17:なければ作ればいいじゃない
長らくお待たせしました。
突然だが、固形石鹸で髪を洗った事があるだろうか。私はある。
あれは確か去年の夏ごろだったはずだ。親元から離れて生活すること4か月余り。買い置きのシャンプーも切らしてしまっていて、仕方なく固形石鹸を使った事があるのだ。その時私は「まぁ洗えれば何でもいいでしょ」なんて気軽な考えで使ってしまった。するとどうだろうか。シャワーで洗い流している段階で分かる「あ、これやばいやつだ」…そう思わせるキシキシ具合。幸いトリートメントとコンディショナーで何とかなったが、企業努力の詰まった液体シャンプーがどれだけすごい代物なのかを身を持って体験することになった。
まぁこんな話をして何が言いたいのかといえば、この国にトリートメントはないのかって話ね。
いや、一応ね、トリートメントの代わりに香油を使う文化だってことは教えて貰ったし理解しているんだけど、油分で無理やり髪の毛をまとめている感が強くてね……まぁ油の重たいこと。ツヤツヤっていうの通り越してべたぁって感じになるのね。
なので、代わりの物を自分で作ってみることにした。
用意したのはこちらの品々。材料はシンプルに、酢、水、香り付け用の精油。使いやすい大きさの小瓶も買って準備は万端だ。
今回作るのはビネガーリンスだ。適量の酢に好みの精油を入れて、あとは水を適量入れて撹拌すれば完成する。
そもそもリンスとは、石鹸によってアルカリ性に傾いたpHを中和するためのものらしいので、酸性のものならば何でも代替品になるだろう。多分。だから、お酢じゃなくでもレモン汁とか柑橘系の果汁でも作れるとは思う。多分。まぁ、今回は初めて作るし、前に作ったことのあるレシピの方が確実だろう。
香り付け用の精油を買うついでに、匂いのついていないテクスチャーが軽めの髪油も購入した。主流なのは重たい油だからか種類はそんなに無かったが、比較的安価に購入することが出来た。後でこれにラベンダーや柑橘系の精油を入れてオリジナルの香油を作ってみようと思う。
自分好みの香りにできるか楽しみだ。
小瓶にリンゴ酢を適量入れて、ラベンダーの精油を入れる。そこに水を瓶がいっぱいになるまで注いだら匂いを確認する。
「ん?」
前に作ったよりもお酢の匂いしないな…異世界産のお酢だから?というかこれならわざわざ精油入れなくても良かったんじゃないか………?
いや、まぁ、結果オーライってことで。いい匂いに越したことは無い。
小瓶の蓋をしっかり閉めてシャカシャカ振れば完成だ。
完成したなら次は実際に使ってみよう。
使い方も簡単。シャンプー後の髪を少し水気を切って、毛先を中心にビネガーリンスを馴染ませるだけ。軽く櫛で梳かして、洗い流したら終わり。
うん、洗い流したあともお酢特有の酸っぱい匂いはないんじゃないかな。ほんのりラベンダーの香りがして気分が良い。手触りもシャンプーだけよりもずっといい。なんていったってキシキシしない!これが一番大事。
身体も洗ってシャワー室から出たら、自家製ブレンドの髪油をちょっとだけつける。
今までならここで重たいオイルをつけて櫛で通してなんとか髪が絡まないようにしてきたけど、リンスでサラサラになっているからオイルの量も少なくていい。無理やり髪を梳かさなくていいから切れ毛になることもない。真っ直ぐでサラサラの髪はけっこう自慢だったからこれで一安心だ。
軽くタオルドライしている間にもラベンダーとオレンジっぽい爽やかで落ち着く匂いがふんわりと漂ってくる。
うん、いい感じじゃないかな。
「お風呂あがりました」
「あぁ、少し待っていてくれ」
何か書き物をしていたギルバート様は、一瞬だけこちらをチラッと見てからまたすぐに書類と向き直ってそう言った。
私は自分の特等席と化しているひとり掛けのソファーに腰かけて、ギルバート様の用事が終わるのを待つ。今の時間はたぶん午後10時くらいだ。朝早くから活動していると、もうこのくらいの時間には眠くて眠くて仕方なくなってくる。ペンが紙を走る音をBGMにうとうとと微睡んで過ごすのが最近の日課だ。
しばらくそうして待っていると、仕事がひと段落したギルバート様から声を掛けられる。私の背後に移動したギルバート様は、自家製リンスでサラサラになった私の髪をひと房持って呪文を唱えた。
「『乾燥』」
いい感じに乾いたら次のひと房へ。それを何度か繰り返して、私の髪の毛はサラサラ感と適度な湿度を保ったまま乾かされていった。
…なんで私がここまで髪通りをよくすることに気を遣ったのかと言えば、これである。
私の髪の毛乾かしてくれるの、ギルバート様なんだよね。
事の発端はこの世界に来てから三日と経たない頃……いつも通りシャワーを浴びてすっきりして髪を乾かすのに格闘していた時だった。あとは自然乾燥で乗り切るしかないか……と考え始めたころに偶然私の部屋を訪ねてきたギルバート様が今日の様に髪の毛を乾かしてくれたのだ。それからというもの、私はお風呂上りにギルバート様のもとへ赴き、手ずから髪を乾かしてもらっているのだ。
この「乾燥」という魔法だが、魔力を持っている者なら誰でも使えるように開発された「生活魔法」のひとつらしい。他にも手元を少し照らすくらいの光を生み出す「光灯」とか、ちょっとした汚れだったら綺麗にできる「洗浄」とかがあるみたいだ。
「……いつも思っていたが」
しばらくして、髪の毛を乾かし終わったギルバート様がいつものように手櫛で髪を整えてくれていたとき、静かな声で話し始めた。
「お前の髪は綺麗だな」
「…ありがとう、ございます」
シルクでできた高級な布地を扱うみたいに、優しく、優しく触れてくるのが少しこそばゆくて、それ以上に胸がぽかぽかと暖かな気持ちに包まれていく。
最後に頭をひと撫でして自室まで送ってくれたギルバート様は、扉を閉める前に良い夢を、と呟いて隣の部屋へと戻っていった。
「………はぁ」
流石にずっと一緒に過ごしていれば、自分が特別扱いされているだろうなっていうのは何となく分かる。その理由までは知らないけど。ただ、「私が異世界人だから」という以上の理由がありそうな気はする。
それをいつか、教えてもらえる日は来るのだろうか。