第9話 竜の卵
少し体調を崩したトイスの為に峻険な風の強い崖に登った二人は数日そこで過ごした後、トイスの体調も元通りになった為、崖から降りることにした。
トイスのように高位な薬師になると、その属性に身を委ねる事が最善の体調回復となるらしい。
「では、王都におられる他の【四聖】の方々はどうされているのですか?火属性の方は火の中に入るのですか?」
「まさか!人の身でそんな事をしたら焼け死んでしまうだろう!」
「あ、やっぱり無理なんですね。」
「当たり前だ。王都の屋敷では香を焚く。【四聖】用の特別な香があるんだ。」
「お師匠様はその香を使わないのですか?」
「あまり好きな匂いではないし、風に当たる方が気持ちがいい。」
足元を確認しながらの下山だが、山歩きにも慣れている二人にとってはどうと言うこともない。
周りを見る余裕もあるので、木に引っかかった卵を見つけた。
「お師匠様、あれは・・・竜?」
「うん。銀竜の卵だね。」
「この辺りに銀竜がいるとは聞いたことがないですが・・・。」
「この国には殆どいないはずだ。南のラガティーア王国には居るが、銀竜は少ない。」
「どうしましょう。」
「焼いて食べても美味しいが、お前が孵化させてみろ。私は風魔法で浮遊や飛翔ができるが、お前はできないから、竜を育てて手伝って貰うといい。」
「お師匠様、孵化ってどうすればいいですか?」
「とにかく温めろ。」
ロルカはその大人の頭程の大きい卵を布で巻いて、ローブの中に入れてみた。これで孵化できるほど温められているのか分からないが、数日たっても変化は無い。
「お師匠様、この卵、生きてますか?」
トイスは卵に触れて
「生きてるから、頑張りなさい。」と、言う。
更に数日、卵は少しづつ大きくなってきた。前の町から、次の町迄はかなり遠いので、未だに人里には近づいていない。ロルカにしてみれば、その間に産まれて欲しいと思っていた。
町まであと一日位まで近づいた所で、卵が動き始めた。
「お師匠様、産まれるかも知れません。」
「では、私は離れていてやるから、しっかりそばに居なさい。」
「はい。」
銀色の卵に中からつつかれるようにヒビが入り、そこから銀色に濡れた羽が出てくる。
やっと卵から全身が出てきた銀竜は全身が銀色で、目が水のように澄み切った青い目をしていた。
「可愛い。」
そっと頭に手を伸ばすと、自らその手に頭を擦り付けるようにして甘えてくる。
「お前は今日からクシュカだ。仲良くしような。」
ロルカは前もって考えていた名前を呼びながら魔法の鞄から途中で手に入れたヤギの乳を飲ませてやる。クシュカはお腹が空いたのかたっぷり乳を飲んだ。
銀竜のクシュカは産まれたばかりで、まだ歩き方も危なげなのに、もう少し飛ぶ事ができるようだった。
「ロルカ、無事に産まれて良かったな。」
「はい。お師匠様。」
「綺麗な竜だが・・・、少し変わっているかもしれない。」
「どこがですか?」
「普通の銀竜は目も銀色だ。それに産まれたばかりでは飛ぶことはできない。」
クシュカは二人を見上げながら、
「クリュ。」と鳴く。その姿が可愛くてロルカはクシュカを抱き上げて自分の肩に乗せてやった。
クシュカは肩の上が気に入ったようで、ロルカのローブのフードをつまんで遊んでいる。
翌日、町について領主館に挨拶に行くと、初めて竜を見た領主の息子がクシュカを見て目を輝かせた。
「薬師様、その肩の生き物は何ですか?」
「銀竜ですよ。」
「! それが竜なのですか?」
「産まれたてなのでまだ小さいですが、そのうちもっと大きくなります。」
「可愛い。竜ってこんなに可愛いんですね。少しだけ触ってもいいですか?」
可愛いクシュカを褒められて、ロルカも嬉しい。頷いて肩からクシュカを手の平に移動させて、少年が触りやすいようにそっとその前に差し出した。
少年は恐る恐るそっと手を伸ばし、頭に触れた。クシュカはもっと撫でてとばかりに頭を擦り付けるので、少年は驚きながらも笑顔を浮かべる。
「はぁ、凄く可愛い。僕も大人になったら竜と旅をしてみたいです。」
ロルカが少年とクシュカで遊んでいる間に、師匠と領主の間では滞在期間と、それに対する対価の相談が済んだようだ。領主は思いの外に安い対価に満足し、師匠はこの地の祭りにだけ供される特別料理【鴨肉の香草脂焼】を食べさせて貰えることになり、機嫌がいい。
薬師を町で雇う事は民に領主の恩恵を与えることになり、民が領主を敬う事にも繋がり、不満を覚える事が減るので領主としてはありがたいのだ。
しかし、普通ならばとてもその対価は高く、今回の提案のように、広場で二日、患者を制限することなく治療をしてもらうとなると、その支払いだけで家が傾いてしまう。
それを信じ難いほどの安値で請け負う薬師の腕に少し不安を覚えたと言うものの、手の甲には正式な証があり、確かに薬師で間違いは無い。
こんな機会は二度と無いだろう。
領主は一も二もなく申し出を受けることにした。対価が安い分、できる限りの厚遇も約束してくれた。
翌日、朝から広場で治療を始めた二人の傍にはクシュカは居ない。領主館で領主の息子に世話を頼んだ。
竜は南のラガティーア王国でも貴重なものとされ、非常に高値で取引される。まだ産まれたてのクシュカでは飛んで逃げるのも難しいと考えたロルカが自分の仕事中の面倒を頼んだのだ。
「僕、絶対にクシュカを守るから。」
「お願いします。」
「うん。任せてください。」
少年は竜と遊べる事以上に自分が任された事が嬉しかった。
トイス達の治療は町の人達が驚愕する程早く、そして寝たきりの重傷者まで治療を受けた後は自分で歩いて帰れるほどに見事なものだった。
その評判は口から口に伝えられ、広場には人が溢れ、領主館からもその人員整理に多くの人が手伝いに出なくてはならなかった。
庭で竜と遊ぶ少年は人気の少なくなった屋敷の中で、女中が置いていってくれた、パンにひき肉と野菜を混ぜて焼き上げたものに溶けたチーズをかけたものを香草と共に挟んだお気に入りの【ボグス】を齧りながら、クシュカに少し深めの皿に山羊の乳を入れて飲ませていた。
クシュカは少年のおやつの林檎に興味があるようなので、ナイフで切って飲みきった皿に入れてやると嬉しそうに鳴きながら食べ、おかわりをねだってきた。
「クシュカは林檎も好きなんだね。ロルカさんに今日は林檎を食べた事もお伝えしなきゃな。」
林檎を食べ終わったクシュカが不意に庭の一角に顔を向けた。それ迄のんびりしていたのに警戒するように低い声で鳴く。
「ギ、ギギ、ギギャ!」
クシュカの鳴き声に異変を感じた少年は、慌てて大声で助けを呼んだ。
「誰か来て!泥棒だ!早く!!」
しかし、屋敷の中には今、誰も居なかった。広場の喧騒で使用人だけでなく、なんと領主夫妻まで出かけてしまっていたのだ。
「残念だったな、お坊ちゃん。」
「!・・・。」
「ガキとその竜をひっ捕まえろ!」
「駄目だ!クシュカに触るな!!」
庭に入り込んできたのは、四人の見知らぬ男達だった。
少年は恐怖で足が動かないが、何とかして竜だけでも逃がしたいと震える手で椅子を掴んで男達に投げた。
「クシュカ、飛んで逃げて!」
クシュカは少年の願いのまま飛び上がったが、その後の行動は少年の思ったものではなかった。
産まれてまだ一週間にもならないクシュカは、力強く羽ばたくと、男達に襲いかかったのだった。
「クシュカ?!!」
――産まれたばっかりのクシュカが僕を守ってくれるの?だったら僕も出来ることをしなきゃ!
恐怖で動かなかった足が動くようになった少年は、窓の下にある可愛らしい物入れに手を突っ込んで弓と数本の矢を取り出した。
少年はもっと小さい頃から森で遊び、狩りが得意だった。弓に矢をつがえ、クシュカの攻撃で慌てているリーダーっぽい男の肩と太ももを続けざまに射抜いた。
「ぎゃあああ!」
男の大きな声が響き渡る。この声で誰かが気付くはずだと期待し、少年は次の的に矢を放った。
男達は間もなく取り押さえられ、安心から腰が抜けた少年は母親に抱きしめられた。
「ロルカ様、ありがとうございました。僕、クシュカが居なかったらあの男達に捕まってました。クシュカが一緒にいてくれて良かった。」
「クシュカもあなたがいてくれて良かったです。ありがとうございました。」
少年は出発の日、名残惜しそうにクシュカに袋に入れた林檎を渡した。
「ロルカ様、僕、大人になったら、クシュカのような竜と一緒に、クシュカに会いに行きます。」
トイスとロルカは少年の頭を撫ぜて次の町を目指してその町をたった。
二人の姿が遠ざかる時、クシュカの挨拶の声が少年の耳に届いた。
「キュ、キューーーィ」
それはまるで、『またね』と言われているようで、少年は一生懸命手を振った。
――いつかきっと会いに行くから。




