15:初めてのお買い物
こっちに来てから早一か月。ようやく待ちに待った買い物の日だ。頭の中では「はじめてのおつかい」のテーマ曲が流れている。誰にも内緒のお出かけではないが、この国で初めてのお出かけなのは間違いない。
数日前、ギルバート様からどこに行きたいのか考えておけと言われたので、私はその場で「朝市に行ってみたい」と彼に伝えた。異世界小説あるあるの朝市……新鮮な果物や野菜、肉、魚…は売ってるか分からないけど、美味しいものが集まってるのが定番中の定番だ。出来ることなら買い食いとかもしたいし、それが出来なくてもこの国の一般市民がどんなものを食べているのか、どんなものを着ているのか、そういうことが分かれば良い。仲良くなった洗濯侍女のマリーさん曰く、王都の市場には食べ物のほかに工芸品なんかも売っているというのでとても楽しみだ。
いつものように部屋前まで迎えに来てくれたギルバート様に朝の挨拶をして、二人並んで騎士団宿舎を出る。うん、いい買い物日和だ。見上げた空は所々雲がかかっていて、澄み渡る青色とのコントラストが目に眩しい。今日は暑くなりそうだが、日本と違って湿度が低いのか、あんまり蒸し暑くはならない。地元が夏でもあまり気温が上がらない土地で耐性はあまりないため、暑くならないのはとてもありがたい。
ふと、隣を歩くギルバート様が私をじっと見つめているのに気が付いた。
「どうかしましたか?」
「いや、…その格好で行くのか」
「むしろこれ以外にありませんが」
私が所持している服は騎士団の方で用意してもらったワイシャツ&スラックス数着と、こちらに呼び出されたとき着ていたあの王子様風衣装しかない。
だから今日もいつものワイシャツとスラックスに、小さい巾着(お金が入ってる)を首から下げた格好だ。いつも着ているフード付きのマントは背中側に魔法騎士団の紋章が縫ってあるから止めといた。それを引いても至って普通の格好だと思うのだが、何か問題でもあったのだろうか。
あ、巾着は暇な時間に裁縫道具を借りて作りました。
「変ですか?この格好」
騎士団の方で支給されているのと同じワイシャツは一番小さいサイズでも私が着るには少し大きく、今も袖は何回か捲っている状態だ。
ギルバート様は、今日は私服だ。シャツにスラックス、ベストを身に着けている。うん、今日も美しいな。
「変ではないが。…その髪と瞳は出来るだけ隠した方がいい」
…そう言えば私はいわくつきの髪色・目の色だった。
近づいてきたギルバート様は、小脇に抱えていた布を頭から被せてくる。布の正体は灰色のポンチョだった。ポンチョには帽子がついていて、裾には細かい刺繍が施されている。ん?こういうのってマントコートって言うんだっけ?あいにくそこら辺の知識はないが、見るからに高そうな生地は、やはり触り心地も良い。
「お借りしてよろしいのですか?」
「やる」
「…え」
「不便な状態を強いているのはこちら側の事情だからな。…お前が使わないのなら仕舞っておくだけだ。良ければ貰ってくれ」
「えっと、ありがとうございます」
そういうことならば有難く使わせてもらおう。
帽子をかぶり直した私を見て、満足げに頷いたギルバート様は「行くぞ」と短く呟いて歩きはじめる。
その表情は心なしか嬉しそうに見えた。
活気の溢れる客引きの声と、あたりを行き交う人の多さ。どうやら想像以上に王都の朝市は栄えているらしい。
ここは青果物が置かれているエリアで、朝採れと思しき新鮮で瑞々しい野菜や果物が並んでいる。
「おじさん、今日のおすすめは何?」
「今日のおすすめはりんごと桃だな!坊主、兄ちゃんと買い物か!」
「あはは、まぁそんなとこ。じゃありんごと桃、1つずつもらおうかな。いくら?」
「りんごは銅貨1枚、桃は銅貨2枚だ」
まずは果物を購入。日本でもよく見るスタンダードな赤色のりんごと、同じくよく見る白桃……ただし一個の大きさが小玉のスイカやメロンくらいある。要するに大きいのだ。しかし大きいからと言って味が大味な訳ではない。こっちではこのくらいの大きさが標準サイズなのだ。むしろここに並んでいるのは少し小ぶりのものかもしれない。
りんご1個銅貨1枚、桃1個銅貨2枚……う~ん、銅貨1枚大体100円位って考えていいかな?異世界物の小説でも大体このくらいが相場だったし。分かりやすいのが一番だよね。
この国では銅貨100枚=銀貨1枚、銀貨10枚=金貨1枚の計算らしい。
つまり、銅貨1枚=100円とすると、銀貨1枚は1万円、金貨1枚は……10万円…?
え、待って待って、確か貰った袋には金銀銅それぞれ同じくらいずつ入っていて…………
うん、私の所持金については帰ってから考えよう。宰相様からもらったお金の総額がヤバいことになりそうとか今は考えちゃいけない。
途中の屋台で朝ごはんを購入。なお、買い食いOKかは宿舎を出る前に確認済みだ。ギルバート様貴族っぽいし買い食いとかそういうの大丈夫かなって思ったけど、魔法騎士団は結構頻繁に遠征に行ったりして野営とかもするから外で食べるのは慣れているって。
今日買ったのはギルバート様おすすめのケバブっぽいやつ。近くのベンチに座っていただきます。
薄切りの羊肉とレタスっぽい野菜、他には玉ねぎっぽい野菜のマリネがパンに挟まっている。ソースはちょっと甘口で、香辛料っぽいピリッとした味がする。うわぁ…めっちゃ美味しい。
普段は食堂のご飯を食べているけど、たまにはこういった屋台飯とかもいいね。
そう言えば食堂のご飯なんだけど、初回の量だとちょっと多いかも……というのを伝える前に、次の食事から適正量に減らされていた。品数も少し減って、…というか本来食堂ではホテルの朝食みたいにビュッフェスタイルで提供していて、いつもその中から何品か適当に選んでギルバート様に提供していたらしい。で、私もギルバート様と同じように執務室で頂くので、メニューの中からいくつか選んで持ってきてもらえるようにお願いした。量はちょっと少な目で。
でも、3日に1回くらいは人の少ない時間帯に食堂に連れて行って貰ってたから、多分私の食の好みがギルバート様と料理長にばれてる疑惑が……。今日のケバブも羊肉が好きな私に合わせてくれたんだと思う。ギルバート様が好きなの牛肉だし。
デザートにさっき購入した桃を2人で頂く。ふんわり甘い桃の香りと爽やかな甘み、ほのかな酸味で口の中がさっぱりした。果汁もたっぷりだし、今回買った桃は当たりだな。
食べ終わってごちそうさま。美味しかったです。
食休憩を挟みつつ、次に行く場所の話し合いをする。服屋さんはお昼過ぎに行くので、それまでここら辺をぶらぶら歩くつもりだ。
近くに座ったカップルらしい二人組が、オレンジを食べている。格好からして冒険者っぽいけど、この国に冒険者って居たんだ?
男の方がナイフ…にしては大きいし短剣かな?それでオレンジを切って女の方に渡していた。
そういえばさっきもギルバート様がナイフで桃剥いてくれたな……。
「ギルバート様、私でも扱えそうな短剣とかありますか」
そう言いながら見上げると、ぎゅっと眉間に皺を寄せたギルバート様がいた。あれ?そんな顔させるほど変なこと言った?
「お前に危険が及ばないように、私達が居るだろう」
ん?………あ~~、なるほど?
短剣を持つ=戦う、つまり私が何某かの危険に巻き込まれるって考えたのかな。まぁ確かにそれもあるけど、武器の使い道はそれだけじゃないでしょ。多分。
「一応の護身用ですよ?それに身の危険がなかったとしても使い道は色々あるじゃないですか。例えばロープを切ったり服を破いたりさっきみたいに桃剥いたり…そういう事にも使えそうなナイフ?みたいなのとか。見繕っていただけませんか?」
まぁ食べ物用とそれ以外では使うの分けたい気持ちはあるんだけれども。一個持っとけば便利に使えそうなやつがいいな。
あと異世界小説あるあるだと大体の転生者・転移者は武器を所持していてですね……!本音を言うとカッコいいから持ってみたい、ってのはある。
渋い顔をしたギルバート様は熟考の後に呟いた。
「…………分かった、が。今日は駄目だ」
ギルバート様曰く、剣の類は騎士団御用達の鍛冶屋があるので、都合をつけて今度連れて行ってくれるという。武器はやっぱり自分で選んだ方が失敗が少なくていいらしい。知識も何もないけれども、まぁ、分かんないことはギルバート様に聞けばいいしね。
「言いましたね?約束ですよ」
そう言いながら小指を立てて差し出すと、ギルバート様も右手を同じような形にして出してくれた。小指と小指を絡めて緩く振りながら「指切り」をする。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます、指切った!」
「その物騒な歌はなんだ………?」
「うちの国に昔から伝わる、約束をするときの唄です」
指切りの語源は遊女が約束の際に小指を切ったから…とかそういうのはぼかして伝えて、そろそろ行きますか、と私達はお店の物色を再開させたのだった。
どこからともなく鐘が鳴る。これは「ただいま午前〇〇時をお知らせします」系の鐘の音だ。地元でも夕方くらいに鐘の音…ではないけど音楽が流れていたんだよな。あれは防災無線がいざという時にちゃんと使えるように点検の意味合いで流していたらしい。ちなみにこっちでは大体1時間おきに鳴るんだけど、これは時計が一般的に普及されていないからだ。時計は金貨が何枚か飛ぶくらい高価なものなんだよね。
そんなことをつらつら考えているうちに人波が押し寄せてきて前に進めなくなる。あ、さっきの鐘の音、仕事が始まる時間の鐘だったんだな。この国の民は鐘の音を基準に生活しているから仕事の始まりと終わりを鐘の音で判別している。私はまだ違いが分かんないけど。
どんどん増えていく人口密度に押しつぶされそうになった時だった。
「ほら、こっちだ」
そう言って差し出された手を反射的に掴んだ。私を腕の中に囲ったまま、ギルバート様は人波を器用に避けてするすると進んでいく。
しばらくそうして進むと、人波が途切れる場所があった。道端に寄って人心地付く。この国の人はみんな背が高いし体格もいいから、私みたいな一般人は成す術もなく押し潰されるということがよく分かった。
(あ……手、離さないと)
さきほど掴んだ手のひらを解こうとすると、逆にぎゅっと握られてしまってどうしていいのか分からなくなった。軽く手を持ち上げて視線で問えば、彼は紫紺の瞳を緩ませてこう言った。
「はぐれたら困るだろう?」
優しい眼差しで見つめられると、私がこの人にとって特別な存在なんだと勘違いしてしまいそうになる。そんなこと、ある筈ないのに。自意識過剰も甚だしい。
ギルバート様から視線を外すように辺りを見回すと始業のラッシュは数分で落ち着いたようで、先ほどの人波が嘘のように人気が無くなっていた。
繋がれたままの手のひらが、もう行くぞ、という風に引かれる。そこでふと、今まで意識していなかったギルバート様の体温を感じた。
(ギルバート様、手あっつい…)
運動習慣がある人は体温が高いと聞いたことがある。騎士であるギルバート様もきっとそうなのだろう。
手袋をしていない素肌の掌は、剣だこが出来ているのか一部分が固くなっている。私の手をすっぽりと覆い隠してしまうほどの大きい手に繋がれて、私達は朝の市場を眺めていった。