第36話 一級薬師
王都に戻って十日が経った。
トイスはそろそろ旅立とうかと考えていた。
ただ、前回調べてから一年以上経つのでロルカの級を調べたい気持ちもあった。
彼が魔神のラングラーが言うように魔神達が必死に手に入れようとする【器】ならば、これから先の行動も人間を巻き込まない前提で動かなければならなくなる。
一方、水の四聖フロアティーナは運命が急速に回り始めた事を感じていた。この予見は四聖全てに伝えて、至急人間側の対応を纏めなければならない。
かつて魔神の長は四聖をはじめとする薬師と、剣士、拳闘士等、戦う事ができる全ての人間の力を結集してやっと倒したと伝えられている。
その戦いで、半数以上の者が命を落とした。
トイスを見ていると、過去伝えられる四聖よりも魔力が強い。もしかしたら魔神の長の復活に対処する為、人間も強くなったのではないかと思う程だ。
それでもまだ足りない。フロアティーナはトイスを失いたくなかった。
しかし、運命がもしかしたらトイスを奪わないものに変わってくれるかもしれない。
フロアティーナは震える手で犬のランをゆっくり撫でた。ランは可愛いのだが、すぐに顔を舐めてくる。
「ランちゃん、だから、顔を舐めては駄目でしょう。」
優しく頭をコツンと叩くのだが、喜ぶだけで反省はしない。困った子ね、とフロアティーナは呟いた。
が、それをちょうど部屋に入ってきたトイスは見逃してはくれない。
「このバカ犬がぁ!!!」
平手で叩かれたランは壁に激突して気を失った。
「トイス、ランちゃんが可哀想よ。」
「バカ犬には躾が大切だ。」
ふと目を向けたフロアティーナは十日前より、不安そうな表情にはなっているものの、随分と顔色が良い。
「フロアティーナ、随分、体調が良さそうだね?」
「そうなのよ。なんだか食欲もあって、食事が美味しいの。」
「それは良かった。君は痩せすぎだから、もう少し食べた方が良いね。」
「そうね。昨日はおやつも頂いたのよ。」
いつの間に気がついたのか、ランが戻ってきて、何故か自慢げな顔をしている。
ムカついたトイスは思わず天井に蹴りあげてしまった。
「あぁ、悪い。足が当たった。」
犬のランはササッとフロアティーナの背後に隠れる。
魔神のラングラーとしては良い事をしたので褒めて欲しいのに、叱られてしまい、その上、叩かれ、蹴られと、理不尽な扱いだと思っている。
「どうしていじめるの?」
フロアティーナは驚いた。トイスから貰って以降、犬のランが人の言葉を介した事などなかった。
「ランちゃん、喋れるの?」
「はい。」
「トイス、ランちゃんは何?喋れるってどういう事?」
「フロアティーナ、落ち着いて。えーっと、説明しなくて申し訳なかったんだけど、それ、魔神なんだ。」
「魔神?こんなに可愛いのに?」
ラングラーは嬉しかった。魔神と聞いてもフロアティーナは自分に優しい。ほら、今も頭を撫でてくれる。だから、自分もフロアティーナにいい事をしたんだ。
「ティーナ、魔神だけど、悪いことはしないよ。」
「何気に呼び捨て、愛称呼び。バカ犬のくせに。」
「落ち着いてトイス。私は呼び方は何でも構わないのよ。」
「私が構う。私だって愛称で呼んでいないのに。」
「トイス。」
フロアティーナが頬を両手で抑えて俯くが、その頬が熱い。でも自分の寿命が長くない事を思い出し、悲しくなった。
「後、死ぬ迄に何回会えるのかしら。トイス、呼んでもらえるなら、私はあなたに昔のようにフランと呼んで欲しい。」
「え?ティーナは死なないでしょ?俺、ちゃんと魔力あげてるし。」
不思議そうに言うラングラーにフロアティーナもトイスも驚いた。
「バカ犬、どういう事だ?」
「ティーナは生命力が弱かったから、俺の魔力で補ったの。魔力も薄かったから問題なく受け入れて貰えたし。」
「魔力が薄い?」
「うん。トイスは魔神の血が入ってるから魔力が濃いでしょう?そういう人は無理だけど、ティーナのように魔神の血が入っていない人は、抵抗が無いから、俺の魔力を馴染ませやすいんだ。魔力が馴染むと元気になるんだよ。俺、いい事したよね?」
自慢げに鼻をあげて、反り返る犬のランをトイスが優しく撫ぜた。え?という顔をしたものの、ランも満更ではない。
「お前、偉いじゃないか。ただのバカ犬じゃなかったんだな。」
「へへ、褒められたぁ。」
「いい子ねランちゃん。ありがとう。」
今日はフロアティーナだけでなく、トイスも優しい。ラングラーはやっと皆に認められたんだなと実感した。
「お師匠様。」
微笑み合う二人の元にロルカが笑顔で飛び込んで来た。
「お師匠様、一級薬師になりました。」
「やったな。さすがは私の弟子だ!」
「あぁ、トイス、あなたは本当に私の願いを叶えてくれたのね。」
「フラン。これでいつでも君は四聖を引く事ができる。」
喜び合う二人に、ちょっとだけあれっ?て思いながらもロルカは声を発する事はしない。そんな事、師匠が許さない事を彼は良く知っていた。そして、付き合いの長くなってしまった彼は、その先も想像できてしまうのだ。
「さぁ、ロルカ。フロアティーナから水の四聖を引き継ごう。これから先、魔神と戦う際に、四聖として覚醒すれば、その力はお前の助けになるはずだよ。」
「えーっと、今すぐですか?」
「違いますよ。ロルカさん。そんなに急で無くて良いんです。でも四聖を継ぐこと、考えて下さいね。私を継ぐのは、あなたしかいないと思っています。」
「フラン、別に今すぐでもいいんじゃない?」
「駄目です、トイス。ロルカさんだってご都合がおありでしょう?」
「気にする事は無いんじゃないか?」
「駄目です。」
トイスはフロアティーナに止められて不満顔だが、ロルカはちょっとホッとした。
アマーリエとロルカはその夜、イヴァンに案内されて、お勧めの酒場にやって来た。こじんまりしているが、肴が美味い店らしい。
表通りから一本入った所にあるが、ヤクーシュの酒を扱っている店で、特に魚の干物を美味しく焼いてくれるそうだ。
店に入って、今日のお勧めを頼む。青魚を自慢の漬け汁に浸してから干した干物はただ焼くだけで香ばしい。
それに爽やかな香りのする果汁を絞り、細かく割いたものを酒と一緒に食べると、えも言われぬ味わいがある。
また、干物を蒸して柔らかくし、香草と合わせて焼いたものも美味しかった。
「ロルカの一級薬師を祝って、乾杯!」
「ありがとう。」
トイスはまた別の日に祝ってくれるらしく、今日は弟子三人でロルカのお祝い会だ。こうやって祝ってくれる仲間が居ることが凄く嬉しいロルカだ。あの武術大会まで、人と触れ合う事無く生きてきた。
今はこんなにも人と居ることが楽しい。
師匠の弟子になって良かったなと思う。
「あのさ、お師匠様から水の四聖を継ぐように言われたんだけど、そうしたらもう旅には行けないのかな?」
「国内位ならグランも行ってたから大丈夫だと思うけど。」
「お前が継いで、王都に居るなら、俺も王都に住むことにする。」
「イヴァン、良いのか?」
「俺は構わないぞ。アマーリエと結婚して、兄貴の店の支店を任せてもらう。王国剣士団に入っても良いしな。」
「ふふ。私もイヴァンと一緒だから、王都に住むわよ。」
「そうか。ありがとう。」
「でも、ロルカ。私も早めに継いで欲しいと思ってるの。」
「なんで?」
「あなた達は知らないけど、昔、フロアティーナはトイスの弟子で、恋人だったのよ。でも四聖を継ぐ人が居なくて、トイスと一緒に居ることが出来なくなるのを承知で、彼女は四聖になったの。」
「あの、お師匠様にも色っぽい話があったんだなぁ。」
「イヴァン、茶化さないで。その上、フロアティーナは体があまり強く無いので、四聖である事で、体も壊しちゃったのよね。それに四聖になれば覚醒して強くなれるし。覚醒した後と前では強さが格段に変わるわ。それは私自身の実感したもの。魔神の長と戦う事を考えたら、メリットあるんじゃない?」
「メリットかぁ。」
確かに強くなるメリットは大きい。でも旅への思いはロルカの中に燻っている。
――どうしたものかなぁ。




