心の変化
私たちが婚約したことに、お父様は驚いていたが何も言わなかった。
そして、私たちの関係は、思っていたより順調だった。
ロイは婚約者として、彼と同じ行動を取るのかと危惧していたがそんなことはなかった。
美しい花を差し出し、美味しいお菓子やアクセサリーなどをプレゼントしてくれる。
彼はプレゼントするより、どこかに連れて行ってくれることが多かったから、新鮮だ。それに、私を気遣う気持ちが純粋に嬉しい。
「リリー、今日も綺麗です」
「ありがとう」
ロイは私を『義姉上』ではなく、名前で呼ぶようになった。丁寧な口調こそ変わらないけれど、義姉と義弟という関係は確実に変わっていた。
定期的に2人でお茶をする時も、和やかな雰囲気だ。最初の方こそ彼のことを口にするだけで苦しくて、話題に出さなかったのに、今ではよく彼の話をする。
彼の話をしたら、彼の死をより鮮明に感じて怖くなると思いっていたのに、実際にそんなことはなかった。
むしろ、不思議と彼を近くに感じるものだから いろんな話をしていた。
ロイと彼を重ねてしまうのではと危惧していたけれど、いろんな出来事があって、重ねてしまうことはなかった。むしろ、彼とロイはやはり、全然違う人間なのだと実感してばかりいた。
社交界では、私たちのことは噂になっていた。
最愛の婚約者と最愛の兄を亡くした2人が、互いの傷を癒やし支え合う内に、愛に芽生えたのだと、まるで美しい純愛のように語られていた。
実際はそんな綺麗なモノじゃない。
互いの胸の傷を力の限り押さえて、何とか止血しようとしている。ただそれだけなのに。
「――彼の方が亡くなった途端ロイ様に鞍替えするなんて、恥知らずにも程がありますわ!」
ある社交パーティーで、ロイが離れた隙に近付いてきた令嬢が私に詰め寄ってきた。
全くもってその通りなので反論もない。この子はロイに好意をもっているのだろうなとぼんやりと思った。
ロイは綺麗な顔をしているし、優しく物腰も穏やかだ。いろんな令嬢に想いを寄せられていることだろう。
相思相愛でも何でもない私たちが婚約者同士なことが少し申し訳ない。
「ロイ様よりも何歳も上の年増のくせに!」
興奮状態の令嬢が手を振り翳すが、私は「あ、叩かれる」と呆然と見ていた。
しかし、私たちの間にするりと人が入り込んで、令嬢の攻撃を止めてしまった。
「たったの3歳差ですよ」
それはニコリと微笑んだロイで。笑顔は暖かいのに、瞳は凍るようで、それを見た令嬢は一歩二歩と後退りする。
ロイの名を呼ぶと「離れてすみません」と私に顔を向けて、ロイは申し訳なさそうに眉を下げた。
しかし、次の瞬間にはまた令嬢に顔を向ける。
「兄は亡くしたけれど、幼い頃からの想いは実ったんです。邪魔しないでもらえませんか」
笑顔を浮かべたまま冷たく言い放つと、令嬢は涙を流して去っていった。
いつでも優しく穏やかなロイのそんな姿に少し驚く。
「ロイ、」
「そろそろ帰りましょうか」
わざわざ私への想いを表に出して見せたロイに、そこまでしなくてもいいと言いたかったが、口に出す前に帰りを促されてしまった。
帰りの馬車の中、胸の中にはモヤモヤとした気持ちが溜まっていた。
――ロイは別に私のことが好きなわけではないでしょう?
その言葉が喉に引っかかって、少し息が苦しくなった。
――――――
それはとある日のこと。
ロイとお茶をする約束をしていた私は、少し立て込んでいるというロイの執務室へお茶を運んでいた。
若き領主として頑張っているロイを少しでも労わりたかったのだ。
「ロイ、今いい?」
コンコンとノックをして声を掛けるが、返答は無い。
「いないのかしら?」
だが、執事にはここにいると言われた。
用事で少しの間出ているのかもしれないと思い至って、カートに乗ったティーセットを見る。
メイドを探して渡してもいいけれど、たぶんロイも私がここにいると聞いてるはずだし、中で待たせてもらおうかな。
ロイにもどこにでも入っていいと許可を貰ってるし、ただ中で待つだけだからいいわよね。
そう思って、私は執務室の扉を開けてカートと共に中に入った。
「相変わらず綺麗に整頓されてるわ」
彼は領主や騎士として優秀だったのに、整理整頓が苦手だったと思い出す。
ここにも何度も足を運んだことがあった。
沢山の書類や資料が所狭しと並べられている本棚。ここは、彼が分かりやすいように私が整理の手伝いをした。
革張りのソファには、休憩の時横に並んで共にお茶を飲んだ。
そして、彼がいつも座って執務をしていたこの机。背後には大きな窓があり明るくて暖かくて、彼はたまにうたた寝していた。細かく傷が入っているところも変わらなくてただただ懐かしい。
私はまだこんなにも彼とのことを覚えている。
でも、息苦しさは少しだけマシになっている気がするのは何故なのだろう。
「……これは」
重厚な執務机の表面を手で撫でようと伸ばすと、整頓された机の秩序を見出すように置かれた手紙に気が付いた。
どくんどくんと心臓が音を立てる。
その封筒は、見覚えのあるものだった。
「リリー!」
気が付けば、私は封筒から便箋を取り出し、手紙を読んでいた。
ロイへと当てられた手紙。そこには彼の最後の言葉が認められていた。
執務室へ入り、手紙を握りしめて呆然としていた私を見た瞬間、ロイは状況を把握したようだった。
「リリー……読んでしまったんですか」
焦ったように近付いてくるロイの姿を、ぼんやりと視界に捉えながら、頭の中は手紙の内容を反芻していた。
手紙にはロイを心配する言葉が綴られていた。そして、最後に一言『リリーを頼む』と。
彼らしい言葉だと思うと同時に、何故か私は酷く傷付いていた。
人に勝手に託されたことが悲しかったのだろうか。
私はあなたとの未来以外見えていなかったというのにーー。
「――ロイは、彼に頼まれたから私と婚約したのね」
私は無意識の内に口を開いていた。
そして、ハッと我に返ると、何も言えずに固まっているロイの横を通り抜けて執務室を飛び出した。
「はぁ…っ」
庭園に入った私は、手に膝を付いて普段走らないものだから、呼吸は乱れて足もブルブルと震えていたけれど、何よりも心が乱れていた。
だってさっきの台詞だと、婚約がロイの意思じゃないことに傷付いているみたいじゃない。
「何を今更……」
ロイが私を好きじゃないことなんて知ってた。ただ、彼の思い出に縋っていただけなのよ。私もロイも。知ってたことじゃない。
でも、それでも。
どうやら私は、この婚約がロイの意志でないことが悲しかったらしい。
今日中に完結します