第38話 目覚め
闇の中で一つの存在がゆっくりと蠢き、静かに息づく。そして、闇は更に深く、濃く、膨らんでゆく。
魔神のグランドリーは怒りに震えていた。若造だが見所があると思ったラングラーが、まさか【器】を見つけたのに、回収もせず、人間に寝返るなど許される事ではない。
あまつさえ、ハロルド王国の王都にその魔力で結界を張るなど、あってはならない事だ。
正気の沙汰では無い。
「あの若造、魂ごと必ず殺してやる!」
直ぐにでも【器】の回収に向かいたいが、【器】は更なる力を付けたようで、魔神一人では難しいだろう。
その上、数日前から長の魂に目覚めの気配があり、この場を離れる事が出来なくなってしまった。
長の目覚めを感じた魔物達が人間の里を襲っているのは楽しいが、それも人間どもに殲滅させられれているらしい。
何もかも忌々しい。長は【器】が無いことに怒り狂われるだろう。それに【器】に代わる物の準備も必要だ。
とりあえず、一時しのぎとして、若手の魔神の体を使って頂こうと、その選別にも追われている。
また、自分達と派閥が異なるあの一派、今まで不干渉を貫いていたが、最近気になる動きをしている。特に、ダグリュール。彼は強い。戦った事は無いが、自分は叶わないとわかっている。一見すると穏やかで、人当たりが良く、朗らかなあの魔神は本質は苛烈だ。あれに勝てるのは長だけだが、さすがに長には到底叶わない。
ダグリュールとやり合うのは長が目覚めた後でなければならない。
気にかかる事ばかりで、苛立つ気持ちを抑えることができないグランドリーに吉報がもたらされた。
長の目覚めを見守らせていた手下からだ。
「グランドリー様、間もなく長様がお目覚めになられます。」
「分かった。【器】代わりの者を直ぐに目覚めの場所に連れて来い。」
「はい。ですが、中々抵抗していて・・・。」
「なんだと!この名誉を断ると言うのか!!」
「申し訳ございません。了解していたのですが、昨日ダグリュール様に説得されたようで・・・。」
「ダグリュールめ!忌々しい。眠らせて連れて来い!」
「承知致しました。」
また、ダグリュール、あいつが!
しかし、と、一呼吸大きく息を吸い、気持ちを落ち着ける。
長は間もなく目覚められる。長さえいれば、ダグリュールなど、取るに足りない。そう。あと少しの辛抱なのだ。
グランドリーは目覚めの場所に向かった。
そこには既に闇が大きく膨らみ、妖しい輝きを放っていた。
立っているのもやっとな程の圧力の中、間もなく長が目覚める事がわかる。
禍々しさに心が震える。グランドリーの歓喜の中、闇は更に膨らんで行った。
グランドリーの不幸はこれが最後になった。もう彼は何に思い煩うことも無い。
長の目覚めに【器】も、代わりとなる者も、この場に間に合わなかったのだ。代わりが用意出来なかった者たちは恐れてこの場に近づくことさえしなかった。
そして、彼の心は長の魂に喰われ、消えていった。
目覚めた長は機嫌が悪かった。魂の入れ物は、真新しく、力の漲る物を自分の目覚めに合わせて用意するよう、命じてあったのに、目覚めてみれば、使い古された、魔力も並より少し上程度の体だった。
手下どもは、簡単な命令一つ守る事が出来なかったのだ。
なんと無能な者たちなのか!怒りが鎮まらず、周りに現れた魔神を数名殺してしまったが、これも仕方が無いことだったろう。
「長様、申し訳ございません。【器】はグランドリー様の不始末で人間に奪われ、今は私達に楯突く、四聖の一人になっております。」
「そうか、グランドリーの・・・。あの愚か者め。」
長はグランドリーが自分の失敗の謝罪として我が身を差し出したのだと知った。だからと言って愚かな部下を許すつもりにはならない。
「人間どもを屠りにゆくぞ!【器】を取り戻し、この体から出なくてはならん。」
用済みになったグランドリーの体は忌々しいので、出来るだけ早くこの体から出たいと長は思った。
一方、人間側も長の目覚めをフロアティーナの感知と、ダグリュールの知らせで知る事になる。
出現は【器】を狙って、ハロルド王国。
グランとマリオンも王都の守護を部下の薬師と、ダグリュールが送り込んだ魔神に任せ、ハロルド王国に集まって来た。
各地から続々と腕自慢の者たちも集結し、王都は膨れ上がる緊張感で、息苦しい程だ。
トイス達は、魔神の協力者であるダグリュールと夕飯を囲みながら、明日の戦略と配置を相談していた。
「そういえば、ダグリュールさん、一つ聞いていい?」
「ん?なんだ?」
アマーリエが興味津々という顔で、身を乗り出した。
「【器】って魔神にとって大切なんでしょう?どうしてアルマン様が育てる事になったのかしらね。」
「まぁ、推測なんだがな。お前達、【器】ってどうやって作るか知ってるか?ロルカは聞きたくないかもなぁ。」
「いや、教えて下さい。自分の事ですから。」
「聞いたら、自分の事を人間とは思えなくなっちまうぞ。それでも良いのか?」
「構いません。」
「【器】は、魔神と人間の魔力のある奴を溶かして、混ぜ合わせた物を核とし、そこに百年魔力を注いで作るんだ。」
「溶かす?」
「そう。魔神の魔力を集めて、文字通り溶かしちまうのさ。俺はこの体を大切に使ってるからまだ作った事はないが、長は争い事が好きだから、何回か作ってる筈だ。特に今回は溶かされた魔神も人間も上出来だったらしい。」
「なんて事を!」
「どうする?まだ聞くか?」
青ざめたアマーリエは言葉に詰まるが、ロルカは先を促した。
「その百年魔力を注いだのが乳母殿だ。この彼女がロルカを連れて逃げたと聞いてる。」
「どうして・・・。」
「殆どの魔神は知らなかったようだが、溶かされた人間は乳母殿の息子だったんだ。人間との間に産まれ、その夫に託したな。彼女とは昔から知り合いでな、息子を守れなかったと泣かれた事がある。」
ダグリュールは一つため息をついて話を続けた。
「乳母殿にとってはロルカは息子の代わりだったんだろう。それは大切に百年魔力を注いでいた。そして、ついに体ができた時、長に取られるのを拒んで盗んで逃げたんだ。
ちょうど俺が眠っている頃だったので、助けてやれなかった。」
自分はいつも都合の悪い時に眠っていたなぁと自嘲気味に顔を歪め、ダグリュールは苦い笑いを浮かべた。
「【器】を連れて行くのを見逃して貰える筈もない。怪我をしながらも、乳母殿は人間の居る場所まで逃げて、俺の息子に会ったんだろう。それで息子が乳母殿に代わって、大事に育てたんだな。ロルカ、お前は、俺の孫みたいなもんだ。いいか、この戦い、絶対に死ぬんじゃねえぞ。」
「はい。父が守ってくれた命です。無駄にはしません。」
「よし。」
戦いの時は近い。色々な思いを飲み込むように、夜が更けていった。




