動き出す歯車
月夜に照らされた暗い森を抜け、イシュリアと対面したグラフェルは、どうして攻撃したのかと訪ねる。彼女曰く、この森は隠れるのに適していた。それでいて追っ手から身を隠すことができ、なおかつ帝国への最短距離を見繕っていた矢先に彼の背中を見て、敵と誤認してしまったそうだ。確かに今は両国とも戦争になるのだから、背後から奇襲されても誰も文句など言わない。
しかし、グラフェルの顔を見た途端にこの人が自分を助けてくれるかもしれない人物の一人だったのが、どうやら彼女の中ではとても驚いていた。自分より年下で、その上カリスマ性があり、超がつくほどの美少年だと。
確かにグラフェルの顔は整っており、多少華奢ではあるものの、しっかりとした体格に先程見た高い運動能力、これほどの傑物は自国でもかなり限られてくる。
「貴方は、なぜこのような場所にお一人で?」
「......分からない。」
「分からない。とは?」
「不思議な光景だった。真っ暗で、冷たくて。生きた心地が全くといっていいほどしなかった。夢、かどうかは分からないけど。」
グラフェルにとってあの出来事は単なる夢だったのかは全く分からないし、知りようもない。そんな考え事に浸る彼の横顔を垣間見たイシュリアは、美しいと思った。だが、自分が帝国へ亡命したことを思いだし、それを彼に伝えた。
その話を聞いたグラフェルは、少しばつが悪そうな顔した。彼女の父、つまり代表は、この戦争で自分は死ぬかもしれない、そう考えて彼女に少しでも生き延びてほしいという父親らしい願いだ。だが、それと同時に、彼女の心に深い傷を残しかねない。苦渋の決断とはいえ、彼女一人だけ逃がすというのは些か疑問が残る。
彼女は代表の娘であり、他国ではそれは国王と同位の権力を持っているということ。侍女の一人や二人連れて来るのであれば、何も疑念を抱かなかった。だが、
イシュリアは父が死ぬかもしれない、きっとそう考えるだけで精一杯だったのだろう。ここまでの道のりの跡を見れば、そう考えざるを得ない。
「私は、父を、ひいては国を止めたいのです!お願いします、貴方がたに我が国の暴走を、戦争を引き起こすという愚かな行為を、どうか、どうか...。」
その声は今にも泣きそうなくらいに震えていた。人が傷つくのが嫌な、とても心の優しい女性だと分かった。本人は無自覚無意識だが、彼の母、シャルルが女性との付き合い方をいやというほど教えられていたため、グラフェルには女性の仕草や声一つ一つを知らぬ間に探っていた。そのため、彼女のことが心配ではあっても、
グラフェルにとってはただそれだけしか思っていないというのがまずかったが、
幸い、ここには二人以外誰もいなかったので突っ込まれることはなかった。
「ひとまず、あいつらに聞いてみないとわからないが、それでも、というのであればついきてもいい。ただし、俺の傍から離れるな。」
「え、ええ。分かりました。話が整うまでは貴方の指示に従います。」
イシュリアの心が一瞬だけドキッとしたのはここだけの話。
夜は明け、日の出が森を、川を、平野を照らし始めた。誰もが目が覚め、支度を整え、今日一日を過ごすというこの日に、二人は見とれていた。
グラフェルは朝焼けの美しさを、イシュリアは照らされた帝国の荘厳さを。
二人はどこか不思議な気持ちに包まれていた。それは朝日のせいなのかはたまた別の要因か。
「あ~あ。ついに始まるんだな。帝国と連合のせ·ん·そ·う。」
「何を言ってる。まだこれからだ。これから、だがな。」
「もう、二人とも、何を下らないことを仰っているんですの!さっさと行きますわよ。」
「そうですね。我々の計画は、この戦争をもって、ようやく第一段階へとフェーズアップするんですから。余計な口は慎んでください、みなさん。」
帝国の遥か北にある場所で、見知らぬ影があった。それらの後ろには巨大な機械が、静かに光らせていた。
人々が賑わっている市場を通り抜けてグラフェルとイシュリアが向かったのは、
ディランとミレーユが住んでいる屋敷だ。グラフェルは、今一番に話を通さなければならないのはディランだった。彼は軍曹司令部の本部参謀を勤めている。
まずは彼にコンタクトを取り、そこから皇帝へとようやくの道が出来るというわけだった。
「ディラン。今、皇帝とコンタクトは取れるか?」
「グラフェルさん。それが······」
何やら良からぬことでも遭ったのだろうか、非常に言いにくそうな顔をしていた。
「何かあるのならさっさと言え。こっちは客を連れてきてるんだ。それもとびっきりの重要人物だ。」
「そ、それがですね。陛下は今、謁見を全面的に拒絶しているんです。」
「············拒絶、だと?」
「···はい。俺にも、というか、軍はともかく、側つきの執事やメイドまで何も聞かされていないし、何も知らないそうで、今その事でこっちはてんやわんやで困ってるんです。」
これは言うまでもなく異常事態だ。軍はおろか、侍女達までもが知らないとなると、相当な理由があってのことだろうが、だからといって、これではかえって国民の不安をさらに拡大させる原因のひとつになりかねない。
「私が、謁見を申していてもですか?」
イシュリアがこの混乱の最中に立ち上がり、自分がなんとかしてみせるという決意の目をしていた。その瞳の中は曇りひとつない輝かしき灼眼を映させて。