第25話 師範
ロルカを育てた師範との出会から別れまでの話です。
ロルカを育てた師範は伝説ともいわれた剣士だった。
武術大会に出れば負け無しの強さを誇るが、元々寡黙な質で、殆ど山に籠って鍛錬をして暮らす人だった。
日頃から清貧を重んじる彼が唯一身につけていたのは緑色の二つの石が下がったペンダントだけだった。
その日、山に狩りに出た先で赤ん坊を抱いた女性に出会ったのは偶然だった。
獲物を求め、少し山の奥深くに入った時、彼、アルマンは苦しい息遣いを耳にした。
そちらに近づくと、そこには長い紫の髪が広がり、赤ん坊を抱いた女性が倒れていた。赤ん坊はその状況で一声も泣いておらず、恐らく既に亡くなっているのだろう。
アルマンはまだ息のある女性だけでもと思って近づいたが、近くで見た彼女はもう助からない事が分かるほど、弱っていた。
右肩から腰にかけて大きく切られ、生きているのが不思議な程だったのだ。
「しっかりしろ!何か言い残す事はあるか?誰か伝えたい相手があれば、俺が伝えてやる。」
「赤ん坊を・・・」
「赤ん坊をなんだ?」
「決して・・・渡さないで。・・・には。お願い・・・します。」
「誰に渡せばいいんだ?」
しかし、、女性の目から光が消え、その手からも体からも力が抜けていった。
魔族の気配はまるで無かったのに、亡くなった途端、彼女は細かい灰となって消えた。
「まさか、魔族?」
彼女は魔族には見えなかった。美しく、そして、強い意志の力。
アルマンは今まで伴侶を求めた事は無かった。その彼が初めて心惹かれた彼女は、出会ったその時に亡くなった。もう二度と心惹かれる女性に出会う事はできないだろうと思えるほどの衝撃を受けた。
アルマンは赤ん坊に目を向けた。相変わらず一声も泣かないが、灰になっていないならば、生きているのかもしれない。
そっと抱き上げて胸に耳を近づけてみれば、確かな心音が聞こえる。人の子としか見えない赤ん坊をしっかりと抱えると、アルマンはその場から素早く移動した。
彼女は斬られていた。この赤ん坊を助ける為に命をかけたのだろう。それならば、彼も命懸けでこの赤ん坊を守らなければならない。
追っ手がいるかもしれないと思い、住んでいたこの山の小屋に戻り、必要なものを荷物にまとめ、その小屋を離れた。
彼がその場所に居たことを知るものは一人も居ない。例え、小屋を探しても彼の名前すら知ることはできないだろう。追っ手が赤ん坊を取り戻しに来る前に人知れず、離れた土地まで行かなければ。
アルマンは休むことなく駆け続け、遥か離れた村を訪れた。
赤ん坊は相変わらず一声も泣かないが、乳を与えなければ死んでしまうだろう。その村で赤子を抱いた女性に頼んで、乳を分けてもらった。
「カーク、この村で乳を分けてもらおう。今日からお前の父とも剣の師範ともなる俺の名前はアルマンだ。」
赤ん坊にこんな説明をしてわかるのだろうかと、思いながらも、アルマンは赤ん坊に自己紹介をした。
赤ん坊、カークはその小さいもみじのような手をアルマンに伸ばした。
「わかるのか?カーク。俺がお前を必ず大人になるまで守り、自分を守れるように強く育ててやろう。」
あの命懸けで守ってくれた女性に変わって、カークが自分で自分を守れるようになるまで。
たっぷり乳を貰って、再び眠ったカークを連れ、更にメスのヤギや食料等を市場で購入し、アルマンは更に離れた山中に移動した。
大柄で力の強いアルマンにとって、この程度の荷物は問題ではない。しかし、並外れて大きな体のアルマンと赤ん坊の組み合わせはきっと人目を引いただろう。
カークを育てながらも、アルマンは時々住まいを変えた。元々山の中で二人だけの暮らしだったので、カークは引っ越す事に抵抗をする事は無かった。
そして、幼い時からの厳しい訓練の結果、十五になったカークはアルマンに初めて一本勝った。
「やった!勝った!師範、俺、勝った!」
アルマンはカークの頭を撫でて褒めた。アルマンはカークに幼い時から自分の事を師範と呼ばせていた。
何故なら自分は父では無く、もしかしたらあの女性も母ではなかったのではないかと思ったからだ。
何処かに本当の父母がいるならば、その呼び名は自分には相応しくない。
カークは着々と実力を上げ、十七になった時には、もうアルマンに負ける事が無くなった。
十七の誕生日に、アルマンはペンダントに下がる緑色の石の片方を使って、ペンダントを作り、アルマンに贈った。
「この石は互いに呼び合う。たとえ離れても、お前が何処に行こうとも、近づけばこの石が教えてくれるだろう。もう、俺がお前に教えてやれる事は無いようだ。これから先、俺と共にあるも良し、離れて己を磨きに行くもよし。好きにするがいい。」
カークは首にかけたペンダントを握りしめ、今でも自分より大きな体の師範を見上げる。それでも随分と顔の位置が近くなった。
「俺は師範と今まで通り暮らしたい。」
「それも良いだろう。」
カークにとって、寡黙な師範は師範以上に父だった。
子どもの頃、連れられて行った村で子供達が大人に甘えている姿を見て、それが父と母だと理解した。
学校にも行かず、山で暮らすカークに、アルマンは様々な勉強も教えてくれた。
大きくなって、アルマンに頼まれた買い物をしに村に行ってもカークは困る事が全く無かった。
偶にアルマンと共に街の図書館に行って数日読書に耽る事も有り、知識はきちんと与えられた。
その日はアルマンの誕生日だった。カークは前から村の鍛冶屋に頼んであった鎖を受け取りに留守にしていた。
アルマンのペンダントの鎖が少し痛みかけていることに少し前から気づいていたので、誕生日プレゼントとして贈ろうと思っていたのだ。
鎖を受け取り、山に戻ってくると、嫌な匂いと共に微かに血の香りがした。
嫌な予感に追い立てられるように小屋に戻ったカークの目に飛び込んできたのは、アルマンの無惨な姿だった。
床一面に血が広がり、彼は既に息絶えていた。
「師範、父さん、父さん!!!」
誰がこんな事を!カークの心に強い復讐の念が沸いた。
決して生かしてはおかない。
小屋に残る残り香は魔族よりも強い者であることを伝えてきた。そうでなくては、アルマンが負けるわけが無い。
胸元を見たら、ペンダントが無くなっていた。戦利品として持って行ったのだろうか。カークはこれはアルマンの自分に対する最後のメッセージだと思った。
この石はアルマンを殺した者がカークを見つける印になるだろうが、自分が探す拠り所ともなる。
探し出してくれたなら好都合。必ず殺してやろう。
アルマンを丁寧に山に葬り、カークは山を降りた。
探すものはこの国に居るとは限らない。大陸全土を探すため、必要な物を手に入れなければならない。
その方法は、昔、アルマンが教えてくれた『武術大会』で優勝する事。
今から王都に向かえば、大会に出場する事ができる。
カークは今まで他の人と戦った事は無いが、絶対に優勝を掴もうと誓い、王都に向かって歩き始めた。




