抑揚のない一声。
聞こえた声がバロンの声ではないことに違和感を持ったのか、一拍の間があった。
その歓迎されていないような声を確認すると、レイアはティーワゴンを押して室内に入った。
そして主人の方を見上げると、ハインズはレイアのことを見ていた。
その表情は無表情と大きくは変わらないものの、『なぜお前なんだ?』と嫌悪感が滲んでいるように感じられた。
なので目が合った瞬間、謎の緊張を察したレイアは逃げるように視線を逸らし、頭を下げてしまった。
「…ほ、本日はバロンさんが急用でお忙しいため、代わりにお届けに参りました。」
震えそうになる声を懸命に繕ってレイアが事情を述べても、返事は返ってこなかった。
けれど、どうしても伝えたいことがあったレイアは少し空気を多めに吸って、強張る喉元から続けて声を絞り出した。
「あの、初めてご挨拶させていただいた際に、失礼な態度をとってしまって申し訳ありませんでした。」
約1ヶ月越しになってしまったが、会って話ができる機会が訪れたら、初対面で涙を流して傷つけてしまったことを絶対に謝罪したいとずっと思っていた。
だが、レイアが謝罪を述べても、一向に返事は聞こえてこなかった。
おずおずと顔を上げてハインズの方を見上げてみると、彼は書類に目を向けて何事もないように、そこに誰も居ないかのように仕事を続けたままだった。
その様子を見て、レイアはまるで自分が空気になってしまったような一抹の寂しさを感じた。
まだ怒っているかな、もう許してもらえないのかな、どうしたらいいのかな…
様々な不安が頭の中を駆け巡った。
だけど、今はそんなことを考えてる時間じゃない。
(歓迎されないことは想定してたことじゃない。今はやるべきことをやらなくては。)
レイアは折れそうになる心を叱咤し、とにかく任された仕事を完遂しようとワゴンを押して主人の近くまで行き、ゆっくりとカップに紅茶を注いでいった。
しんと静まった空間には、紅茶がコポコポと注がれる音が響いている。
その音は、レイアが主人の禁断の領域に踏み入って、静寂を邪魔してしまっているような罪悪感を引き立てた。
けれど、給湯室から執務室に来る間にポットの中で蒸らされた紅茶の良い香りがふわっと広がると、なんだか少し心が和らぐ気がした。
執務机の端にカップをそっと置き、その横にお茶菓子を添える。
その際、日替わりのお茶菓子はどんなものか軽く説明するようにとメモに記されていた為、忘れずに説明を付け加える。
「こちらは本日料理長がお作りになったフィナンシェになります。ぜひご賞味くださいませ。」
説明をしても主人はこちらを見ようともしないし、レイアがまるでその場に居ないかのように仕事を続けたままだった。
歓迎されないだろうと元々予想はいていたが、ここまであからさまに態度に示されてしまうとさすがにこたえる。
これ以上この場に居られる気がしないし、ハインズにとってもこの場に居て欲しくないのだろうと思い、レイアが退出しようと扉の方を向きかけた、その時。
「見知らぬ者の注いだ茶など飲まない。」
抑揚のない声で、ハインズがそう呟いた。
その言葉がレイアの耳に届いた時、背筋が凍るように身体が硬直し、心臓を剣で突き刺されたような衝撃が走った。
(見知らぬ者……。)
その時、レイアは侍女として見られていなかったのだと自覚した。
挨拶に訪れた初日のことさえ、ハインズの記憶から抹消されているようだということも。
いきなり差し向けられた冷血な言葉によって固まってしまった自分の頭を必死に動かして、今侍女として言うべき言葉を懸命に探した。
働かない思考の中で必死に捻り出した答えは、即座に謝罪することだった。
「…申し訳ありません。あの、では、他の方に頼んで、再度新しいものをお持ち…」
「必要ない。出ていけ。」
淡白でひどく重みのある声音でレイアの言葉も遮られ、紅茶さえも拒まれた。
「…はい。…かしこまりました。」
喉の奥に詰まった声をなんとか引き出して、机に出したお茶菓子と紅茶をワゴンに戻し、レイアは逃げるように執務室を出た。
廊下に出た瞬間、すぐに歩み出すことができないほどに身体が重く、全身に喪失感が巡っていた。
嫌われてるんじゃないかと分かっていたし、好意的には接してくれないだろうと予想はしてたことだけれど、もしかしたらと僅かな望みを捨てきれていなかった。
淹れた紅茶を美味しいと思ってもらえるといいな、今日をきっかけに少しずつでも距離が縮まっていくかもしれない。いずれ何か頼まれるくらいに信頼してもらえる日が訪れるかな。
じゃあまずは何て話しかけて見たらいいかな、と。
しかしそれはただの浮ついた妄想に過ぎなかったと、低く鋭い声音に突き刺された心の傷が物語っていた。
(あぁ、久しぶりの感覚だ。)
嫌悪されること、仲間はずれにされること、拒絶されること、存在を認知されないこと。
そんな対応をされるたび、心は寂しく縮み、頭の中は空っぽになったような悲壮感に包まれる。
欲を欠くことなく、期待せず、自分はどうでもいいと思っていた方が、傷つく時のダメージが少ないって分かってたから、今までそうして来たはずなのに。
自分を高く見積もっているから、期待しているからこうなるんだって分かっていたはずなのに。
日々仕事仲間の温かい優しさに溢れた環境のおかげで、そんな自分ルールを忘れて、いつからか調子に乗っていたんだと気付かされた。
自分なら力になれるんじゃないかと、傲慢にも思ってしまったが故の結末だ。
貴方の味方なんだと分かってほしいなんて、単なる自己満足だ。
相手は味方なんか欲していないかもしれないのに。
これは全部、土足で踏み込んだ自分のせい。
傷心と後悔と冷めた紅茶を抱えたまま、レイアは執務室から遠ざかった。
評価してくださった方、覗いてくださった方、ありがとうございます。
自分の描く物語を読んでいただけるって、こんなに嬉しいことなんですね…ホロリ
まだまだ序盤ですので、気長にお付き合いいただけたらと思います。
よろしくお願いいたします。