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18:この世界で、たった一人の親友だから

お待たせいたしました。


この国に召喚されてから、早いもので3か月が過ぎようとしていた。初めて買い物に行ったあの日から、私の日常は大きく変化していない。しいて言うならば、日々の清掃に加えて書類の選別が加わったくらいか。ギルバート様の処理する大量の書類をある程度の種類別に分けるだけの簡単な作業だ。

最初ここに来たときは新しい環境に馴染めるか不安があった。それでもやはり、3か月もここで過ごしていれば愛着のようなものは湧くし、なにより慣れる。たとえ主食が米じゃなくても、時計が部屋になくても、魔法があって魔物が居る世界だとしても。

ただ一つを除いて。


「………」


窓の向こうには木々にとまった色鮮やかな小鳥が見える。ミモザ色をした、ひよこみたいな可愛い小鳥だった。彼女の好きな明るい黄色の鳥を眺めていると、あの日最後に聞いた私を呼ぶ声を思い出すのだ。そして、喉の奥から叫びたくなる衝動に駆られる。


絵里奈に会わせてくれ、と。

たった一人の、親友なんだ、と。


──私はこの三か月、一度も絵里奈に会えていない。





とある日の事。

ギルバート様の執務室に向かう途中で不穏な話を耳にした私は、部屋に入るなりギルバート様を問い詰めた。


「…毒盛られたってどういうことですか」


身の内からぐらぐらと湯立つような激情に目の前が染まっていく。執務室で仕事をしていたらしい騎士たちは私の尋常じゃない雰囲気に充てられてか、サッと表情を変え、そろりと壁際によって気配を薄くしたようだった。そんなことをしても部屋の中に居る事実は変わらないというのに。一瞥するだけに留めて、私はギルバート様に向き直った。

私の問いかけに、彼は眉間に緩く皺を寄せた表情で低く呟いた。


「ツバキ、まずはその殺気を抑えろ」

「……憤りは感じてますが殺気なんて今まで出したことも無いのに仕舞い方なんて分かりません」


一つため息をついたギルバート様は私の手を取ってソファーまで導くと、近くに置いてあったワゴンからティーセットを取り出してお茶を淹れ始めた。カップに注がれた紅茶は湯気がたっていなくて、この人の魔法で適温まで下げられていることが見て取れた。

深呼吸をいくつかして、目の前に差し出された温い紅茶を一気に半分くらい飲み込んだ。いつもなら、穏やかな紅茶の香りを楽しみながらゆっくりと飲むのだけれど、今の私にそんな余裕はない。

それでも、じんわりと温かくなった胃袋に気分がいくらかは落ち着いたようで、ふぅ…と一息ついて隣に腰掛ける存在に再度問う。


「なんで、絵里奈が毒盛られてるんですか。この国の聖女様なんでしょう?」


『聖女様』と言うのは、国が危機に陥った際に現れる聖なる力を秘めた女性のことだ。魔物という危機に瀕しているこの国において、その身に宿る力を使い魔物を退ける聖女という存在は、その国を救う…救国の戦士でもある。これまでのこの世界の歴史において、聖女が不在のために滅んでしまった国は少なくない。

それゆえ絵里奈は、国王に次ぐ尊い存在だとされる『聖女様』と呼ばれているのだ。

この世界での基礎的な教養と魔法の訓練のために今は王宮で暮らしているが、王宮なんて国の中枢を担う人たちが集まるところなんだからそもそも毒の持ち込みも厳しく取り締まられているはずなのに、なぜこんなことが起こるのか。絵里奈のもとには常に第一王子か絵里奈専属の護衛騎士が居るはずなのに、なぜ。

…いや、それよりもまず、私は彼に聞かなければならないことがある。


「……なんで、教えてくれなかったんですか」


噂話を聞く限りでは、絵里奈が毒を盛られたというのは一週間以上も前の話のようだった。 

さっき質問した時の雰囲気からして、ギルバート様は知っていたのだろう。わざと、私に知られないようにしていたとしか考えられない。


「絵里奈は、この世界でたった一人の、私の親友なんです。…もう戻れない故郷を語り合える、唯一の」


小さく呟いた言葉は思った以上に切ない響きをしていて、自分でも驚いた。

たった3か月、顔を合わせていないだけだというのに、相当弱ってしまっている。


「聖女エリナ殿から口止めされていた。お前に心配をかけたくないから、と」

「そんなの……、後から知る方が、よっぽど質が悪い…」


椅子に座ったまま項垂れていると、そっと頭の上に温かくて大きな掌が乗った。ゆったりと撫でていくその手は私を慰めているみたいで、ささくれ立った気持ちが不思議と凪いでいくようだった。


「今、絵里奈の状態はどんな感じなんですか」

「解毒は既に完了していて、まだ少し体調は優れないようだが快復に向かっているそうだ」


今もまだ毒で苦しんでいるわけではないのか、それはよかった。と、思うべきなのか、解毒が済んでもなお体調不良は続いているということを深く受け止めた方がいいのか。

何度目かのため息をつきソファーに座りなおすと、ギルバート様は空になったカップを私の手の中から抜き取って新しく熱い紅茶を注いだ。テーブルに置かれたほかほかの湯気が立つティーカップを眺めながら、用意されていた茶菓子を口に運ぶ。マカダミアナッツに似た木の実が練りこまれたバタークッキーはサクサクした食感で、口の中に香ばしい風味が広がった。




「第一王子殿下に婚約者がいることは知っているか?」

「…はっきりと聞いたわけじゃないですけど、居るだろうなとは思ってました」


ファンタジー物の小説でも王族には婚約者がいるのがセオリーだったから。しかも一国の第一王子なんだし、そりゃあ居るだろう。


ギルバート様の話を簡単にまとめると。

第一王子殿下は婚約者のご令嬢と婚約破棄をして絵里奈を正妃にしたいらしく、その話をされた絵里奈は真っ向から拒否したそうな。しかし、それを照れ隠しと解釈した殿下はめげずに猛アピール。

実は絵里奈と婚約者のご令嬢の仲はそこまで悪くなく、むしろお互い苦労するね、みたいな一種の連帯感が生まれつつあるらしい。戦友のようなものだろうか。


問題は、ご令嬢を敵対視している連中だ。

この連中は、第一王子殿下の婚約者候補だったらしく、ご令嬢が婚約者に確定してからもその座を虎視眈々と狙っていたようだ。そしてぽっと出の絵里奈に自分たちの立場(そんなものもとより無いのだが…)が脅かされそうということで、細々とした嫌がらせを仕掛けていたのだという。


ある日、絵里奈とご令嬢の二人のティータイムに殿下が割り込んできたことがあった。婚約者との定期的なお茶会はすっぽかすのに、絵里奈が居るからという理由で無理矢理参加してきたのだという。

ご令嬢が絵里奈との親睦をより深めるためにセットされたお茶会だったが、殿下の乱入により急遽中止に。後日また改めて、と絵里奈はご令嬢と約束したが、一連の騒ぎを知った連中が我慢ならん、とばかりに絵里奈だけを呼び出し、毒を盛った紅茶を飲ませた……これが事件の顛末である。

犯人曰く、「絵里奈だけ殿下の寵愛を受けるのは不公平だ」らしい。


ここまでの話を聞いて私は特大のため息をついた。


「つまりなんですか、くだらない争いに絵里奈は巻き込まれたって訳ですか?」

「簡単に言えばそうなる。犯人が言うには、少し脅かそうとしただけであって命を奪うほどの毒性はないものを使ったとのことだ」

「…そんなの結果論じゃないですか」


命を奪うほどの毒性はない、だって?笑わせてくれるな。


「絵里奈はこの国の出身じゃない。もっと言えばこの世界で生まれた人じゃない。この世界の人にはそれほど効かない毒でも、絵里奈には覿面に効いてしまう可能性だって有り得た。たまたま同じような効果しか出なかっただけで、もしかしたら即死級の効果が出る可能性だってあった」


そもそも、私達がこの世界で生きていることを当たり前だと思わないでほしい。空気の組成か何かがたまたま地球と同じか似ていただけで、もしかしたらこの国に召喚された時点で窒息死とかも有り得たのではないかと今では思う。奇跡的に無事だっただけじゃないのか、と。もしくは身体が作り替えられているのか…まぁ、そこらへんはよく分からないが。

色んな小説を読んで知った気になっていたけど、実際自分が当事者になってみれば色々考えてしまって、正直なところ怖かった。魔法なんてものが普通に生活に組み込まれているし、果物も野菜も元の世界とはちょっと違う。それは形だったり色だったり大きさだったり色々だけれど、中身が同じだという保証はどこにもないのだ。


「全くもってその通りだな」


ギルバート様はそう言って、壁側に控えていた騎士に追加の菓子を持ってくるように頼んでいた。既に時刻は執務室での仕事を終えて訓練場に向かっている時間なのだが、いいのだろうか?ちらりと横目で見てみても彼の表情は常と変わらず、睫毛の影が頬に落ちるほど長いんだな、ということしか分からなかった。


「犯人からは、エリナ殿自ら殿下の婚約者になりたいとの申し出があったため、こちらも躍起になってしまっただのと申し開きがあったそうだが…」

「ありえませんね。絵里奈があの王子様と結婚したいなんて思うわけがないのに」

「そうなのか?」

「生まれてからずっと、絵里奈と一緒に過ごしてきたんですよ?絵里奈の好みくらい知ってます」


そう答えながら絵里奈の歴代彼氏を思い出す。

髭が似合うダンディなイケオジに、スーツが似合う紳士的なオジサマ、ほんわかした癒し系のおじetc………

……うん、人の趣味にとやかく言いたくはないけど、言わせてほしい。

ちょっと、歳上過ぎじゃないか?

ちなみに絵里奈が言うには、最低でも20歳くらいは年上の人が良いとのこと。それ以外は論外だとも言っていたっけか。

でもこれで分かると思う。絶対に第一王子殿下は選ばれない。だってあの人、私達と同じくらいの年齢だろうし。それだけで絵里奈の好みからは大きくかけ離れている。

厄介ごとに巻き込まれてしまって、絵里奈は大丈夫なんだろうか。…あぁ、会いたいな。会って顔を見て話をして、無事だと確認したい。


「あの、絵里奈に会うことは出来ないんですか…?」

「………今すぐには、難しいな」


ダメもとで聞いてみたが、あわよくばという気持ちはあった。だけど、そう上手くはいかないもんだよな……。何度目かのため息を紅茶と共に飲み込んで、空になったティーカップを机に戻した。

私の落ち込みっぷりを見かねてか、ギルバート様はまた、ゆっくりと私の頭を撫で始めた。それがあまりにも優しくて、無性に泣きたい気分になった。




その日の夜の事だった。

いつも通りに髪の毛を乾かしてもらって寝ぼけ眼を擦って自分の部屋へと戻ろうとした私を、ギルバート様が止めた。掴まれた左手首がじんわりとした熱を伝えてくる。


「ギルバート様?」


どうしたのかと伺えば、ギルバート様はやや躊躇いがちに口を開いた。


「…今夜はこの部屋に泊まっていけ」




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