第19話 南国の街
ガランディーア王国は、冬の早朝とはいえ、息が白くなる事もなく、体を動かせばたちまち汗が出る程。
今朝もいつも通りロルカとイヴァンは朝の鍛錬を欠かさない。以前と違うのは見学者が増えた事だ。珍しい事に、今朝の見学者は二人だ。
「アマーリエ、きみ、あれ見てて楽しいの?」
「もちろんよ!踊る筋肉、飛び散る汗!汗に濡れた筋肉が朝日に輝くさまのなんて美しい事か!」
うっとり微笑む、元火の四聖アマーリエを嫌そうに見つめながら今日もダメ元で聞いてみるトイスだ。
「何度も言うけど、帰ってくれない?」
「嫌よ!お師匠様。」
「私は君の師匠じゃない!」
「あら、今の私はただの一級薬師なんだから、あなたの方が格上でしょう?お師匠様でいいじゃない。」
「君にお師匠様と言われると背筋に悪寒が走る!」
「じゃあ、私とイヴァンの邪魔をしないで!煩くすると、あなたが我慢できなくなるまでお師匠様って呼ぶわよ!それも丁寧〜な敬語付きで!」
そう、火の四聖アマーリエは王都に戻り、控え様に四聖を託してイヴァンの元に戻って来てしまった。
火の控え様であるマリオンは昔からアマーリエに甘く、兄のように彼女を甘やかしてきた。その彼女が一生に一度の恋をしたと言えば、許さない訳がない。彼女がいつか四聖を辞めたいと言い出すと思っては居たらしく、何時でも引き継げる準備もしていたらしい。
そして、四聖の持つ特別な力を失って一級の薬師となり、イヴァンの元に戻ってきたのだ。
「筋肉だけならロルカも立派な筋肉だけど、イヴァンの筋肉限定なのはどうして?」
「もぉ、見て分からないの?全然違うじゃない!あの、巌のような盛り上がり、薬師にはもちろん、剣士にだってあれほど綺麗な筋肉は居ないわ!この辺りの拳闘家とも違う。」
「ごめん。やっぱり興味無いから分からないよ。」
「強さだけで言えば、ロルカの方が上よね。彼、剣士だと思っていたけど、剣だけじゃなく、素手も強いって知ってた?」
「いや、いつも剣で戦ってたから、それは知らないな。」
「私も相手をして貰ったんだけど、全然勝負にならなかったわ。」
「そうなんだ。」
「あなたもその見た目と違って強いのは知ってるけど、ロルカとじゃレベルが違うわ。彼、はっきり言って人レベルじゃないと思う。よく弟子にできたわね。」
「あの子は世間知らずだから、それは簡単だったよ。」
「ふぅーん。」
ふと、ロルカ達の方を見ると、少し林の奥から、熊型の魔物が走ってくるのが見えた。ロルカとイヴァンは鍛錬の手を休める事なく、剣を合わせている。
イヴァンの踏み込みを躱し、懐に左手を入れ、取り出したナイフを魔物に投げつける。ナイフは魔物の眉間に刺さり、ドゥッと倒れた。
「ほらねぇ〜。ちょっと強すぎでしょう?」
「俺もそう思うな。」
「あら、グラン、また来たの?」
上空に真紅の飛竜が旋回している。どうやら一人で飛竜に乗って来たらしい。
「おまえ、暇なの?土の四聖がふらふらし過ぎじゃないか?」
「トイス、お前にだけは言われたくない。」
「じゃあ、何しに来たのよ。」
「アマーリエ、お前こそ、何してるんだよ。」
「私?トイスに弟子入りして、今は愛しい男の筋肉を鑑賞してるの。」
「だから、弟子じゃない!」
「あぁ、もうどうでもいいよ。実は今、ガランディーア王国では各地で魔物が暴れている。この数ヶ月で急に魔物が増えているんだ。」
その為、四聖自ら国中の様子を監視しているのだとグランは告げた。王家も各地に軍を派遣し、魔物の討伐をしているのだが、ままならない。まるで湧くように魔物が出現するらしい。
アマーリエも国境付近に魔物が出るという報告を受け、魔物が発生する核がガランディーア王国にあるのでは無いかと思って調べに来て、トイス達と出会ったと言う。
「それで、どの辺りか見当はついたのか?」
「いや、まだだ。先日の湖のように、魔物の死骸もあって、核の場所は見つかっていない。」
「そうか、私達も行く先々で様子を見るようにする。」
「頼む。それでこれからどこへ向かうつもりだ?」
「南のルルーシュに向かうつもりだ。」
「いいな。今はナランハが実を付ける季節だ。」
「イヴァンが新型の魔法の鞄を持っているので、フロアティーナに生のナランハを届けて貰おうと思ってね。」
トイスは離宮の奥深くに住まう儚い姿の四聖を思った。きっと彼女はナランハの香りを楽しみ、ゆっくり味わいながら、自分の旅の無事を祈ってくれる事だろう。
「トイス、ルルーシュ付近は頼んだ。俺は、もう少し違う場所を調べてみる。」
「分かった。何かあれば直ぐに連絡する。」
「頼む。」
その後、四人はルルーシュに向けて出発した。
弟子二人にもグランの話を伝え、周りの気配を探るよう指示し、気を引き締めるよう伝える事も忘れない。
途中、余り立ち寄ること無く、一行はルルーシュに近づいた。
今はナランハの実のなる季節。街に近づけば栽培用にナランハ畑が一面に広がる。鮮やかな橙の実をつけるこの辺りの特産の果物だ。
子どもでも手で皮が剥け、甘ずっぱい味は誰にでも好まれる。ただ痛みやすいので長距離の運送には向かず、ハロルド王国には中々入って来ない。
畑で働く人に頼んでいくつか分けてもらい、イヴァンの鞄に入れてもらった。イヴァンも兄と兄の婚約者のライラにといくつか入れて、手紙を添えた。
ルルーシュの街の中には至る所にナランハの木がたわわに実り、街全体に甘酸っぱい、爽やかな香りがする。
この街中のナランハは食用ではない。食べれない訳では無いが、香りと違って甘みがなく、酸味がきつく、少し苦味もある。
ナランハの野生種らしいが、この皮は、栽培種と違って薬効があり、果汁には清浄作用がある。
その為、食用以外に野生種も栽培がされているが、ルルーシュでは昔から街中にこの野生種を育てている。
この香りは一種の魔物避けにもなり、魔物が寄り付くことを防いでくれているらしい。
「お師匠様、凄くいい匂いですね!」
ロルカが初めて嗅ぐ香りに気持ちよさそうに目を細めた。
「この香りは魔物も魔族も嫌うらしい。」
「そうなんですか。凄いですね。ハロルド王国では栽培出来ないんですか?」
「気温が低い所では育たないそうだ。」
「そうですか。残念ですね。」
ルルーシュは見るもの全てが鮮やかな街だ。窓から見えるカーテンも、壁や屋根の色も。道行く人々の服装も何もかもが鮮やかに色づいている。
街の人の髪飾りも赤、青、黄と、色が溢れかえっているみたいで、余りの色の多さに圧倒されそうだった。
露店には様々な店が並び、衣類から食べ物まで、なんでも売っていた。四人は中央広場で別れ、買い物を楽しむ事にした。トイスとアマーリエは領主に魔物の様子を聞きに行くという。
イヴァンはふと見かけた五色の絹糸を編み、金の飾りを織り込んだ腕輪を見つけて足を止めた。これはアマーリエにとても似合うだろう。
値段を見たら露店で売るとは思えない程、高価な物だったが、そんな事は気にならない。アマーリエが笑う顔がみたい。迷わず買って綺麗な袋に入れてもらい、ポケットにそっとしまった。
今夜、彼女に渡そう。これを渡し、一級になったら結婚して欲しいと伝えようか。彼女の為ならば、どんな苦労も惜しまない。
今まで付き合った相手が居なかった訳じゃない。自分から声をかけなくても相手に困った事は無い。
でも、こんなにも思い焦がれる気持ちになったのはアマーリエだけだ。自分の唯一無二の相手。
イヴァンはポケットを優しく抑えながら、アマーリエに出会えた幸せを噛み締めた。




