悪夢は現実
初めまして、日々野です。
閲覧いただきありがとうございます!
東の空が燃えている。
日は沈んだ後なのに、なぜあそこだけ明るいのだろうか。
眩しい夕焼けであってほしい。
しかしその願望を打ち消すように、灰色の煙は星空を濁していく。
何が起きているのか頭では理解している。
でもその理解は間違っていてほしいから、思考を止めようとする自分と、最悪の場合を思い浮かべる自分に追い詰められる。
あちらの方向に家は一つしか無い。
きっとじゃなくて絶対に、私の家が燃えている。
駆け出したいのに、全身が震えて動けない。
なのに鼓動は早くなるばかりで、呼吸が整えられず苦しくなる。
「レイア!ダメじゃ!帰るな!!」
背後からゼリスの声に突き抜かれ、我に返った。
ゼリスは駆け寄って来てレイアの両肩を掴み、瞳を見つめてゆっくりと言った。
「よく聞くんじゃ、レイアの家のある方角で火事が起きている。今帰ったらレイアも巻き込まれてしまう危険がある。だから今は帰ってはダメじゃ。」
ゼリスが自分自身とレイアを落ち着かせるように言った。
その意見は正しいのかもしれないけれど、簡単に頷けるような状況じゃない。
だから、簡単に受け入れたくなかった。
「でも…おうちには、お、お母様が…お父様も…」
今すぐ家族を助けに行きたいと、無事であることを確認しに行きたいと言いたかった。
なのにまだ震えが止まらなくて、口は思うように動いてくれない。
「心配なのはよく分かる。でも今は家族の無事を祈ってここに留まるんじゃ。落ち着いた頃に、わしが様子を見に行ってくるから。な…?」
私の肩を抱えるゼリスの手に少し力が入る。
その手からは少しの震えが伝わってきた。
ゼリスの顔を見上げると、彼は悲しみと悔しさを懸命に隠すように取り繕った表情をしていた。
彼も自分と同じくらい不安を抱えているのに、その恐怖を押し隠して私を安心させようとしてくれているのだと理解すると、私も諦めなくてはならない気がした。
「わかった……。」
分かりたく無いけれど、私はそう言うしかなかった。
ーー
「……はっ!!……はぁ……はぁ……。」
脳への酸素が足りていないような息苦しさとともに目が覚めた。
視界に広がる自室の天井を暫く見つめて、夢を見ていたのだと気づいた。
夢といっても、16年前の実体験だ。
「またか……。」
人生で1番思い出したくない瞬間の記憶を、鮮明な夢として見ることが時々ある。
忘れることは許さないと追い討ちをかけるように定期的に出現するこの記憶は、偶然一人生き残ってしまった自分への罪悪感を増幅させる。
(ごめんなさい……。お母様たちは私を憎んでいるのよね。)
自分は死者の怨霊に呪われているのだと思う。
“生きたかったのに、なぜお前だけ生きているのか“
“そもそも生まれるべきではないお前が死ねばよかったのに“
そんな声が聞こえてくる時もある。
暫く固まったまま昔の記憶を遡っている途中で、もう何も考えたくなくなって無理やりに呟いてみる。
「疲れのせいかな。……そうよ、疲れてたのよ、私。」
この夢を見た時は、疲れていたのだと割り切ることで無理やり思考を停止させることにしている。
そうしないと、連鎖的に余計なことまで考えてしまって、立ち直れなくなるところまで行ってしまいそうだから。
わざと呟いた言葉が静寂の室内を浮遊して、自分の耳に入ってきた。
すると何気なく、ここ最近睡眠時間が短かったことを思い出した。
日中は家事やゼリスの手伝い、就寝前は趣味の薬の研究。寝る間も惜しんで常に何か動いていたことに改めて気づく。
(確かに最近働き通しだったかもしれない……。)
最近の出来事を思い返しながら、そろそろ動き出そうと枕元の時計をチラリと見た。
「…っえ。嘘……!!」
時刻は午前9時半過ぎ。
毎日太陽が昇る前に起床しているレイアにとっては冷汗をかくほどの大寝坊だ。
そういえば昨夜、ベッドで横になって本を読んで時に寝落ちしてしまったようで、目覚まし時計をセットし損ねてしまった。
しかも今日は喫茶店の営業日なのでお店に立たなければいけないのに、時間は開店時刻から2時間ほど経っている。
(大遅刻だわ!!)
言い訳を考える暇もなく大急ぎで服を着替え、部屋を飛び出す。
洗面所で顔を洗い、長い樺茶色の髪を適当に一つで纏めて、大雑把に淡い色のリップをひと塗りした。
<ドンドンドンドン!!>
慌ただしい音を立てながら小走りで階段を駆け降りて、自宅一階の製薬工房に向かう。
そして小走りの勢いのまま工房に踏み入り、入ったと同時に急いで謝った。
「遅れてごめんなさ…」
と、言いかけたが工房にゼリスの姿はなかった。
ここにいないということは自分の代わりに店頭に出ているのかもしれないと思い、店のカウンターの方へ回ってみることにした。
ーー
工房から店の方へ近づくにつれ、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「それでね、彼ったら私との約束忘れてたんですよ?まずそこ、ひどくないですか?でも、時間がちょっと過ぎても寝坊くらい笑顔で許してあげれば、器の広い優女に見られるかな〜なんて考えて部屋まで迎えに行ったら、まさかまさか別の女と居たんですよ?!信じられます?!浮気されてたんですよ私!!!」
「ほっほっほっ。それは災難じゃったなぁ〜」
コルネールとゼリスの会話だ。
ゼリスさんのこの相槌の打ち方は雰囲気的に、聞いてるようで実は3分の1くらいしか聞いてないんだろうな、
コルネールのマシンガントークは最初と最後だけ聞いてれば話は大体理解できるからな、
なんて呑気なこと考えつつ、レイアはおそるおそる暖簾から顔を出してみた。
するとこちらを向いて喋り続けていたコルネールと目が合った。
「あら!おはよう、というか、“おそよう“かしら?」
「うっ…ごめんなさい。」
彼女がニヤニヤしながら悪態をついてきたが返す言葉も見つからず、レイアは素直に謝るしかなかった。
「あの、ゼリスさん、開店準備手伝えなくて本当にすみません。」
申し訳ない気持ちでいっぱいのレイアは、縮こまったように頭を下げたが、ゼリスから返ってきたのはいつも通りの穏やかな声色だった。
「良いんじゃよ。よく寝られたかい?最近ずっと働き通しのようだったから、そろそろゆっくり休んでほしいと思っておったところだからのぅ。今日は休みでいいくらいじゃ。」
そう言ってくれた白髪で少々腰の曲がった老人“ゼリス・オルゼット“はレイアの養父である。
彼は薬学研究会では割と有名な薬師であり、今は亡きレイアの実父エルウィンの恩師でもあった。
その繋がりから、レイアは幼い頃にゼリスの家に度々遊びに来ては薬学を学び、薬作りの手伝いをしていた。
ゼリスの家に訪れていたある日に、レイアの実家は不慮の火事に見舞われてしまい、彼女は突如家族を失った。
独りぼっちになってしまったレイアを引き取り、養子として育ててくれたのが彼だ。
そしてこの店は週末のみ営業する漢方茶を主に扱う喫茶店であり、薬研究と紅茶が好きなゼリスが自宅の一階を改造して趣味として始めた。
ゼリスが作る漢方がブレンドされた紅茶は、美味かつ身体に良い効能を含んでいる。
人里から少々離れた森の奥にあるこの店に訪れる人はそう多くはなく、常連客や噂を聞きつけてやって来る人が少々いる程度だが、こののんびり具合が老人のゼリスには趣味としてちょうど良いらしい。
家業は薬屋であるため店でも薬を販売しているが、多くは王都にある薬屋や小売店に卸しており、そこでの売上が主な収入となっている。
オルゼット家は裕福ではないが貧乏で困っているわけでもない、ごく普通の庶民家庭であった。
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まだまだ続きますので、これからもお楽しみいただけたらと思います!