7:まずは腹ごしらえをしよう
魔法騎士団。正式名称「アルトレッド王国 王国騎士軍 魔法騎士団」。
厳しい選考基準と入団試験を突破した精鋭中の精鋭が集まるここ、魔法騎士団には演習場などを兼ね揃えた宿舎がある。
その一室で、私の目の前に立つ青年──ギルバート様は至極和やかな表情で問いかける。
「よく眠れたようだな」
「…………はい、それはもうぐっすりと」
昨日、睡眠不足と疲労で眠ってしまった私は、お日様がかなり高いところまで昇ってから目を覚ました。机の上に置かれていた時計は、長針も短針も12時を過ぎている。
夕飯どころか朝食の時間を過ぎるまで一度も目覚めることなく眠っていたようだ。
「お約束の時間をすっぽかしてしまいましたね…すみません」
「いや、謝る必要はない。疲れていたなら休養する方が大切だと判断したまでだからな」
「それは…、お気遣い頂きありがとうございます」
少なくとも一度は様子を見に来てくれたのだろう。自分で被った覚えのない毛布が掛けられていたのは、この人のおかげだったのか。
再度お礼を告げギルバート様を見上げると、彼は何も言わずただこちらを見つめているだけだった。
「………?、どうされましたか」
じぃっと顔を見つめてきたと思えばギルバート様は騎士団の制服の一部であろう白手袋を外し、そのすべらかな指で、私の唇に触れてきた。頬を包み込むような位置に彼の右手が置かれ、その指が時々耳を掠めるものだからくすぐったくて仕方ない。なぜ急にこんなことをしてくるのか、そう言わずにはいられない私の心情を無視して、ギルバート様は何かを確かめるように下唇をふにふにと弄び、触れていた親指を見て一言呟いた。
「紅を付けているわけではないんだな」
「は?」
何を言われるのかと思ったら、これである。
彼曰く、初見(※男装時のこと)ではもっと薄い色だったのに化粧を取った後の方が赤味が増していたから気になっていた、という。
だからと言って実際に唇に触って確かめるのはどうかと思うが。聞けば済むことだろうに…。
「…化粧で唇の色も薄くしてたんです」
「あぁ、そうみたいだな」
何ともなしにそう呟いて、またこちらを観察してくるから居心地が悪い。
寝ぐせとか付いてないといいなぁ…と手櫛で整えていたら、ギルバート様は優しい手つきで私の髪をまとめ、いつの間にか手に持っていた髪紐で結ってくれた。手慣れているのはいつも自分で結っているからだろうか。今日も綺麗な銀髪は首の後ろで一括りにされている。
「とりあえず、移動するぞ」
「どこにですか?」
「お前の部屋だ」
今いる部屋は私の部屋ではなかったのか。
「こっちだ」
「え、でも昨日の部屋は、」
私の部屋ではないのか、と続けようとしたのに彼はずんずん歩みを進めていく。強引と言うかマイペース過ぎやしないか。
「昨日の部屋は急ごしらえだと言っただろう」
そうして案内されたのは、私が昨日使わせていただいた部屋から少し歩いたところにある、突き当りの隣の部屋だった。
新しく用意してくれたらしい部屋は、昨日の部屋より幾分広くて、内装も落ち着いた雰囲気の部屋だった。
デスクの上には新しいワイシャツとスラックスが置かれていて、まずはそれに着替えることにした。
昨日は着替えもせずに眠ったから、服の皺とかが凄いことになっている。
ついでに顔も洗いたいな~、とやんわり伝えてみたらなんと魔法でちゃちゃっと綺麗にしてくれた。改めて魔法は便利だなぁ…としみじみ考えながらこの後の予定を聞こうとした時、私のお腹が情けない音を鳴らした。
「………先に食事にするか」
「…、はい」
案内された先はギルバート様の執務室…副団長室だった。
騎士団長室と同じような部屋の作りだが、こっちの方がもっとシンプルな内装だ。
ちなみに、昨日は聖女召喚の儀で執務棟の人は皆忙しくしていたため、騎士団長室に連行される間誰ともすれ違うことは無かった。今日もあまり人はいないみたいだが。
今は、ギルバート様に渡されたフード付きのマントを頭からすっぽり被っている。
この髪色は、やはり隠す方向で行くみたいだ。(これは余談だが、私の被っていたウィッグはヘアメイク担当の演劇部員が違和感がないようにセットしてくれたので、私だけでは着用することができないのだ。)
ところで、魔法騎士団宿舎には食堂が隣接されている。ほとんどの騎士はそっちで食事を済ませるみたいだが、普段から忙しいギルバート様は副団長室に運んでもらって済ませることが多いらしい。
そんなわけで、今、机の上には2人分の食事が置かれている。
今日のメニューは鶏のクリームシチューにロールパン、野菜スープ、魚介のマリネ、サラダ……他にも数種類おかずが置かれ……デザートまでついている。
……ちょっと量多いかも。
一人前でこの量なのか、そう思いちらりとギルバート様の前に置かれている皿の中を覗くと私よりも多く盛り付けられていた。推定1.5倍。
ギルバート様はさすが騎士とでも言うべきか。私よりも多く盛り付けられたごはんが見る見るうちになくなっていく。
「いただきます」
まずはシチューから、冷めないうちに頂こうじゃないか。
「………!!」
めちゃくちゃ美味しい!
野菜がごろごろ入ったシチューは食べ応えがあっていい。お肉も野菜も口の中でホロホロと崩れていく。魚介のマリネはレモンっぽい爽やかな酸味がさっぱりして美味しい。野菜スープはキャベツとかにんじんとかが入ったこれまた具沢山のスープで、シンプルな味付けだけどそれが野菜の旨味や甘味を引き出していて美味しい。
「ごちそうさまでした」
やはり量は多めだったが、ほぼ丸一日何も食べていない状態だったからか完食することができた。お腹が満たされたところで、食後の紅茶を嗜んでいたギルバート様がおもむろに口を開いた。
「食前と食後の文言は何だ?」
食前と食後の……もしかして”いただきます”と”ごちそうさま”のことだろうか。
そういえば、これは日本でしか言わないのだったか。
「私の国の、特有の文化、ですかね…?」
似たような意味合いの言葉は他の国にもあると聞いたことがあるが、日本と同じニュアンスで使っている国は無かったと記憶している。
「先ほどの言葉にはどういった意味があるんだ?」
「えっと…」
いただきます、には「命を頂く」という意味があり、ごちそうさまでした、には「食事を用意してくれた人への感謝」が含まれていた、はず。
肉や魚はもちろん、野菜やお米も含めて全ての食べ物には命がある、そして私達はその命を頂いて自身の糧にして生きているという考えから生まれた言葉だ。
それを教えるとギルバート様は私の分の紅茶を淹れながら、柔らかな表情で言葉を紡ぐ。
「素敵な文化だな」
「…はい、私もそう思います」
ギルバート様から向けられた視線が優しくて、自分自身が褒められたみたいで、胸の辺りがじんわりと温かくなったような気がした。